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12月11日(金) 旧暦10月27日
夕方近くスタッフのPさんが、著者の方ふたりに送るゲラが紛失したと言って騒いでいる。 わたしはよくあることだが、Pさんにしては珍しい。 「おかしい! さっきまであったのに。B5判のファイルにいれて二つ。どうしたんだろう。」と言いながら、Pさんが探し続けている。 わたしはこういうことがよくあって、いつも最終的にはPさんが探し出してくれるので、ほっとくわけにもいかず重い腰をあげた。 しかし、探すことなんてチョー苦手。 いったいどこをどうやって探したらいいのか、Pさんが探せるところは探して尽くしているしね、 でも探すふりはした。 「ああ、どうしたんだろう。お二人に送るって約束してしまったのに、どうしよう」 「どうしたのかしら、こまったわねえ」とyamaoka。 向こうの方で仕事をしていた文己さんも自分の仕事の手をとめて、やってきた。 3人でさがすこと30分以上。 「もう一度聞くけど、いったいどこに置いたの。」とyamaoka。 「ええっとこの作業台だったと思います」 「そうなのねえ」と言いながらふとわたしもこの作業台を使っていたことを思い出した。 (ややっ!!!!!) 思い当たることがある。 わたしはさっきまで作業台にひろげていた依頼状関係ファイルを広げ始めた。 「ひょっとしたら、、、」「ああ、あって欲しい」「どれ? これ?」「ああ、それ!!」 ということで、わたしが犯人だった。(らしい) しかし、Pさんは見つかったことがよほど嬉しかったらしくて、わたしを責めない。 文己さんも「良かったですね」とニコニコしている。 「いったいどうして紛れこんだんだろう」って言うと、 「犯人はyamaokaさんですから」と一瞬きっと睨まれた。 わたしはしらんぷり。 ということで、一件落着、ホッといたしました。 昨日の毎日新聞の夕刊に、文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが「詩歌の森へ」で、『鍵和田秞子全句集』について書かれている。タイトルは「限界に挑む歌人の苦闘」と題して、これは篠弘氏の著書『戦争と歌人たち ここにも抵抗が逢った』についてのことである。 抜粋して紹介したい。 戦後75年の最後を飾るふさわしい力作の歌論書が出た。短歌研究では第一人者の歌人、篠弘の大著『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』(本阿弥書店刊)である。戦争に明け暮れた「昭和10年代」に少年期を過ごした著者の思いがにじむ著作。言論統制が強化され、厭戦が感じられる表現さえ許されなかった時代に、苦しみつつ表現の限界に向かった歌人たちの苦闘を、実際の作品検証から描いた一書。約9年かけての労作である。 とりあげた歌人は北原白秋、宮柊二、斎藤茂吉、窪田空穂、土岐善麿、与謝野晶子、若山喜志子ら二十余人。いわゆる「反戦歌人」ではないが、さまざまな立場で、歌人たちが良心と矜持に基づいていかに精いっぱいの「抵抗」をしたかが明らかになる。 (略) 本書のねらいは、苦難の時代の仲でも良心に従い、精いっぱいの抗いをみせた歌人の心情に目を注ぐこと。戦時下の短歌は、ただ糾弾されるばかりだったが、戦争の残酷さを知らない世代に、実は短歌こそ、時代の苦悩を照らすものであってほしいと著者は願う。 一方、篠と同時代を生きた俳人の『鍵和田秞子全句集』(ふらんす堂)に共感した。第1句集『未来図』から『濤無限』(毎日芸術賞)『火は禱り』(今年の詩歌文学賞)などを収録。一人の人間として戦後社会を生きる証しとしての俳句が、やがて「禱り」につながる道程が明らかになる。中村草田男の愛弟子、俳誌「未来図」主宰、国文学研究者でもある。 未来図は直線多し早稲の花 火は禱り阿蘇の末黒野(すぐろの)はるけしや 一句目は、第1句集から。若い俳人の新しさを求めた直線のような意志が感じられ、最終句集の2句目は生命を包み込む大景が見事。「東日本大震災の惨状は、私の心からつねに離れない太平洋戦争末期の一面の焦土や瓦礫の光景と重なる」(『火は禱り』あとがき)と書く俳人は、今年6月に世を去った。 『鍵和田秞子全句集』は、入稿当初の予定では、「鍵和田秞子俳句集成」と題して刊行される予定であった。 6月に鍵和田秞子先生が急逝され、急遽、「集成」から「全句集」へと呼び名を変えた。 「集成」ができあがるのを心待ちにしておられた鍵和田先生は、実は5月に「あとがき」を書かれて、角谷昌子さんを通してふらんす堂にいただいていた。しかし、その後のご逝去によって「俳句集成」のために書かれた「あとがき」は収録されずにそのまま残ってしまったことになる。 作者没後に刊行される「全句集」であるので、その呼び名とともに編集の文脈も変わったのである。 収録されなかった「集成」のための「あとがき」をここで紹介したい。 そして最後にのこされたご自身の俳句集成への思いをお伝えしておきたいと思う。 『鍵和田秞子俳句集成』刊行に寄せて 昨年、「未来図」は創刊三十五周年を迎え、私は米寿を迎えることができました。決して丈夫な体ではありませんが、ここまで俳句を続けて来られたのも、『未来図」の会員のみなさまはじめ、多くの方々が支えて下さったおかげです。 本年末に「未来図」は終刊となりますが、その前に『俳句集成』を刊行できることを嬉しく思います。 文学の絶対を求めた中村草田男先生を師として私が俳句の可能性をどれだけ試せたか分かりませんが、みなさまに本書でその足跡をたどっていただけたらありがたいです。 最後に、守屋明俊さん、角谷昌子さんはじめ刊行委員のみなさまのご尽力に心より感謝いたします。 令和二年五月 鍵和田秞子 鍵和田秞子先生はどれほどご自身の「俳句集成」を手にされたかったか。 心待ちにされていたことが、この残された「あとがき」を読んで、そう思う。 よもや、『全句集』として刊行されることになるとは、思いもされなかったに違いない。 手もとにある『鍵和田秞子全句集』をひらくとき、この鍵和田先生のことばも先生の肉声として同時にこころにとめて読みすすんでいただきたいと思う。
by fragie777
| 2020-12-11 19:34
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