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12月24日(木) 納めの地蔵 旧暦11月10日
クリスマスイブの今日、花屋さんの店頭には赤い薔薇がたくさん売られていた。 クリスマスイブの日にこんな赤い薔薇を貰えたら素敵だろうなあ、なんてふっとおもい、 いやいや、ありっこないねって、そう思った自分を鼻で笑った。 しかし、赤い薔薇は貰えなかったけれど、素敵なチョコレートケーキを貰った。 yamaokaにはやはり、「花より団子」がふさわしいのだ。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル帯有り 72頁 三句組 第1句集シリーズⅡ 著者の田中雅秀(たなか・まさほ)さんは、1963年東京生まれ、現在は福島県大沼郡にお住まいである。2003年「海程」会員、2005年「青山俳句工場05」参加、2006年福島県文学賞奨励賞受賞、2006年福島県文学賞準賞受賞、2009年「海程」同人。現在は「海原」同人、『青山俳句工場05」工員。本句集には、「海原」新潟支部の「にいがた航の会」北村美都子代表が跋文を寄せている。 「しなやかに、ひたむき」にと題された跋文を抜粋して紹介したい。 雅秀俳句の表現は一貫して口語体である。軽やかに口語を駆使し、現代に生きる女性の哀歓を呟くように語りかけるように書き留める。日常への立脚の確かさがうかがわれる書き取られ方の、そうした中に現出するしなやかな情感の表白も雅秀俳句の特徴といえる。 わぁ虹! と伝えたいのにひとりきり ほうほたる弱い私を覚えてて 再来年の約束だなんて雨蛙 山藤ゆれて会いたかった会いたかった 手袋のままほっぺたに触りし人 (略)雅秀さんは高等学校の国語科教師でいらっしゃる。自身では福島県文学賞の準賞受賞などの実績を積みつつ、教育現場にあっては教科指導の傍ら生徒たちに韻文指導を行い、共に短歌甲子園の出場権獲得や国民文化祭参加などを経験してきているとも…。この間の作品がⅡ章の「幸いあれ」になるのだろうか。この「幸いあれ」は東日本大震災に遭遇の折、金子兜太先生より戴いた激励の言葉であると「あとがき」にある。(震災と学校と)のサブタイトルの付くⅡ章は純度と充実度が高く、兜太先生のエールにお応えできている一連と思う。〈この町に住む食べる泣く冴え返る〉と詠う震災・フクシマへの向き合い方と、教育への心身の傾け方のひたむきさが伝わってくる一句一句である。 「風光る」からはじまる校歌膝小僧 芽柳や少女ら群れて羽化の刻 今日の「ふつう」昨日と違う諸葛菜 秋の蝶ゆめの果てなる汚染水 頑張れの言葉も白鳥の死も似てる 愛鳥週間線量計を渡されて 海再び優しくフクシマを見給うか (略)雅秀俳句は日常語の斡旋が自然で実に親和性が高い。読者はいつの間にか作品と一体化しているような親しさを覚え、時にさらっと読み過ごしてしまいそうになるが、言葉の選択が作者の心象に適っているため、読み込むほどに詩情の深みに気付かされる。 丁寧に読み込まれた跋文の一部を抜粋したが、北村美都子氏は田中雅秀さんの俳句の深い理解者であられる。 跋文でもふれられ、「あとがき」にも書かれているように、もとより田中雅秀さんは、「連句」から俳句に入られたということである。「一集には長い連句歴の、そのセンスの響く秀作が多い。詩的世界に誘われる次のような感覚と飛躍の妙。」と跋文に書かれている。 桐の花本音はいつまでも言えず 夏野かな何もしないという理想 ものの音の澄みゆき人は原子になる 俳句のことばがするりと胸にはいってきて一見わかりやすくおもわれるのだが、そのことばが胸にとどまって詩情がふくらんでいく、そういう作品であるとわたしは思った。 再来年の約束だなんて雨蛙 立冬のキャッチボールは高く高く山藤ゆれて会いたかった会いたかった 男子クラスはアスパラガスの生長点 雪という消えてなくなるものの処理 初雪や鳥には鳥のしらせかた 担当のPさんの好きな句である。 再来年の約束だなんて雨蛙 句集のタイトルともなった一句だ。「再来年の約束」というタイトルを聞いたとき、はるか未来への明るい思いがそこに込められているのではないか、と思った。来年はまだ無理でもせめて再来年になればという著者の希望へとむかう気持ち、この一句をその段階で知らなかった私は、今のこのコロナ禍の状況に鑑みて、(そうだよな、この調子じゃ来年の約束は果たせなそう、せめて再来年になれば、ね」などと勝手に考えたりしたのだったが、この一句、そんなわたしの切々たる思いを見事に裏切ってくれて、もっと思いは軽やか、再来年の約束なんてって鼻でわらって、そのあげく「雨蛙」である。この「雨蛙」っていったいなんだって思って笑った。再来年の約束の先には、雨蛙が鎮座ましましているようで、可笑しい。しかしこの一句、しばらく思っていると、なんとなくウエットで悲しくもなる。「雨蛙」の存在感がましてきて、「雨蛙」がそれはもう圧倒的。 山藤ゆれて会いたかった会いたかった 「幸いあれ(震災と学校と)」と題した第2章に収められている一句である。震災の状況下に詠まれたとすればこの俳句に託した思いはいっそう読者につたわってくる。「山藤」が揺れていることさえも非日常の奇蹟とも思えるそんな被災という状況。あらゆるものがモノクローム化し世界は硬直してしまった。そんなとき山藤が咲きあふれはんなりとした薄紫の色が風に揺れた。いままで懸命にこらえてきた思いが爆発した。山藤の下で手をとりあってお互いをお互いが確認する喜び。震災を体験したものでなければ詠めない一句であるとも思うし、その真実の思いが伝わってくる一句だ。この一句を通して、読者はその喜びを追体験するのだ。 初雪や鳥には鳥のしらせかた この一句はわたしも好きな一句である。最近とみに鳥と親しくなって(と思っているのはわたしの方だけかもしれないが)つらつら思うには、鳥には鳥の「鳥語」がちゃんとあるんだっていうこと。この句「初雪」の季語がすごくいい。鳥たちはすこし緊張しつつ、その年はじめての雪をお互いに知らせあっているのだ。ああ、でもこの句は、「鳥には鳥のしらせかた」とだけあって、どのように知らせているのかは詠まれていないのである。わたしはすぐに「鳥語」で知らせたのかとおもったが、あるいはそうではないのかもしれない。そこを言い切ってしまわないところがこの一句にふかい余韻を与えている。作者の田中さんだけが知っているのね、きっとそう。 白鳥の声する真夜のココアかな この一句も心にとまった一句である。真夜中に白鳥の声を聴いたのである。わたしは真夜中に白鳥の声なんて聴いたことがない。声がすれば当然真夜中の真っ暗な空を飛んでいる白鳥がいるのである。それも部屋の中にいる自分の頭の上方をである。それもちょっと不気味とまでも言わないまでも凄みがある。真夜中に聴く白鳥の声ってどんなんだろう。気味がわるいのだろうか、いずれにしても明るいものではない、そして作者はあたたかな甘いココアを飲んでいる。寒と暖、白と黒、不穏と安らぎ、そんな対比が一句のなかにある。白鳥の鋭声からはじまってまったりとしたココアに帰着することで、なんとなく安心したりするのだが、だがである。この句、ふっと無聊な孤独感のようなものが湧いてきたりするのは、わたしだけだろうか。 会津に移住して、兜太先生はかえって、私のことを気にしてくださったように思える。先生ご自身も福島にお住まいになっていたこともあり親しく思ってくださったようだ。移住の際には「猪は去り人は耕す花冷えに」の色紙を頂いた。東北や雪をイメージして揮毫してくださったのだろう。また東日本大震災の際には、「会津の佳人に幸いあれ」との色紙を賜った。その後の震災や福島原発についての兜太先生の作句活動はいつも私や福島、東北へのエールと思われ心強かった。この二枚の色紙は折に触れ私の支えになっている。 韻文創作を連句から始めた私は、連衆の先輩方のあふれる知識と機知に富んだ会話に学び励まされ、韻文の体幹が鍛えられた気がする。しかし、連衆がいて支えられている連句に比べ俳句は独りで作品に向かう時間が多い。句集を編むにあたって脆弱な作品群の中から句を選ぶのは心許ない作業であった。それでも、制作当時の景色が浮かび、俳句はその瞬間を切り取って詠むものだと実感した。初心の頃の句では季語や表現を工夫した苦労の 跡が見られ、愛しさが増した。振り返ってここ数年の作句姿勢はというと、間延びした作風になっていないかと反省しきりでもあった。章の名はⅠ、Ⅱは先に書いた兜太先生の色紙から、先生の思いに沿うためにつけた。Ⅲ「新しい感触」は東京時代に兜太先生に大事にするように言われた言葉だ。忘れないよう自戒を込めて章の名にした。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装幀は和兎さん。 初蝶にもうなっている遺稿かな しなやかに、ひたむきに、現代を詠いあげる雅秀俳句。ソフトな語り口の底流ともいうべき知性が俳句体質の確かさを伝えてくる。(北村美都子・跋文より) また冬が来る、また雪が降る。来年の私はどのような表現者でいるのか、俳句という短い定型詩とどう付き合っていくのか、しっかりと見つめて生きていきたい。(あとがきより) 田中雅秀さんより、句集上梓後にメールをいただいた。 ふらんす堂のご担当者のナビゲートのよって、迷子になることなく第一句集を上 梓できました。 自分の歩んできた道を振り返るのは「痛気持ちいい」体験でした。 周囲の皆さんに感謝です。 すこしおっちょこちょいな担当者だったかもしれません。 震災を経たいま、コロナ禍を乗り越え、 会いたかった会いたかったと再び喜びあえる そんな来年、再来年となりますように。
by fragie777
| 2020-12-24 20:01
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