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12月9日(水) 旧暦10月25日
神代植物園のメタセコイアの林。 燃えるような赤だったが、色がしぶくなっておおかた葉が落ち尽くしつつある。 裸木となった冬木立を歩くのは気持ちがいい。 枯木立我と影とが重なりぬ 斎藤 夏風 いろいろの死に方思ふ冬木中 福田甲子雄 逢ふところまでいくたびも枯木過ぎ 桂 信子 「秋麗」(藤田直子主宰)12月号で、評論家の坂口昌弘氏が藤田直子著『鍵和田秞子の百句』について書いておられる。 「秋麗」12月号 「評論の基本は作品鑑賞である」というタイトル。 抜粋して紹介したい。 『鍵和田秞子の百句』は優れた俳句鑑賞であり、評論である。 一般的に評論とは俳句についての総論的な俳句論と理解されていて、特定の俳人の百句についての鑑賞。解説は評論と思われていないところがある。 東洋最古の評論『詩品』が漢詩の作品を具体的に鑑賞しているように、評論というのは、そもそも作品を批評するのが原点であり基本である。作品がなければ批評が発生しない。俳句が詠まれて、その作品が良いかどうかを論じるのが評論である。(略) 『~の百句』のような書が一般的に評論と思われないとされる理由があるとすれば、百句の良さを説明できてないものが多いことや、選んだ句の評価が作者の主観にすぎないことが考えられる。しかし、もともと評論・批評というのは主観であり、絶対的で普遍的で客観的な批評というものはこの世にありえない。(略)作品評価において客観とは良い主観の総計で決められている。評論・批評は主観的判断をできるだけ客観的に文章化する行為である。批評文を通じて、句の批評をした人の主観が良かったのか悪かったのかを知る。 藤田直子の批評が優れていることを、例をあげて述べたい。 『鍵和田秞子の百句』の最後の句を取り上げる。 〈火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや〉の句は、最近の句集『火は禱り』の代表句である。鍵和田が平成二年に阿蘇の野焼を見に行き、約三十年後に掲句を詠んだという事実を藤田は述べ、「阿蘇の末黒野に思いを馳せ掲句を詠んだ。末黒野から戦後の焦土を連想したのかもしれない。しかし末黒野は野焼の跡である。野焼は害虫を防ぎ、植物の育成を促すために行われる。生命が再生することを願って放たれた火である。遥かな時空を超えて、あの日の野火は秞子の心の中で再生への禱りとなって燃えていた。」と解説する。 藤田は鍵和田が主宰する結社の同人だから句の背景に詳しいが、読者は背景を知らずこの句だけで鑑賞する。「はるけし」はこの句だけでは地理的に離れているところを意味していると理解されるが、藤田は「時空を超える」意味を持つと解釈を深めている。 「火は禱り」の解釈がこの句の命である。藤田は「生命が再生することを願って放たれた火」「再生への禱りとなって燃えていた」と解釈する。読者がそう思っていなくともこの解釈を読めば納得する。(略) 藤田直子は事実に依拠して、自らの想像力をいかして鍵和田秞子の句を解釈・解説して句が優れていることを説明する。 鍵和田秞子の句が理解できない人にも彼女の句が優れていることを百句の鑑賞・解説を通じて納得することが可能となる。 本著は、はじめて『鍵和田秞子全句集』を読む人にとって、句をより深く味わうため鑑賞の手引きとなると思う。 俳誌「秋麗」には、藤田直子氏による評論「鍵和田秞子の世界」が連載されている。このじっくりと取り組んだ評論もまた氏にとって師・鍵和田秞子を顕彰するための大切な仕事となるだろう。 今日は「能村登四郎の百句」をいよいよ校了にする。 装幀のラフイメージを和兎さんに依頼。 この本の装幀は、担当の編集者(yamaoka)が、百句のなかに詠まれている季語や物ををひかえておいて、それを装幀者に提案する。 装幀者はそこから、装幀のラフ案を作成していくのであるが、いままでこのシリーズをみてみると案外鳥が多いことに気づいた。 能村登四郎先生はかつてご自身の住まいを「鳰亭」と呼び、作品にも「鳰」を詠んだものが多い。 しかし、今回はあえて鳥はさけて、鳥以外のもので和兎さんにラフイメージをつくってもらった。 そのラフ案を明日着で能村研三氏に送ったのだが、気に入ってもらえるかどうか。 わたしは1,2,3の三案のうち1がとてもいいとおもっているのだけど。 決まりましたらこのブログでご報告しますね。 歩いて出社して、途中でこの犬に吠えられた。
by fragie777
| 2020-12-09 18:48
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