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1月16日(土) 藪入 旧暦12月5日
丸池公園に咲いていた寒梅。 栴檀の実を呑み込むヒヨドリ。 こっちのひよどりはいたずらっ子のような顔をしていた。 お昼ごろ仙川沿いをあるいてみる。 マフラーをしてダウンコートを着てあるきはじめたのであるが、 やがてマフラーをとり、 それからしばらくしてダウンコートの前を景気よくあけた。 それでも汗ばんでくる。 すでに風も日差しも春をおもわせる一日となった。 丸池公園は小さな子どもをつれた家族連れでいつもよりにぎわっていたが、それでも人口密度はけっして高くはない。 人と人との間を気持ちの良い風がとおりぬけていく。 長閑でいい公園だ。 新刊紹介をしたい。 四六判変形フランス装 194頁 三首組 掌にのるくらいの小さな愛らしい本である。 著者の涌井ひろみさんは、1956年東京生まれ、東京都練馬区在住。女子高校で音楽をおしえておられる教諭である。本歌集は、第1歌集『碧のしづく』(2018年刊)につぐ第2歌集となる。前歌集では、最愛のご主人を亡くされた哀しみの余韻のなかで編まれたものである。3年を経たいまもその哀しみは本歌集の底をしずかに流れていることに読者は気づかされるのである。ご主人のみならず涌井ひろみさんをとりまく大切な人々がすでにこの世から去っている。そうした人々は作者のなかではありありと生きていてその魂への呼びかけの歌集でもある。 不在ゆゑその豊かさはふくらみて共に暮らしし日々ありがたし 三人の弟妹おくりこゑを聴く「姉さんありがとむかうで待つさ」 逆縁をなげくなかれよ生むことは死をも生むこと命ゆたかに ひたむきに癌を生きてた君がゐる漲りわたる新樹の中に 涌井ひろみさんにあっては、生も死も日常において豊かに育まれているのである。 五月闇心ふさぐ日湯をわかし玉ネギスープの渦をみてゐる 少女らの歌ふ聖歌のあやふさに雪の香りの水仙うつむく靴紐をきゆつと結んで外に出る今日おきることこぼさぬやうに 地に還るはしきものたち朝に充つ空蟬かなぶん白さるすべり 墓浄め君が好物鮨見れば巻き戻される病室の日々(『碧のしづく』を思い出 してしまいました…)とPさん やはらかくどこかつながる人々はト音記号の丸みの中に シルバーのフライ返しは幾千の卵をすくひ朝を励ます 担当のPさんの好きな短歌を紹介。 靴紐をきゆつと結んで外に出る今日おきることこぼさぬやうに 靴紐を結ぶ、ということ。わたしも日常のなかでよくやる行為である。紐のある靴というのは、あえていえば絨毯の上をすべるように歩くためのものではなく、運動をするためであったりあるいは仕事場に履いていくためであったり、「挑む」というような心の姿勢が必要なときにわたしたちは靴紐のある靴を履くことが多い。そりゃ、編みあげブーツみたいにおしゃれのためだけに履くっていうこともあるけれど、この歌に登場する靴紐はそうではない。靴紐を結ぶことによって、丹田に力を入れ、スキのない人間をめざす。よくわかるなあ、この行為。ただ、「今日おきることこぼさぬやうに 」という措辞が、この作者が人生にたいしてとても綿密で繊細で あることがわかる。きっとこの日が特別な闘いの日であったのではないとわたしは思う。靴紐を結ぶたびに、涌井ひろみさんはそう思っておられるのではないか。戦うという挑戦的な荒々しいそういう思いでなくて、なにか大事なことをそれは人の気持ちであったり、自身の気持ちであったり、目にうつる映像であったり、音であったり、そういう私たちを豊かにしてくれるものすべてを取りこぼさぬように、五感すべてを外界に解き放ってのぞむ、そういう意味での「今日おきることこぼさぬやうに」であると。素敵な方である。わたしのように靴紐をむすんで歩き始めたのはいいが、すぐにつまづいたり人にぶつかったり、そういうヤツはもうアウトである。 地に還るはしきものたち朝に充つ空蟬かなぶん白さるすべり まさにここに詠まれた空蝉、かなぶん、白さるすべり、などは作者が「とりこぼさぬように」とらえた「はしきもの」であある。そしてそれらは命の光をかがやかせたあとに「地に還る」べく死んでいくものたちだ。この一首にも、涌井ひろみさんという歌人の「生」と「死」を同次元でとらえる複合的な視点がある。先にあげた短歌のなかに「生むことは死をも生むこと」という措辞があったが、死は生であり、生はまた死である、という思想がはっきりと根付いておられるのだ。それは生の先に死があるのではなく、生そのもののに死がすでにある、ということだ。それゆえに生きるということは「はしき」つまり美しいのだと。「やはらかくどこかつながる人々はト音記号の丸みの中に 」の一首もまた告げている。複雑なかたちをしながらもはじめからおわりまで一筆でかけるト音記号の曲線のように生者も死者もやはらかく繋がっているのである。 五月闇心ふさぐ日湯をわかし玉ネギスープの渦をみてゐる この一首は、Pさんだけでなく、校正スタッフのみおさんも好きな一首であるということ。わたしも好きである。「玉ネギスープ」って、身体があたたまるだけでなく、そのほんのりとした甘さが荒んだ心をやわらげてくれる。わたしもときどきつくる。涌井さんは、すでにその玉葱スープの効果を十分にご存じだから、そのスープができあがるまでの製造過程(?)にはやくも心を寄せておられるのだ。玉葱のよい匂いがしてきて、玉葱がどんどん透明になって、やさしい渦がみえる。鬱々とした重たい心がはればれとしてくるような愛しい玉葱よ。涌井さんもPさんもみおさんもわたしもみな「玉葱スープ派」となって人生の艱難辛苦を乗り越えましょう。 ミラクルの筒にはひりて一人旅呵呵哄笑のMRI これはちょっと笑ってしまった。はじめはえっ、なんのこと、と思い、そうして合点した。つまりMRI体験を歌にしたというわけである。MRIを経験したことあります? わたしは二度か三度かある。いやよねえ。あの音のすごさ。恐怖で叫びそうまでには成らなかったけれど、飛び出したかった。この一首、余裕あるなあ。「呵呵哄笑」ですって。たしかに「一人旅」ではある。この自身のありようを距離をもってユーモラスに眺める目、それは「玉葱」を愛するのと同じように大事なことだ。だけど、MRI体験をこんな風に詠めるなんて、やはり肝の据わり方が違うんだと思う。 仕事から戻ると大型のトートバッグからその日使用したものを取り出していく。 水筒、お弁当箱は台所へ、纏める必要のあるファイルは机の上へ。家事を終え、明日の授業その他の準備を確認し終えれば、歌の時がやってくる。 定年は決められた日時に自然に訪れ、その後のことも追い追い決まっていくのだろうと相変わらずぼんやり思っていた二〇二〇年、職場での最後の行事をゆっくり味わうどころでなく、動けない三カ月を含め私自身の緊急事態となり、閉ざされた時空間でこれ以上縮こまらないよう、歌をまとめることにした。以前自分の歌を振り返った時その世界の狭さにうなだれたが、その後数年で自分の世界が大きく変わるわけはなく、変わったのは外の世界であった。 連作二〇一九の「職場歳時記」は、NHK全国短歌大会近藤芳美賞の選者である栗木京子先生の選者賞を頂けた嬉しい十五首である。渋谷の坂を上り授賞式に臨んだ今年一月末は、すぐ傍に危機が迫っていることも知らぬまま、マスクもせず隣に座る友人と歌の時間を楽しんでいたのだ。(略) 右往左往のこの時に「言の葉のそよぎ」を集め見えてくる木はあるだろうか。しかし誰もが不安と迷いの中、生きることこそが仕事だと、なんとか日々を過ごしてきたのだからと前を向き、自粛の間も変わることなく青々としたその姿に、唯一息をつくことのできた場所『母の庭』をタイトルに決めた。 これは、あの世から支えてくれている大切な人達と、この世で常に姉と私の前を歩いている母への感謝の一冊である。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本歌集の表紙をかざる題字は、前歌集と同じに二瓶里美氏、装画もまた前歌集と同じに石原葉子氏によるものである。 和兎さんがレイアウト、装幀。 グラシンに巻かれてあるので写真にとるとすこしぼけてしまうのだが、瀟洒な歌集である。 題字は金箔押し。 見返し。 扉。 スピンは、見返しと同じピンク色。 第1歌集と。 ミント咲きめうがの眠る母の庭豊かな土に春の雪ふる 娘がいつもそこに帰ってゆける「母の庭」があるのは、なんとも羨ましいがきりである。 わたしの母も草花が好きだった。 庭にありとあらゆる草花を育てていた。 しかし、もうそこはわたしの帰っていく場所ではない。 本句集上梓後の涌井ひろみさんに、感想をうかがった。 普段歌は縦書きノートに書いています。 そんな時私淑している佐佐木幸綱氏の第17歌集『テオが来た日』を再読し、指針となる歌に出会いました。歌集にまとめようと決め、パソコンに打ち込みプリントしてから、順序や細部を検証する頃は作業に夢中です。 今回体裁は決まっていたが、表紙の絵は? これは大好きなオリーブを依頼し『母の庭』という題も比較的早く決めることができました。 ノートで眠っていた歌が動きはじめ、これでいいのか。これでは意味が通らない のではとアドバイスを受け、非力を痛感しながら大量の付箋がついてきます。 いいのかいいのか、これで最後……。手元から離れ、静かに見本がやってきて納品完了。 読んでくださった方たちから時に感想が届きます。 ―滋味あふれる。人間味豊か。さびしさもあるけれどさわやかで、楽しくなれる。―こんな素敵な言葉を頂いていいのでしょうか。 でもこれは歌に入っている私のまわりの人や植物、馬たちがもたらしてくれたも のなのです。 私自身が何の縁故もなくこの歌集を手にしたら、どういう感想を抱くのかまだ冷 静な判断はできませんが、夫との日々が生んだ第1歌集。その後私は仕事を続け、助けてくれる多くの人も いました。 そして現れたのがこの歌集だと思っています。近い将来職場を離れ、帰属する所がなくなった時私は何を歌うのか、それを試される時が来たのだと感じています。 魂は老いることなし けんめいにぬばたまの夜の水をかく腕 佐佐木幸綱 まごころに賞味期限のあるはずはなし 死なん日の歌を残せり 〃 10年前の私は教師 むらさきの半蔵門線に朝夕ねむり 〃 今回も言葉に助けてもらい、前に進めそうです。 山岡様、またいつかお会いできますように。 いつ来ても心のおどる仙川のきざはし上りふらんす堂へと この一首も本歌集に収録されている。 とても嬉しく拝読した。 涌井ひろみさま、 わたしもとてもお会いしたいです。 きっとお会いできますとも。 その時を楽しみに。。。。 わたしのダウンコート止まった天道虫。 よく見ると身体中が傷だらけだった。 地に還るはしきもののひとつだ。
by fragie777
| 2021-01-16 19:54
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