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11月13日(金) 旧暦9月28日
紅葉が待たれる井の頭公園。 朝、時間がゆるせば、ドリップ式で淹れた珈琲をのむ。 今日はすこし時間があったので、ちょっと多めにつくって珈琲茶碗に注ぎ、のこったのを細身の小さなステンレスボトルにいれ仕事場に持っていくことに。 珈琲を飲むときはほんちょっぴりチョコレートを食べることにしている。 木製の丸テーブルに木の椅子、気に入った珈琲茶碗、そしてチョコレート、なんという豊かな時間ってわずか7,8分だけどそう思う。 トルコには「コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならない」という諺が存在する。 という言葉を今日見つけたのだけど、 うふ、まさに、ねっ。 ああ、なんて心をとろけさす言葉だろう。 しばし、うっとり。 で、 ふっと バカじゃあないの、 って自分に突っ込みをいれる。 ほんと、こんなことばっかり思っているイカレた女だって、自分のことを思う。 そうして、 せっかく用意した珈琲入りのステンレスボトルをすっかり忘れたのだった。 新刊紹介をしたい。 菊判正寸上製カバー装帯有り 444頁 鍵和田秞子の既刊句集10冊(『未来図』『浮標』『飛鳥』『武蔵野』『光陰』『風月』『胡蝶』『百年』『濤無限』『火は祷り』)と「『火は祷り』以後」の4042句を収録したもの。ほかに解題・年譜、初句索引、季語索引を収録。 本句集は、当初は「鍵和田秞子俳句集成」として刊行される予定のものであったが、編集途中で鍵和田秞子先生が今年の6月11日に亡くなられたため、「鍵和田秞子全句集」と名称を変更して刊行することとなったものである。 2019年2月7日に鍵和田先生のお宅に伺って、「集成」へのご希望をうかがったのであるが、この時がお会いできた最期となってしまった。 車椅子に乗っておられた鍵和田先生であるが、表情はとても明るくて、『桂信子全句集』を気に入っておられるらしく、「こういうのもいいわねえ」などとニコニコとおっしゃる。 そして、つくづくとわたしを見上げて、 「あなたとは古いつきあいよね」と。 「本当にそうですね」とわたしも申しあげたのであるが、たしかに第1句集『未来図』で俳人協会新人賞を受賞されたときから存じあげていたので、ずいぶんと長い時間が経っていることになる。 その時の鍵和田先生のお気持ちは、この「俳句集成」をきちんと刊行したい、そういう熱意に溢れていた。 この度、『鍵和田秞子全句集』の仕事をすすめながらいつもわたしの心にあったのは、この最期にお目にかかったときの、「あたとは古い付き合いよね」と言いながらわたしを見上げた先生の笑顔だ。 亡くなられてしまってもこの笑顔がいつもわたしの傍らにあって、わたしの仕事ぶりを見つめていたように思えた。 鍵和田先生は、駆け出し編集者だったわたしをかわいがってくださったそのお気持ちをいつも持っていてくださった方だった。 あらためて「鍵和田秞子先生、ありがとうございました」と、この『全句集』の向こうにいる先生に申しあげたい。 さて、 本句集の編集では、「元」と書くのがすこし悲しいが、元「未来図」の方々、守屋明俊さん、角谷昌子さん、石地まゆみさんを中心に編集部の方々が惜しみなく力を発揮された。 窓口になった守屋明俊さんは、たくさんの雑務をかかえながらテキパキと進行をこなし、校正もされ、大変心強くお世話になった。 解題を書かれた角谷昌子さん。句集についてのあるいは収録句についての資料を洩らすまいと最後の最後まで丁寧に解題に取り組まれた。 さらにすばらしい力を発揮したのが年譜担当の石地まゆみさん。これは年譜をみてくだされば一目瞭然であり、生前に鍵和田先生が信頼して任せられただけあって、その年譜作りは執念さえ感じるほどの気持ちの入れ込みようであり、お母さまの介護をなさりながらの年譜づくりはさぞ大変であったと思う。 守屋明俊さま、角谷昌子さま、石地まゆみさま、そして この全句集に関わってくださった皆さまに心から御礼を申しあげたく存じます。 また元「未来図」の皆さま、合同句集などいろいろとご縁をいただきましたことも嬉しく思っております。 ありがとうございました。 すこし『全句集』について紹介をしておきたい。 第1句集『未来図』に寄せた中村草田男の「序にかえて」より。 鍵和田秞子氏─私の勤先の成蹊大学の早い時期の卒業生であり、お茶の水女子大学の教授であり俳諧文学研究の権威である井本農一氏から、確か口頭に於てであったと記憶するが、「私の教え子で、現在ある高等学校で教職についている若い女性で、作句に熱意を抱いている人があるから萬緑で修業させて下さい」と紹介依頼されたのが、秞子氏と私の結びつきの端緒となったのである。井本氏は「未だ萬緑へ加入する程の実技水準にまでは達していないかもしれないが……」と、同氏らしい但し書き的な言葉を添えられたが、そういう物いいの場合にこそ充分に紹介するだけの素質ありと信じていられる証拠だと私は解した。果して秞子氏の実作は、最初から相当に洗練されたものであり、忽ちにして毎月相当の入選成績を示しつつ今日に到った。それもその筈であって、専門が国文学であり広い文学的教養を身につけている存在であったのである。 (略) 桐の花すれちがふ衿乳匂ふ 場面としては女性同士の「擦れちがい」であるが、この一句そのものが徹底的に女性的なものの「いきづき」の上に成就している。「桐の花が咲く頃になるとカステラが妙に乾いて粉っぽくなる」というのは白秋の明治的感覚であるが、「桐の花」とつづく時期の「昼顔」とは、明治的感覚からして女性のセルの装いを連想させるものがある。 「胸辺」といわずして、「衿」とただ一語示されると、比較的緩やかななりで一応キチンと左右から正しく重ね合わされたかたちが思い浮かんでくる。外出姿として整えられたその個所から、ささやかななりで定かな「乳(母乳)」の匂いを感得するのは、女性のみが備えている本能的な母性 感覚の発露である。季節作用によるこの溌剌化は、女性相互間の本能交流、「即自」でありつつも「解放」でもある。(この作者は確か未だいわゆる「子宝」に恵まれていられなかったと記憶する。)ここには、すこやかなかたちに於ての一種の「羨望」の閃きさえも感得できる。 句集『未来図』には井本農一氏が跋文を寄せている。 (略) 秞子さんは、女性には珍しく些事にこだわらない、大まかなところがある。さっぱりしたところがある。もちろん一面に於て非常に女性的であるが、うじうじしたところがない。 (略) 秞子さんはまた良識家である。女性によくあるような考え過ごしがなく、判断は穏当適切だ。教育者として秞子さんが職場で重んじられているのは、そういう点も評価されているのであろう。よき妻であり、よき教師であり、よき社会人であり、そうしていい俳句が作れるとは、こんないいことはない。万事がめでたし、めでたしである。 しかし敢て言えば、万事がめでたし、めでたしであるところに、芸術家としての或る限界があることを、秞子さんはよく知っている。またどうしてその限界を打破すべきかも心得ていて、少しずつその方向を摸索している。本書の中で私がもっとも興味を持ち、注目しているのはその点である。一層活躍されんことを祈る。 中村草田男と井本農一の祝福のもとに上梓した句集『未来図』は俳人協会新人賞を受賞、鍵和田秞子は俳人として恵まれたスタートを切ったのである。その後、俳誌「未来図」の創刊と発展、次々と句集を刊行し多くの俳句の賞も得、たくさんの弟子を育て俳人として充実された歩みをつづけた鍵和田秞子であったと思う。 本句集よりどの句を紹介しようかと迷ったが、まずは俳誌「未来図」最終号において守屋明俊さんが、抄出した20句を紹介したいと思う。 青春かく涼しかりしか楡大樹 『未来図』 すみれ束解くや光陰こぼれ落つ 『未来図』 未来図は直線多し早稲の花 『未来図』 十薬の白さこの世の捨て葉書 『浮標』 鳥渡る北を忘れし古磁石 『浮標』 炎天こそすなはち永遠(とは)の草田男忌 『飛鳥』 夕雲のふちのきんいろ雛納め 『飛鳥』 雷連れて白河越ゆる女かな 『武蔵野』 鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで 『武蔵野』 さみだれはつぶやきつづけ焼豆腐 『武蔵野』 少年の瞳して阿修羅のしぐれをる 『光陰』 生まざりし身を砂に刺し蜃気楼 『光陰』 蝌蚪の紐じゆげむじゆげむと続きをり 『風月』 双頭の雲の峰立つ慰霊の刻 『胡蝶』 庵主てふ花の嫗となりしかな 『胡蝶』 あきらめが女を老いさせ合歓の花 『濤無限』 晩年や夜空より散るさるすべり 『濤無限』 金魚掬ひあれは戦時のいのちの炎 『火は祷り』 火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや 『火は祷り』 代表句はまだまだあると思うが、それは全句集の頁をめくって読者が自身のよき句をみつけてほしい。 わたしは会社づとめの編集者時代に第2句集『浮標』を担当した。その句集に収録されていた次の句が印象的だった。 べたべたと咲く山つつじ主婦の旅 この一句をどういうわけかすぐ覚えた。つつじをみるたびに思い出す一句となった。鍵和田先生ご自身も教師を辞められてその頃はいわゆる主婦であったのかもしれないが、主婦同士がおしゃべりをしながら気楽に旅をする光景、「べたべた咲く」のは山つつじであるけれど、主婦同士の緊張のない距離感のないお互いのありようを「べたべた」という言葉が象徴しているようにも思えて、面白いとおもったのだ。だいいち、「主婦の旅」といったところがユーモラスだ。「会社員の旅」、とか、「坊さんの旅」とかあまり言わないように。ちょっと突き放す視点がいいともおもったのだ。「女の旅」ではなくここはあくまで「主婦の旅」なのだ。もうそれだけで会話の内容も浮かんでこようというもの。山つつじの明るい野性とも響き合う。 句集としては『光陰』に好きな句が多かったが、ここでは一句のみにとどめる。これも地味な(?)句。鍵和田先生の句は、帯にも書いたが、古典など文学的素養がたっぷりあって、日常を詠んでもそこに表情があり深い陰影がある。詩情が立ち上がってくるものが多い。そのなかで、 風いまだ薄刃のごとし春耕す という句は、どちらかというとさっぱりしている。この「薄刃のごとし」が、いい。春先はまだ頬をなでる風が痛い季節だ。人々の生産の暮らしは始まっているのに、風は刃をもっているかのように鋭く頬を切っていく。この季節の風を「薄刃」と捉えた。そして風に身を切らせながら、人は労働にいそしむ。ほかに〈花落ちてさばさばとある椿の葉〉という句もあって面白いと思った。俳人は「落椿」そのもののことは詠むが「椿の葉」のことはあまり詠まない、がここでは花を落とした椿の葉のことを詠んでいるのである。とうぜん木の下にある落椿も見えてくる。ほかに「落椿」では、〈落椿くれなゐをもて世を嘆く〉というカッコいい句も『濤無限』に収録されている。鍵和田先生は、「椿」はお好きらしくたくさん詠まれている。 もう一句のみ、わたしの好きな句を紹介したい。いまの季節の「冬」の句から。 村の教会畳に冬日到りけり 句集『百年』に収録。あたたかそうないい句って思った。冬日がとても歓迎されている。この教会はきっと「キリスト教会」だろう。いまは少なくなったが、小さな村の教会などは、畳敷きであった。わたしの郷里の家も前にはカトリック教会があって、一、二度行ったことがあったが、やはり畳敷きだった。その教会では、畳の上に椅子をおいていたが、村などでは畳に直にすわって礼拝などをするところもきっとあったと思う。冬日はひくく斜めにさしてきていつのまにか正座をしている膝のところまでやってきてポカポカとあたたかい。眠たくなってしまいそう。「到りけり」が、だんだんと冬日が延びてきている様子を的確に表現している。 と、わたしの好きな句をいろいろと紹介しても野暮なだけである。 鍵和田秞子という俳人の全体像を知るためには、じっくりとこの全句集を読んでもらうことにすぎるものはない。 中村草田男先生が亡くなり、私が「未来図」を創刊してから、本年で三十五周年となる。昨年六月、大腿骨を骨折して手術を受けてから、一年が過ぎ、私はその間に米寿を迎えた。医薬に頼る身にとって今日までの歩みは望外の幸であり、天命に感謝するばかりである。 平成二十三年の東日本大震災の惨状は、私の心からつねに離れない太平洋戦争末期の一面の焦土や瓦礫の光景と重なり、哀しみに胸が充たされた。戦争ばかりでなく、近年の震災や災害で犠牲となった方々への追悼の祈りを込めた句を前句集『濤無限』に収めた。 『濤無限』を改めて読み返してみると、祈りの句が多い。本書でも、その思いは変わらず、祈りの句が少なからずある。その中の「火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや」から句集名を採った。 戦中、防空壕で読んだ『方丈記』が私の心に無常観を育てた。やがて西行から芭蕉、さらに近現代俳句へと流れる文芸の本質を考えるにつれて、根本を貫くものは「風雅の誠」であることに思い至った。 草田男先生は、文芸の「絶対」を生涯かけて求め続けた。私はとても先生のようにはいかないが、俳諧の真実を大事にして一筋の「風雅の誠」の道を歩み続けたいと思う。老いの身にとって、まことに心許ない歩みではあるが、俳句の新しみを探り、文芸の世界の無限の天空を見つめてゆきたい。 これは、最後の句集『火は禱り』に寄せた鍵和田先生の「あとがき」を抜粋したものである。俳句の道へこめた鍵和田先生の思いの一端をしることができるのではないかと思う。 (略) 昭和五十九年に五十二歳で「未来図」を創刊し、今年米寿を迎えられるまでの長い歳月を先生は俳句一途に生きてこられた。師であった中村草田男の高い志を継ぎ、広い視野から新しい俳句の可能性を探りつつ、現代俳句の一角を全人的に担われた。優れた指導力を発揮し、選句を重視して後進の個性的な開花に努められた。句集以外にも優れた評論集、入門書を次々と世に出し、「未来図」や俳壇のみならず斯界の学術的発展に尽力さた。 一方、平成十四年神奈川県大磯町にある西行ゆかりの「鴫立庵」の庵主となられてからは、西行から芭蕉、さらに近代俳句へと流れる「風雅の誠」の細い一筋の道を求めて、西行の遺徳を称えつつ、文芸の永遠の継続に取り組まれてきた。 この全句集には第一句集『未来図』から第十句集『火は禱り』までの十句集と、『火は禱り』以後の拾遺として、第十句集未収録の句と同書編纂後「未来図」に発表された句を収めた。これをもって先生の句業の一応の集成としたい。鍵和田秞子俳句研究の一助になれば幸いである。 (略) 守屋明俊さんの「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は和兎さん。 和兎さんには、できるだけ華やかなもの、そして、薔薇の装画にして欲しいと頼んだ。 生前の鍵和田先生のイメージだった。 五種類ほどのラフイメージを用意したところ、選ばれたのがこれ。 ラフイメージのなかでいちばん「鍵和田先生らしい」ということ。 深い真紅のクロスに金箔の文字。 華やかさと重厚感。 見返しにも薔薇の模様を印刷。 実はこれは和兎さんの装丁にはなかったものだ。 白の地模様のあるものだったのだが、わたしは見返しに薔薇をあしらいたかった。 その方がより鍵和田先生らしいと。 その結果このように。 刷り上がったとき、和兎さんもわたしもえらく満足。 扉はシンプルに。 本文。 年譜。 花切れは金色。 栞紐はえんじと白。 ご本のすべてに、ご夫君である鍵和田務氏のご挨拶状が入っておくられた。 謹呈用紙には、鍵和田秞子 と印刷されている。 中村草田男の詩精神にふれ深く感銘し草田男を生涯の師として仰ぎつつ、自身の俳句観をそのおおらかな俳諧性において確立して行った鍵和田秞子の全句集。作品は、生の実感を手づかみでとらえた溌剌たる輝きと向日性の明るさがあり、また古典的素養に裏付けされた詩情によって独自の俳句的境地を確立した。晩年の老いや死を見据えた作品は、句境の更なる深まりをみせるものである。(帯より) もう一度、句集『火は禱り』よりの「あとがき」の一節を紹介したい。 根本を貫くものは「風雅の誠」であることに思い至った。 俳諧の真実を大事にして一筋の「風雅の誠」の道を歩み続けたいと思う。 全句集刊行の少し前にふらんす堂より刊行された藤田直子著『鍵和田秞子の百句』と併せてお読みいただきたいと思う。
by fragie777
| 2020-11-13 21:53
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