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12月29日(火) 旧暦11月15日
太陽をいれて光る冬の仙川。 かなりまぶしい。 夜でも夕方でもなく真昼である。 朝のんびりとしていたら、今日は今年最後の燃えるゴミ回収の日であることに気づいた。 外にはすでに収集車の気配がする。 (いっけない!!) 二階のゴミはあきらめてともかく一階のゴミをかき集めて飛び出した。 家の横に車がある。 収集車の人影がある。 「すみませ~ん」とよびとめた。 「はーい」と言う声がして男性の顔がこちらを覗き込んだ。 ともかくかき集めたゴミの袋を渡そうとして、まだ猫のたくさんのオシッコパットがあることに気づいた。 「すみません、まだあります」と大慌てで言って、ブリキの大きなバケツにいれてあるそれをガタガタいわせながら取り出してビニール袋に突っ込む。 「大丈夫ですよ。奥さん、急がなくて。裸足じゃないですか、身体が冷えちゃいますよ」と言われ、 あら、まあ、裸足だったことに気づいたのだった。 けっこう恥ずかしかった。。。 27日付けの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」で、 巫依子句集『青き薔薇』より一句取り上げられている。 冬の星死んだ娘と思ふとよ 巫 依子 「死んだ娘と思ふ」。親からみればわがまま娘に、あるときそんな言葉を投げつけた。星空を仰ぎながら、娘はその言葉を思い出しているのだろうか。それが「とよ」である。娘の意地として淋しさのこもる二音である。句集『青き薔薇」から。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル帯あり 72頁 三句組 第1句集シリーズⅡ 著者の谷田明日香(たにだ・あすか)さんは、昭和40年(1965)奈良県生まれ、現在は京都・舞鶴市にお住まいである。平成28年(2016)「風土」入会、南うみをに師事、平成31年(2019)「風土」新人賞受賞、現在「風土」同人、俳人協会会員。本句集に「風土」主宰の南うみを氏が序文をよせている。タイトルは「ピュアの眼差し」。 明日香さんと初めて出会ったのは「翔の会」という吟行句会であった。所属結社に関係なく、舞鶴では比較的若い五十代、六十代の数名の句会である。小柄で童顔(失礼)の彼女は三十代ぐらいにしか見えず、我々としても若い方大歓迎であった。 それ以降ほとんど休まず句会に参加してくれた。(略)吟行の折、ある植物の葉についているいも虫を見つけ、いも虫に語りはじめたのである。聞くと貴重な蝶の幼虫で、この植物の葉しか食べないと言う。またこの植物には敵が近づけない成分があり、幼虫や羽化した蝶を守ると言う。決して美しいとは言えないいも虫を掌に載せ、楽しそうに話す明日香さんを見て、私は咄嗟に心の中で「虫愛ずる姫」とつぶやいた。 それから数年が経ち、今も吟行を共にしているが、「虫愛ずる姫」の小さな命への語りかけは少しも変わらない。今回、句稿を手にしてその想いをますます強くした。 何喰ふやひしめきふるふ蝌蚪の尾は 蛾をくはへ守宮の白き喉ふるふ 木の洞に乾いて冬のかたつむり 夕映えの水震はせて鴨来たる 寒鴉舌乾くまで嘴開くか 木の洞に乾いて冬のかたつむり 序文の前半の部分を抜粋して紹介した。谷田明日香さんは、舞鶴の農家に嫁ぎそこで農作業をしながら、里山の暮らしぶりをいきいきと詠んでいると序文はつづく。 畦塗の泥飛び散つてきんぽうげ なだめつつ田植機言ふことをきかす 稲穂田を大蛇のごとく風渡る 追儺会の茣蓙の真中に赤子置く 狛犬に子のぶら下がり在祭 明日香さんはこのように自然に、その中の命に、また里山の暮らしに素直に真向かい、その驚きを五七五の俳句の言葉にしてきた。華やかで巧みな世界ではないが、どの句にも明日香さんの「ピュアな眼差し」が感じられる。俳句を始めてまだ十年にも満たないが、明日香さんの「ピュアな眼差し」は天性のものである。この眼差しで対象と向き合い、更に深くまた広い世界へ進んで欲しい。 慥かにこの句集を読んでいくと、里山の暮らしというものがどういうものなのかリアルに伝わってくるのだ。季語が生活に密着している。観察によって生まれた俳句というよりも、生活実感によって生まれた俳句だ。 堕ちし蛾の翅震はせて蟻弾く 卒業子門を出づるや風となる蟻出づるをじつとしやがんで男の子 久々に子となり母の屠蘇を受く 靴に泥滲ませ梅に迫りけり 庭叩きせはしき朝の始まりぬ 光るとは生きることなり飛ぶ蛍 担当のPさんの好きな句である。 堕ちし蛾の翅震はせて蟻弾く この句は校正スタッフのみおさんも好きな一句としてあげてきたもの。わたしも立ち止まった一句だ。虫の世界をスローモーションで見ている寒がある。蛾がおっこちてきた。蛾は蝶と比べて胴が太くそこにたっぷりと内容物(!)が入っているので地面にぶつかった時は音がするほどの衝撃がある。しかし、墜落してきたのだからもう半分死んでいるのだ、その蛾をめがけて蟻がやって来た。引きずって穴に持ち込もうという魂胆だ。そうはさせじと、瀕死の蛾がその蟻を大きく翅をふるわせてはじき飛ばしたというのだ。虫たちの命をかけた闘いの世界をズームにしてみせてもった感じだ。五七五で一挙にそれを言い止めた。たたみかけるような措辞が迫力をます。弾かれた蟻はふたたび蛾に挑んでいくのだろうか。そして蛾はまたもがく。そんな死闘が繰り返されたのかもしれない。みおさん曰く、「動物を描いた句がどれも迫真でした」とのこと。 卒業子門を出づるや風となる 本句集の最初におかれた一句だ。谷田さんは、高校の教師をしておられる(あるいはおられた)ようである。これは、教師の目からみた卒業生たちの姿だ。後ろ姿をみせて飛び立っていく生徒たち。もう振り返ることもなく、また振り返る必要もない。風となって去っていく生徒たち。幾ばくかの淋しさが残された先生たちの胸には去来するかもしれないが、風よ、風となって未来へと突き進んでいくのだから、それはもう素晴らしいこと、そう思いつつ、教師は風となることはなく、門の内側に留まっているのだ。 靴に泥滲ませ梅に迫りけり この句も面白い。梅を見るのではなく、「迫る」というのだ。「靴に泥滲ませ」というのだから、多分野良仕事の途中とかであって、作業着のまま身繕いをすることもなく、梅を見に来たのだろう。梅は、古来より詩歌に読みつがれてきた伝統的な格式のある花である。梅見をするにはもう少し端然と身なりなどを整えて梅見をしないと、梅に対して失礼ではないか。そんな思いもふとよぎる。いや、梅はどこに咲いてもいいし、生活の只中にあって美しく咲くものでもある。泥靴の人、待ちにまった梅が咲き始めた、思わずその喜びに梅ににじり寄ったのだろう。梅の花が生活者にとっても喜びであるのだ。 山々のばうばうけぶる雛かな すごく好きな一句だ。いかにも里山に雛祭りらしい景を呼び起こす。俳人・石田郷子さんが暮らす名栗村の里山をときどき訪ねることがあるが、ここの雛祭りはすばらしく何度も訪れている。ここに詠まれているように、雛祭りの季節は山々は春となって彩りが加わり潤み始める、この「ばうばうけぶる」にまさに名栗の山々の感じを思い出した。そう、まさにそんな感じ。春の里山の雛祭りの景色をみごとに詠み止めた一句だと思う。 幼い頃じっとしゃがんで、いつまでも地面の蟻を見ているような子供だった。小学生になると、「ドリトル先生」シリーズを夢中で読んだ。動物語を話し、動物と世界中を旅する「ドリトル先生」は憧れだった。 四十代になって、俳句に出会い、月に一度、吟行をする会に入った。そこで諸先輩方から多くの刺激を受ける中、現「風土」主宰である南うみを先生に出会った。うみを先生は「明日香さんは、自然と同じ目線に立って句を作っている。それを個性にして磨いていけば、きっといい俳人になれる。」と仰った。未熟な私に対する励ましの言葉だと受け取り、うみを先生がよく仰られる「対象と対話するように観察する」と並んで、座右の銘とし、子供の頃のように自然と向き合って俳句を作っている。 もう一人、観察することの大切さを教えてくれた人がいる。それは私の父である。アララギ派の歌人であった父は、常に写実に重きをおいていた。短歌と俳句は異なる文芸であるが、父の知識量は膨大で、私はよく電話で父に批評を求めた。それは二年前父の突然の死によって断たれてしまったが、今でも心の中で父との対話は続いている。句集の題を「父の筆」とし、父の背中を追うようにこれからも精進していきたい。 「あとがき」を紹介した。 霜の夜や使ひこなせぬ父の筆 句集名となった一句である。 本句集の装幀は和兎さん。 色は明るい緑。 光るとは生きることなり飛ぶ蛍 自然の中の命の循環が躍動的に捉えられている。 明日香さんは五七五の俳句の形で、小さな命の不思議さを表現する術を手に入れたのである。 (序より・南うみを) 「自然に囲まれた地に暮らし、その驚きと感動を句にしてきました。楽しいばか りだった作句に最近難しいものを感じ始め、今までの俳句をまとめて、振り返っ てみたくなりました。」 句集を刊行された谷田明日香さんよりいただいた一言である。 萩群の騒々しきまでに枯るる 明日香
by fragie777
| 2020-12-29 19:24
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