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1月19日(火) 旧暦12月6日
ご近所の丸池公園。 樟の森と大きな日向がある。 この日向には、いつも子どもたちや家族連れがいて、のんびりと過ごしている。 とても広いのでゆったりしているのだ。 丸池は、豊かに水湧く池である。 中ほどの白いところが湧水場所である。 いつも音を立て激しく水が噴き出している。 この公園に沿って、仙川が流れている。 ここを翡翠たちものびのびと飛び回っている。 この仙川沿いを歩くことが、わたしの楽しみの一つとなってしまった。 川はその場所によって様々な表情がある。 ただ、どの場所も人間がやすやすと降りられないので、鳥たちは長閑にしていられるのだろう。 暮らしの近くにきれいな川があるということ、 それはしあわせなことかもしれない。 流れゐることまぶしかり冬の川 森賀まり 今日は一日中「ふらんす堂通信167」のゲラを読んですごす。 今回の特集は、大石悦子句集『百囀』である。 俳人の藤本夕衣さんによる『百囀』評と30句抄出。 そしてほかに書評の書き下ろしが二つ。 河津聖恵著『「毒虫」詩論序説―声と声なき声のはざまで』の書評を、ドイツ文学者であり詩人の神品芳夫氏にお願いした。 また、浅井眞人詩集『烏帽子山綺譚』の書評を 、詩人の小笠原眞氏にお願いした。 どちらも懇切なる批評となった。 髙柳克弘さんの連載「現代俳句ノート」は、山頭火である。 これは面白かった。 まことにさりげなく呟かれたと思われる山頭火の自由律詩が、いかに推敲に推敲を重ねられ、揺るがせない確信にいたるまで山頭火がそこに集中したか、それについて実作の変化を示しながらの論考である。 助詞ひとつへのこだわり、語彙へのこだわり、言葉の位置へのこだわり、そうなのか、この有名句がこうして成ったのか、、目を見開かれるような思いがする。 山頭火の修辞法をとおして、わたしたちは自由律の魅力へと誘われるのだ。 この髙柳克弘さんの「現代俳句ノート」もずいぶんと書いていただいてきた。 今まで書かれたものを中心にあらたなる書き下ろしも加えて、この秋までに一冊にさせていただく予定である。 読み応えのある一冊になるのではないだろうか。。。 髙柳さんには、引きつづき連載をお願いする予定である。 岸本尚毅さんの「虚子研究ノート」は、引きつづき「ホトトギス雑詠選集」よりの俳人へのアプローチである。 この論考の面白さは、「雑詠選集」に虚子によって選ばれた俳人を知る面白さもあるのだけれど、今回も前回に引き続き、佐藤念腹(ブラジル移民をした俳人)についてであるが、論考を読みながら思うのは、やはり岸本尚毅さんの虚子選へのこだわりである。虚子がなにをもってこの句を選んだか、そこに岸本さんの興味は集中している、だから「虚子研究ノート」なのだ。あらゆる角度から虚子を研究しつくそうとしている岸本尚毅さんだ。 小野あらたさんの「「毎日精進」は、今回は「眠り」がテーマ。あらたさんはとてもよく寝るらしい。 一見とても長閑に書かれた俳句についてのエッセイのように思えるのだが、読んでいくと小野あらたという俳人がやはりタダモノではない、って思わせるものがあって、しかも読み手に楽しさを与えてくれる、という「毎日精進」である。ふらんす堂の「友の会」の会員の方は高齢者の方も少なくないのだが、その方々からも楽しみにして読んでいると言う反響をいただいており、嬉しいことである。 年のはじめに刊行される「ふらんす堂通信」は、広告頁が出版目録の役目を果たすようになっていますので、出版目録が欲しいというお客さまは、すぐに「通信」を処分してしまわないで、目録として使っていただきたいと思います。 今日は寒い一日となった。 対中いずみさんが暮らす琵琶湖のほとりは、雪が散らついているという。 明日は大寒である。 東京も雪になるかもしれない。 写生する海老生きて居る寒さかな 芦田秋窓
by fragie777
| 2021-01-19 19:15
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