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12月17日(木) 鱖魚群(さけのうおむらがる) 旧暦11月3日
桜の古木に止まっていたひよどり。 可愛いな。。。 この鳥はなんだろう。 雀かしらっておもったのだけど、もう少し大きくて、写真もクリアじゃないしよくわからない。 これはコガモ。 この翠にわたしは心を奪われている。 この翠、羽の下方にもかくれている。 16日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、 清水志句集『夜汽車』より。 大きうなれと母の口癖零余子飯 清水 志 病気、交通事故、犯罪。子どもにとって人間界は危険がいっぱい。早く大きくなって鬼の魔手から逃れてほしい。まともな親ならそう願うだろう。そんな親の願いが今更ながらありがたい。零余子(むかご)は山芋などの脇芽。句集『夜汽車』から。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 182頁 二句組 著者の宮野しゆんさんは、昭和15年(1940)山口県大津郡生まれ、現在は山口県長門市在住。昭和62年(1987)、倉田紘文に師事。第1句集に『器』があり、この度の句集は第2句集となる。略歴はたいへん簡略であるが、「あとがき」に俳句との出会いなどを書かれているので「あとがき」を抜粋しながらご紹介したい。 俳句は祖父の影響で作り始め、中学生・高校生の時代には、「渋柿」同人の中原天楼氏の指導を受けた。田舎の句会であったが、時々顔を見せられていた野村喜舟主宰の「渋柿」に投句していた。しかし、大学入学と同時にプツリと止めてしまった。 四十歳半ばに至り、俳句への思いが甦り、角川書店の「俳句」の結社紹介で「蕗」を知り、紘文主宰の句に魅せられて昭和六十二年に入会した。それ以来、紘文先生の「俳句は平明でなければならない。ことばはやさしい上にもやさしくなければならない。浅薄と言われようが、それは一向にかまわない。純粋なる写生俳句は、純粋なる眼と純粋なる心を通したところの素朴で自然なことばで綴られるべきなのである。」を拠り所として作句に励んできた。しかし、その域に達することは、なかなか難しく、今もその途上にある。 俳人倉田紘文は高野素十の弟子である。本句集を読んでもその一貫した師系を思う。忌日は素十と紘文のみで詠まれており、詠まれている俳句にふと素十の句が重なったりする。たとえば、〈冬耕のまづ大空を仰ぎけり〉など。 一湾をはみ出す潮夏めける 水の中より水湧いて夏湧いて 春愁も惜春もみな母のこと ふれ合へぬ遠さに二つ蕗の薹 一日を少し残せし蟻地獄 空よりも海の明るき走り梅雨 幼子に呼び戻されて青き踏む 初蝶の来て梵鐘に触れてゆく 一雨に色を焦がして麦の秋 影のごとくに緑蔭に座りをり 八月のいつも遠くを見てゐたり 担当のスタッフ文己さんの好きな句である。わたしの好きな句と大分だぶる。けどほかにも好きな句がたくさんあった。 ふれ合へぬ遠さに二つ蕗の薹 この句、「ふれ合へぬ遠さ」が面白いとおもった。足元にあちらこちらに顔だしている蕗の薹である。物理的な距離から言えば、そう遠くないところに顔をだす。しかし、宮野さんは、その距離を「ふれ合へぬ遠さ」と詠む。蕗の薹からすれば決して触れ合うことのないそれは遠い距離であり、しかも数が「二つ」と限定されてることによってその距離は現実性をもって目の前に現れる。「ふれ合へぬ遠さ」に感じ入った作者の詩情がふたつの蕗の薹を支配する。 一日を少し残せし蟻地獄 「蟻地獄」を詠んだ一句である。上5中7の「一日を少し残せし」は、すでに暮れていく一日のことの謂いであるのか。「暮れてゆく」ではあまりにも当たり前の言い方だ。しかも蟻地獄が人間の目に映ったままの蟻地獄であり、実は闊達に獲物を狙っている「蟻地獄」が見えて来ない。「一日を少し残せし」という表現によって、「蟻地獄」に主体がうつり、人間にみられている蟻地獄ではなく生きて活動している「蟻地獄」であることが見えてくる。 影のごとくに緑蔭に座りをり 本句集には、「影」がよく出てくる。10句以上ある。その中でわたしが面白いと思った影は、この「緑蔭の影」と以下の俳句に登場する「影」だ。〈風吹けば影のはなやか吾亦紅〉〈寒鯉にかしづく影のありにけり〉〈おはぐろの影を畳みて動かざる〉〈寒鯉の影脱ぐごとく浮かびくる〉〈くちなはの影を流さず川渡る〉とくに「吾亦紅」の影が好きだ。作者にとって「影」はその実体以上に何かを語るものだ。「吾亦紅」の質朴な野趣のある花が、風を得たことによって、その影が華やぎをみせた一瞬を作者の目は逃さなかった。吾亦紅の影の華やかさなど誰も詠んだことはないのではないだろうか。 初蝶の来て梵鐘に触れてゆく まだやわらかな翅をもった初蝶が寺院のかたい大きな梵鐘の一部に触れた、その一瞬を句にしたわけだけれど、初蝶のういういしい命の光が見えるような詩情をわたしは感じる。大きな鐘にたいして小さな蝶であるが、その存在感は圧倒的で絵画的でさえある。黒にちかいかたまりの物質としての鐘、白あるいは黄色の蝶の翅のやわらかな動き、そしてそこが寺院であることによって蝶が飛んで行く空間のひろがり、ただ一瞬を描写しただけなのに、わたしたちの心に呼び起こすもののはるけさ、好きな一句だ。素十の有名な句〈方丈の大庇より春の蝶〉を思い出した。 春愁も惜春もみな母のこと 宮野しゅんさんは、「母」や「妻」をとても素敵に詠む。多くは花や春の季語とともに詠まれていて、わたしは好きな句が多い。〈木犀の香の満ちくれば母を訪ふ〉〈牡丹の大きな寺へ妻連れて〉〈妻に吹きわれにも吹きて春の風〉〈母を見て百日紅を見て帰る〉〈きのふまで母のをりたる春障子〉 などなどまだ他にもあるがいくつかを紹介した。で、読めばわかるでしょ。母や妻への作者の思いが。こんな風に思われたら母としても妻としても申し分ないように思える。「春愁も」の句は、母への思いの総括である。すばらしいオマージュだ。 本句集は、どうということなくはからないなく詠まれているのだが、心に響いてくる句が多い。〈驚きのポーズが上手水馬〉〈すぐ僧の出てくる寺の桜かな〉〈ふり返ることなく蛇の穴に入る〉〈白も黄も来て初蝶となりにけり〉〈噴水の穂が秋の日を濡らしけり〉〈白藤の風を真白にしてしまふ〉などなど好きな句がたくさんあった。 『燕の子』は、第一句集『器』以降の平成十四年から令和元年までの作品から三百十二句を選んで収録した私の第二句集である。 平成三十年四月に胆管癌の手術をして、一年半を経過した昨年の暮れ、年が明けたら第二句集を上梓しようと決めていた。その矢先、新型コロナウイルスの感染が瞬く間に拡大して世の中を非日常の世界に陥れた。このような状況の中で句集を出していいものかどうか躊躇うものがあった。しかし、日を追うて、こんな状況だからこそ新しい句集を出し、作品を読んでもらうことに意義があるのではないかという思いに至った。 平成十四年からの十九年間に、私の周りでは色々な出来事があった。退職後に始めた野菜作り、佛教大学日本文学科(通信教育)への編入、金子みすゞ顕彰全国俳句大会の開催・運営への参画、「蕗」九州大会の引き受け、妻と共に始めた四国八十八ヵ所を巡る遍路の区切り打ちの旅等、それなりに充実した時間を過ごすことが出来た。しかし、悲しい出来事も多かった。母を見送り、義父を見送り、多くの句友を失った。中でも平成二十六年六月に師と仰ぐ倉田紘文先生を失ったことは、先生に師事する者として大きな衝撃を受けた。 反面嬉しいことも多かった。この間に四人の孫を得たことは嬉しいことの筆頭である。句集名の「燕の子」は どの口も賢さうなる燕の子 から取った。一心に餌を欲るいとけなき燕の子と孫たちの姿とが重なっての思いである。共に未来に向かって健やかに生きていって欲しいと願うばかりである。 「あとがき」から紹介した。 装幀は君嶋真理子さん。 落ちついた色合いのあたたかさを感じる一冊となった。 表紙は薄茶色、材質は紬風の手ざわりのあるもの。 燕の型押し。 扉。 花布は赤茶、栞紐はグレー。 口絵奥さまによるもの。 「燕の子の句が平成19年度のNHK学園の俳句大会で文部科学大臣賞をいただいた記念に妻が書いてくれたものです」ということである。 年末には、いよいよ八十路を迎える。この先どこまで行けるのか分からないが、 自分の俳句を求めて精進したいと思っている。(あとがき) 12月2日がお誕生日とのこと、それでご本の発行日は12月2日に。 近影のお写真を送ってくださった。 宮野しゆん氏。 宮野しゆんさま、 句集のご上梓、八十歳のお誕生日、おめでとうございます。 こころよりお祝いを申し上げます。 句集上梓後のお気持ちを、担当の文己さんがお尋ねしたところ、以下のようなお手紙をくださった。 紹介したい。 第二句集「燕の子」の感想をいただいていますが、皆さん先ず装丁の素晴らしさを言われます。ふらんす堂さんにお願いして、よかったなと思っています。 その句集のカバーを眺めながら、30数年前のことを思い出しています。その頃、私は金子みすゞの出身校で、障害のある子どもたちのクラスを担任していました。その中に、K子さん、F子さん、Tくんがいました。K子さんの詩です。 クラブの時間に けしきを書いた。 わたしは 山を書きました。 山の上に うみがありました。 やっと簡単な文が書けるようになった4年生の K子さんの日記の一節です。イラストクラブの時間に3階から眺めた青海島の様子です。普通山の上には空があると考えがちなのですが、K子さんの素直な目が新しい発見をしました。青海島の山の上には空ではなく、渺々と広がる海があったのです。そして、その海ははるか彼方で空と溶け合っていたのです。素直な目で捉えた日記がそのまま素晴らしい詩となりました。 次は、F子さんの詩です。 せんせい さむい。 せんせいもさむい? わたしも さむい。 せんせいのおうちも さむい? わたしのおうちもさむい。 まだ文字の書けない3年生のF子さんが、ある寒い朝、教室に飛び込んでくるなり、私に話しかけてくれたそのままの言葉です。F子さんは、とても寒く感じてつらかったのでしょう。思わず「せんせい さむい。」とうったえてきたのです。そして、一人で教室にいた私のことを思いやって「せんせいも さむい?」と言ってくれたのに違いありません。私だけでなく、私の家族、自分の家族をも思いやって「せんせいのおうちも さむい?」「わたしのおうちも さむい。」と言ったのに違いありません。 どちらも詩を書こうと意識して書かれたものではありません。しかし、私にとっては、生涯忘れ得ぬかけがいのない詩です。 文字も書けず、言葉も言えないTくんは、毎朝少し遅れてやって来ると、運動場の指揮台の下に潜って、或時は摘んで来た草花と、或時は犬を膝に抱いてぶつぶつとつぶやいています。草花や犬と心を通じ合わせているように見えました。いいえ、きっとそうに違いありません。 私は、K子さんから対象を素直にありのままに見ることを、F子さんから温かい思いやりの心を持って対象に接すること、Tくんから対象と心を通じ合わせることの大切さを学びました。今からも、この三つのことを大切にしていきたいと思っています。 今日いただいたメールには本作りのやりとりにあたって「東京がとても近くに感じられました」とあり、それはわたしたちにとっても嬉しいことであった。 雪片の激しきときは触れ合はず 宮野しゆん
by fragie777
| 2020-12-17 19:54
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