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11月11日(水) 旧暦9月26日
写真に写っている三毛猫は、わが家の初代の猫。 薄幸の猫で、生まれたときにすでに猫エイズと白血病に罹っていた。 わが家に来てから一年もしないで死んでしまった。。。 名前は、女の子だけど梅吉(うめきち)、愛称うめ。 いまは家の南側の庭の侘助の下で眠っている。 今日は午後より出社の日。 ひさしぶりに洗濯をしよう。 たまっていた洗濯物を洗濯機に勢いよく放り込む。 で、 洗剤が一滴もないことに気づき、むなしく断念。 送っていただいた俳誌「汀」(井上弘美主宰)11月号に、山口昭男著『波多野爽波の百句』が懇切に紹介されている。 「汀」11月号。 「読書ガイド」という欄で、北村浬さんが評しておられる。見開き2頁におよぶものであり、本著の魅力を十全に語っている。 抜粋して紹介したい。 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 山口氏はこの句を「爽波俳句の原点」と推察。「見たまま、あるがままを描写する。それも瞬間をだ」と。「弱冠十八歳にして、世の中の俳句に対する挑戦であり、俳人波多野爽波として生きてゆく決意表明であると私は、捉えている」とある。加えて本書では「じっくりと」した写生や「もの俳句」が度々語られる。(略) 学ぶべき記述はほかにも多い。句における「詩情」の表れについてである。「ただごとをただごとでないもの」へ、「この力の源」は「季語に全人生を預けるといった俳句とのかかわり方にあった」とし、「直感的は把握」は「詩的事実として俳句の中で生き生きと存在する」と述べている。さらに、俳句の可能性として「俗を自由に使いこなす」。頭で作ったものよりも現実の「もの」で詠む「偶然の必然」の力。推敲力、自選力を高める「多作多捨」の必要性など、詩を表現するための階段を、上る手立てとして語られる。 読了、爽波俳句の「調べ」と「もの」が響き合ってくる。 (略) 本書は俳句を志す者一人ひとりの「一灯」になると思う。一読をおすすめしたい。 新刊紹介をしたい。 四六判変型ハードカバー装帯有り。390頁。 最高に面白くて素敵な一冊だ。 短歌もいい、エッセイも読ませる。 ちなみに「オナカシロコ」って誰?って思った方、 これは猫の名前です。 飼い猫ではなくて、著者が散歩などの途中にときどき会う町に住む猫。 本書にももちろん登場します。 こんな風に。 私と妻が「オナカシロコ」と呼んでいる猫を「プロント」と呼んでいる若い男女がいた。可愛いオナカシロコにプロントは似合わない。「うちのオナカシロコに変な名前を付けないでください」と文句を言いたいところだが、よく考えてみると、オナカシロコは「うちの猫」ではない。だから、なんと呼ばれようと耐えるしかない。今までの人生で何個か綽名を付けられた。高校のときは小林よしのりのマンガ『東大一直線』の東大通に似ているというので「トーダイ」、大学のときは作家の田中康夫に似ているからと「やすおちゃん」。(7月11日より) 歌人・藤島秀憲(ふじしま・ひでのり)氏の第4歌集にあたるもの。エッセイとしては初めのもの。 短歌とエッセイがそれなりにはなれているので、短歌は短歌で味わい、エッセイはエッセイで読ませる、堪能できる一冊だ。 藤島秀憲さんは、1960年埼玉県生まれ、1999年の秋に短歌を始め、2001年の夏に「心の花」に入会。いまは「心の花」の編集委員をしておられる。NHK学園短歌講座選任講師でもある。 たくさんの短歌とたくさんのエッセイを紹介して、わたしが味わったようにこころがホクホクとしてくるような幸せな気分とちょっぴりやるせない哀しみを味わっていただきたいが、ここではほんの一部を紹介する。 一月二十三日㈬ はじめての冬を過ごせるすずめたち羽根で覚えよさまざまな風 さいたま市へ。すずめの子短歌会。はじめは名の無い集まりだったが、私の歌集『すずめ』にちなんで皆さんが名付けてくれた。昼はミスタードーナツで汁そば、コーヒー、ドーナツのセット。五五〇円。ドーナツはポン・デ・リングを選ぶ。もちもちとした食感が好き。はじめて食べたときはガムかと思ったが、やみつきになった。 二月二十五日㈪ 茂吉忌の今宵は猫を探そうかマスクをつけて町へ出でゆく 出勤。仕事をしていると肩を叩かれる、振り向くとレオナルド・ディカプリオが立っている……という夢を明け方に見たので、一日中なんとなく落ち着かない。「華麗なるギャツビー」をロバート・レッドフォード版で観てしまったので、ディカプリオが夢に出て来たのだ。でも、こんなことは初めて。「伊豆の踊子」を山口百恵で観ても田中絹代は現われなかった。野良猫のオナカシロコをこの一か月見ていない。心配。夜になって近所を歩いてみるが、やっぱりいない。 四月二十四日㈬ はつ夏のきのこは箸を逃げやすし まま一献と猪口につぐ酒 エリンギ、しめじ、えのき茸を買う。三種類のきのこをオリーブ油で炒めて塩胡椒で味付け。最後にしょうゆをたらす。ごはんにも酒にも合う常備菜といったところ。それにしてもエリンギを最初に食べた人は実に勇気がある。毒キノコの可能性だってあるわけだし。しかし、その勇気のおかげで今こうしてエリンギを食べることができる。最初に食べたのはフランスのエリンギ伯爵、勇気をたたえてフランス政府がキノコに名前を遺した……というのは真っ赤な嘘。 藤島秀憲さんは、お料理も上手である。中学生の頃にお母さまに家事をしこまれたとある。本書にはときどきお料理をする藤島さんが登場するが、これが紹介したようにまことに(あら、つくれそう)というものばかりで、たいへん参考になる。 五月三日㈮ 十八の夏思い出すとき来たり生きつつ汗の胸を拭えば DVDで「テレビまんが 昭和物語 劇場版」を観る。昭和三十八年の東京が舞台になっている。「巨人の星」の星一徹もそうだが、昔の頑固おやじは怒るとすぐに卓袱台をひっくり返した。卓袱台は小さくてひっくり返し易かったけど、私の父は大きな座卓をひっくり返す人だった。仕事がうまく行っていないのは子どもの私にもわかっていた。ひっくり返した当人は外に飲みに行ってしまい、母が泣きながら後片づけをしていた。晩ごはんが畳に散っているのを見て、私も相当悲しかった。 七月二十九日㈪ 雨音のきこえる夜をふかぶかと体の底に眠りは降りる 出勤。電車の中で津村記久子の『この世にたやすい仕事はない』を読む。「一日コラーゲンの抽出を見守るような仕事」を求めてハローワークに行った女性が紹介された仕事は隠しカメラを使った女流作家の監視だった。最初のうちは違和感を持っていた作家の生活ぶりに影響されるようになってゆく主人公。作家が買うものを自分も買うようになる。そして作家と一緒に生活しているような錯覚に陥る。この夏はセブン‒イレブンの冷製パスタをよく食べている。割り箸ではなく、フォークとスプーンで食べると、いっそう美味しくなる。 十月十三日㈰ 台風が大きく伝えられる朝 落した皿がふたつに割れず 昨日、蕪村の〈門を出れば我も行人秋のくれ〉が介護をしているときの励ましになったと書いた。その介護が終わって、つまり両親が死んで一人になって、家を売りアパートに移るときにも、この句が頭に浮かんだ。いつ死ぬかわからないけれども、今日から死ぬ日まで私は旅人で居つづけるのだろうと思った。季節も十一月の下旬だったから、まさに「秋のくれ」。行人は旅人という意味だが、そのとき私は死に向かって行く旅人だった。〈ちちははの運び出されし路地をわれ一人死ぬため歩いて出ずる〉と歌った。でも、今こうして生きている。 十一月六日㈬ ひざこぞう見せてジーンズはく人に席を譲られ素直にすわる 「これ以上短くすると白髪がよけい目立ちますよ」と理髪師に言われたのは、五年ほど前。以来、あまり短く刈らないようにしている。祖父も父も真白くなった。私も間もなく真っ白になるだろう。まあ、それはそれで良いとして、眉毛が白くなるのは食い止めたいと思い、海藻をたくさん食べるようにしている。しかし今のところ、食い止め切れていない。ジーンズを今までに何十本と穿き古して来たが、みな右の膝から穴が開いた。穿くときに右脚から穿くので、左脚よりも穿いている時間が若干長いからだと思う。 「あとがき」を抜粋して紹介したい。 この本は二〇一九年の一月一日から十二月三十一日までの私の日々の行動と思いを綴った日記形式の歌集、そしてエッセイ集です。 ふらんす堂のホームページに発表したものを一冊にまとめました。 歌集としては『二丁目通信』『すずめ』『ミステリー』につぐ第四歌集、エッセイ集としては一冊目になります。 二〇一九年は時代が平成から令和に変わった年でした。そして災害の多い年でした。 あとがきを書いている今は二〇二〇年五月四日、先ほど非常事態宣言の延長が発表されました。 『オナカシロコ』に出て来る施設や店舗のほとんどが閉鎖されています。そこで知り合った人には会えないままでいます。いつになったら再び会うことができるのか、まったく何もわからない状況の中、さまざまな不安を抱えています。 もし今年、短歌日記を書いたら、どのようになったのかと思うときがあります。地名や店名などの名詞が減り、映画や本のタイトルが増えたことと思います。時代の状況は使う名詞に大きく反映されるようです。 オナカシロコは町に住む猫です。私と妻が呼ぶときに使っている名前です。他の人は別の名前で呼んでいます。 オナカシロコは二〇二〇年になっても元気です。公園のすべり台の下や月ぎめ駐車場の赤い車の下を主な居場所と定めています。 ふらんす堂スタッフの間では、「是非このオナカシロコを会ってみたいもの」ということが口癖のように出る。 わたしは、この歌集をよぶときに「オナカシロコさんの歌集」とさん付けで読んでしまい、スタッフに笑われる。 言われるまで気づかなかった。 装丁は和兎さん。 まだ会ったことのないオナカシロコさんのことを思って装丁したらしい。 猫は金箔押しとなっている。 カバーをとった表紙。 オナカシロコさん。 扉。 月ごとに。 黄色の花切れと栞紐が可愛らしい。 本書には、沢山の本を読み、沢山の映画を観る著者がいる。 亡くなられたお父さま、お母さまのこともよく出てくる。 悲しい場面もあり、ほんわかする場面もあり、ときどき吹き出してしまうこともある。 読み終えてもいつまでも手もとにおいておきたい一冊だ。 ふらんす堂、いい本つくったわ! というのがわたしの正直な感想である。 12月25日の はるばると遠くへ伸びるわが影の中でも遊べ冬のすずめよ 最初に紹介した「すずめ」の句とともに本歌集のなかでもとりわけ好きな一首である。 『すずめ』という歌集を上梓されている藤島秀憲さんであるので、すずめは特別な存在であるのかもしれない。 そして、エッセイに登場する 「方代研究」の原稿を少し書く。〈一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております〉、山崎方代の歌のなかでもっとも愛する一首。 この山崎方代の歌を知ったことも素敵だ。 「南天の実」を見るたびに思い出すことになるだろう。 わが家にいたオナカシロコならぬムネシロコ。 今年の2月に死んだヤマト(♀)
by fragie777
| 2020-11-11 19:36
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Comments(2)
三匹の猫の下僕をしている私にとっては、オナカシロコさんの歌集(笑)は、大変惹かれるものがあります。
方代さんの南天の歌にもヤラれました。男性なんですね、歌の感じで女性だとばかり・・・。 そして、最後の山岡さんの二行が、字余りの短歌に思えるのは、私だけでしょうか。
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myuamaさま
まあ、3匹の猫がいるとは羨ましい。 猫はなんというか、、、、 ですよね。 あらまあ、ほんと、ヘンな短歌になっている。 笑える。。。。 コメント嬉しく拝読しました。 (yamaoka)
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