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11月27日(金) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 旧暦10月13日
仕事場へあるいて向かう途中、 空を見上げたら、 皇帝ダリアが咲いていた。 下を見たら、 茶の花が咲いていた。 仕事以外で家に引きこもっている時間は、どうも夢うつつでぼんやりと過ごしているせいか、 ここ数日のあいだに、 マラドーナが死に、 (なんということか。。) そして、 アドベンチャーワールドにパンダの赤ちゃん(♂)誕生していた。 あら、まあ! で、 いまのわたしの現実は、深爪をして痛いことである。 緊急事態宣言は発令されるのだろうか。 いまスタッフの文己さんが 「失礼します。来週会えなくなるかもしれません」と言いながら帰っていった。 さて、昨日のつづきで、 「現代詩手帖」掲載の外山一機さんのこ「展望」について紹介したい。 タイトルは「淫らな闖入者たち」。 あくまで乱暴な抜粋なので、実際にこの論を読まれることをおすすめしたい。 ここでは「昭和俳句」と俳句甲子園についてふれ、 「加藤郁乎以後」とか、「フロンティアの消滅」とか、「平成無風」とか、ここ数十年にわたって俳句表現史の停滞を叫ぶ言葉はさまざまに生まれてきたが、いずれにしても僕らは、俳句表現の「進歩」を夢見ることの困難さに飽き飽きするほど直面してきた。そうしたなかで、「俳句形式の独特の構造を最も生かし」た句を書くという姿勢を相対的に肥大化させていくようなプラットホームーーたとえば俳句甲子園ーーが若い書き手に受容されているというのは、どういう事態を示唆するものなのだろうか。もしかしたらそれは、「時代や社会や自己や言葉と誠実に向き合っていく」という「昭和俳句」の方法が俳句表現史の次のドアを開くだけの力を持ちえなくなった今日において、「俳句形式の独特の構造を最もよく生かし」た句作という、ゲームにも似た営みに淫してやまない世代の、その淫らな姿勢こそが、実は、もはや明日の来ない俳句表現史をバックドアからゆさぶるものとして機能しつつあるという予兆なのかもしれない。 たとえば、「データベースの集積から生まれた誠実な結晶体」(青木亮人「俳句時評」(朝日新聞」2019・9・29)と評される『水界園丁』(港の人、2019)によって2020年度田中裕明賞を受賞した生駒大祐は、こんなふうに述べている。 生駒 ふつうは、季語のラインと師系のラインとがあって、その二つで作れちゃうんですよね。僕は師系というものがないので、自由に好きな俳句とつながりたいです。(安里琉太・生駒大祐・坂西敦子・宮本佳世乃「座談会 作り手、読み手、選」「オルガン」2020・8) この生駒の発言は、生駒をはじめとする今日の若手のありようの一面を的確にとらえているように思う。生駒は「季語のライン」「師系のライン」で「ふつう」は「作れちゃう」と言う。「季語」「師系」を、ある俳句表現を導く関数としてあっさりと並置するような、この迂闊でやや挑発的な言いかたは、むろん意図的なものに違いないが、いずれにせよいかにも今日ふうの発言だ。以前であれば「季語」「師系」という言葉の扱い方は、もう少し慎重になされるものであったように思う。(略) この生駒大祐句集『水界園丁』について、「鷹」12月号で「俳句のあたらしさーー田中裕明賞を読む」で、柏倉健介さんは、(こちらも抜粋であるゆえ、実際の時評を読んでほしい) 「鷹」12月号 よぎるものなきはつふゆの絵一枚 鳥すら絵薺はやく咲いてやれよ 枯蓮を手に誰か来る水世界 シュワキマセリ水中のもの不可視なり などの句をあげて評している。 刊行後たちまち話題を呼んだ句集で、すでに多くの評がなされているが、同集では「絵」「水」というテーマが繰り返し変奏される。私性、生活感、嘱目をほぼ度外視し、言葉のみで一句を構築しようという生駒氏の俳句は、象徴性の高い静謐な詩情で満ちている。(略) 『水界園丁』の句には、プレテキスト=先行する句の存在が指摘されているものがある。「週間俳句」の上田信治氏の論に寄れば、「吾に呉るるなら冬草に綴ぢし書を」は「みちのくの星入り氷柱われに呉れよ 鷹羽狩行」、「真白き箱折紙の蝉を入れる箱」は「真白なる葉子をおもへり法師蝉 田中裕明」に対応して作られているという。そう言われてみると、生駒氏の句を読んだ時に感じる新しさは、私たちが親しんできた現代俳句を、その進行方向上にひき伸ばしたような新しさであるような気がする。この「新しさ」は、おそらく作者が現代俳句の膨大なレトリックを充分に吸収した上で、自身の表現を獲得していった、と言うことに由来するのではないだろうか。 田中裕明賞を受賞した生駒大祐さんの句集『水界園丁』にふれながら、ここでは「俳句のあたらしさ」が、『水界園丁」においていかになされたかについて語られ、外山一機さんの評も「昭和俳句」のあとにくるものとして俳句のひとつのありよう、『水界園丁』に象徴されるような「作れちゃう」作句の方法の新しさ(淫らな!?)についてふれている。 外山一機さんの「展望」をもう少し紹介したい。 それは、無名の書き手だった大久保桂著『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』を取りあげて紹介していること。著者ともどもわたしも嬉しい。 もっとも、いくらこうした時代にあるとはいえ、「時代や社会や自己や言葉と誠実に向き合ってゆく」仕事に意味がなくなったわけではない。なかでも、大久保桂の『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』(ふらんす堂 2020)は、そうした仕事の可能性を感じさせるものだった。 本書は、三橋鷹女論としてはやや異色のものであろう。のちに中村汀女、星野立子、橋本多佳子とともに四Tと呼ばれることになる三橋鷹女は、女性の参入が困難であった近代俳句史にあって独自の表現を切り拓いた一人である。一般に、鷹女が俳句を書き始めるようになったのは、1926年であり、以後「鹿火屋」系・「雲母」系の句会に参加しつつ、「鹿火屋」に入会し、1934年に「鹿火屋」を退会するとともに小野蕪子主宰の「鶏頭陣」へと移ったとされてきた。(略)だが、本書によって、実は1933年10月の「鶏頭陣」の雑詠欄にすでに鷹女の出句が認められることが明らかとなった。 だが、本書について先に「やや異色」と書いたのは、こうした点を指すものではない。 とし、大久保桂さんが鷹女の俳句と出会った「成田」という場所にふれて、 「成田」という場所で、大久保は、その多くが入手困難となっている「鶏頭陣」の所蔵者を見つけ、鷹女の一句一句と対峙していくのである。今回の「鶏頭陣」所蔵者との出会いはむろん、偶然であったにちがいにない。しかし、それは本当に偶然にすぎないものだったのか。読者としての大久保のありようを思うにつけ、僕には「「境涯」「人間」といった作品以前に存在し、点数化が困難な世界像を後ろ盾に句を詠み、鑑賞するという昭和俳句」のあり方が、未見の「鶏頭陣」を引き寄せ、鷹女論を新たな段階へと導いたような気がしてならない。 ほかに外山一機さんは、神野紗希著『女の俳句』についてもとりあげている。 こちらも本書のすぐれた点をふまえながら、なかなか鋭い指摘がさなれている。 是非に一読を。。。
by fragie777
| 2020-11-27 19:21
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