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12月8日(火) 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる) 針供養 旧暦10月24日
枯芙蓉。 老女とはかゝる姿の枯芙蓉 松本 長 この日の空は、鏡のようだった。 有馬朗人氏のご逝去は、あまりにも突然だった。 どの新聞も一面に大きくとりあげ、そのご逝去を悼んでいた。 「ゆとり教育って、有馬先生が提唱したのね」と、初めて知ったスタッフもいた。 2015年にふらんす堂より小さなフランス装の文庫本を上梓されている。 『ゆっくり行こう』(在庫切れ) 「ゆっくり行こう」というタイトルが、有馬先生ご自身の歩み方を語っているのだろうか。 収録されたエッセイにはとくにその事について書かれたものはない。 本書から「ひらめき」と題されたエッセイより、抜粋して紹介したい。 俳句の要諦を「眼前直覚」と言ったのは、畏友・上田五千石であった。見た瞬間のひらめきを俳句にするということであろう。芭蕉も「物のみえたる光、いまだ心にきえざる中(うち)にいひとむべし」と言っている。実は五千石の説はこれに基づいている。 このように、見た一瞬に「できた」と思い、即座に俳句にすることも作句法の一つである。一方、吟行や机に向かっている時、すぐには俳句にならなくても、印象を覚書しておいて、ゆっくり考えた上で作る俳句もある。この覚書の書き方にもいろいろな流儀がある。常に句帳をたずさえていて、思いつくままに書きつけていくのが一方にあれば、心が動いたことの印象をよく記憶しておいて、あとで句帳に書きとめたり、一句にまとめたりするという作句法もある。私は句帳を片時も離さず、覚書をしょっちゅう書き込んでいる。一方、句帳を持たない主義の一人が五千石であった。 私自身が瞬時に作れた俳句でいくつか思いつくままに書いてみると、 水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も 草餅を焼く天平の色に焼く 光堂より一筋の雪解水 などである。 私は学生時代から水中花が好きである。コップや瓶に水を入れ、水中花を沈めると美しい色で咲く。匂うわけでもないし虫も呼ばない。ただ不思議な静かさで水中に花を咲かせる。大学生のころの一夜、これを見ていて、こんな静かな夜のどこかで誰か知らない人が死んでいくかもしれないと思ったのが、この水中花の句である。 ある年の三月、私は九州の太宰府天満宮へ行った。その参道の何軒もの店で草餅を焼いていた。それを横目に見ながらぶらぶら歩いていた時、一軒の店で草餅を裏返した。その時、美しい緑色の一角がちょっとこげて革色になっていた。この緑と革色の対応に思わずこれは天平の色だと思った。その瞬間、草餅の句ができたのである。 もう十五、六年前の二月、私は東北大学へいつものように集中講義に出かけた。その週の日曜日の朝、二人の友人と中尊寺へ行った。その一人はドイツ人であった。雪を踏みつつ参道を光堂に向かってひたすら歩いて行き、光堂の近くまで着いた。僧侶が二、三人で鍬を持って何かしていると思って近寄ると、雪を分けて溝のようなものを掘っているのであった。一人の僧が光堂の入口へ行き、「いいか」と言う。「いいぞ」と言う答えと同時に、光堂の前からこの溝に沿って雪解水が勢いよく走ってきた。その瞬間にできたのが「光堂より」の一句であった。 あげてある三句は、どれも有馬朗人の句として、よく知られている句である。 それぞれがある「ひらめき」の下に出来上がった句なのだ、ということがこのエッセイを読むとわかる。 わたしにはこのエッセイのなかで「水中花」についての文章がとりわけ印象深かった。 「水中花」が好きな大学生だったという。しかも、一夜それを眺めていて「誰か知らない人が死んでいくかもしれない」と思ったという。お目にかかればいつも明るくて優しくて人への配慮をうしなわない有馬先生であったが、わたしはこの「水中花」の一文を読んで、ひっそりとした心の闇を思ったのだ。コップの中の水中花を夜のひかりのなかでずうーっと見つめている若者、そして死にゆく人を思う、ちょっと尋常じゃない。ゾクゾクしてくるようなものがある。有馬朗人という俳人が、このような魂が透きとおっていく時間を通過しているということ、それがわたしにとってはとても大切なことに思われたのだった。 孤独な夜の底で水中花をみつめつづけた青年が有馬朗人なかにいた、ということをわたしたちは記憶しておきたい。 あらためて、 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2020-12-08 19:34
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Comments(2)
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通りすがりの方へ
ご指摘ありがとうございます。 さっそくにお直しいたします。 謝!謝! (yamaoka)
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