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12月3日(木) 旧暦10月19日
今日はわがふるさとの秩父夜祭りの日である。 「やったのかしら?」と言うと、 「やったらしいですよ、縮小して」とスタッフのPさん。 「そうか、、、やったのか」 「夜中まではやらないで早めにおえるということで」 →秩父夜祭 例年はもの凄い人出であるが、今年はどうなんだろうか。 もう久しく行っていない夜祭りの風景がにわかに蘇ってきた。 サーカスの一団がやってきて、見世物小屋がたち、メリーゴーランドがまわる。 記憶の風景ではすべてが夜の光のなかで行われ、つかの間の夢物語のようだ。 迷子にならないようにわたしたちはしっかりと手をつかみ合って夜の雑踏のなかをぞろぞろと歩き巡る。 花火があがってわたしたちを一瞬いろどる。 煌煌と灯りをともした山車がおおきくゆれながら団子坂をのぼってくる。 男たちが酒臭い息をはきながら走る。 お囃子が地面をとどろかすようにつきあがって腹の底に打ち込んでくる。 荒くれたお祭りである。 洗練や雅とはほど遠い、とがったエネルギーが充満している。 そんな激しいお囃子は、ほかの祭りにはないことを知った。 なかなかロックである。 そのお囃子の激しさは、yamaoka の人格形成の一助となっている、なんて言ったら誰が信じるかしら。 でも、気取って仕事をしてますが、自分のなかにそういう(荒くれた)部分があるってこと、時としておもったりするのよね。 今日はいますすめている能村研三氏による「能村登四郎の百句」を校了にすべく読みはじめる。 読んでいて、前半の句がやはりいいのと、わたしは晩年の句もいいなと思った。結社「沖」を創刊するまでには、ずいぶんと作句にくるしんだ時期もあって、みずから「冬の時代」と呼んで試行錯誤をしておられたようだ。まだ全部に目を通しきれていないのだけれど、今日読んだ句のなかで ひとりでに扉(と)があき雪の街に出る という句が、面白いと思った。句集『冬の音楽』所収のもので六十七歳のときだから晩年ではないが、研三氏の解説によると「軽やかで無内容の句」と登四郎自らが述べている、ということだ。やや力の抜けた感じがいいなと。それと、 霜掃きし箒しばらくして倒る これも面白い。句集『長嘨』所収であるから七十代のときの句だと思うが、こういう句に出合える楽しさがある。12月中に刊行したいとおもっているのだが、ちょっと難しいかもしれない。 能村登四郎先生の作品にあらたに向き会える一冊となることは間違いない。と思った次第である。 明日も引きつづき読んで、あとは全句集と収録句との照合をもう一度して校正スタッフさんもしてくれたのだが、念の為、そして装幀にすすんで、どうなるかな。 ともかく頑張ろう。。。
by fragie777
| 2020-12-03 18:50
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