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11月10日(火) 旧暦9月25日
先日散歩した井の頭公園でのパフォーマンス。 「モナ・リザ」とある。 これは「聖母子」 「鯱(しゃちほこ)」。 ずっと見ていたかったのであるが、家に来客の予定があって断念。 今日は「大地の会」の宅配便がくる日。 ピンポーンってチャイムがなる。 二階のわたしは、「はーい」と言って、 いつもよりは若干しとやかに階段をおりていったのだけど、 宅配のお兄さん、 気づいてくれたかなあ。。。 田中裕明賞受賞者である鴇田智哉さんが、第3句集を上梓され送ってくださった。 第6回「田中裕明賞」を受賞した句集『凧と円柱』につぐ句集である。 句集『エレメンツ』(素粒社刊) 定価1700円+税 巻末にかなり長い「あとがき」が付されていて、鴇田智哉さんの俳句哲学が記されている。俳句の分け方、並べ方にも、その項目毎に意味があり、それについても記している。 が、 「あとがき」から先に読まないyamaokaは、いつものように気になった句や好きな句に付箋をはっていった。だから、鴇田智哉さんの意図するところは無視してどんどん読んでいく、という乱暴ぶり。 で、何句か紹介したい。(鴇田さん、こういう読みでごめんあそばせ。) かさなりの深みへどくだみの緑 あたたかな木とさかさまに映る木と わななきのこゑあり柿の花ひらく 水飲み場から生えてゐる曼珠沙華 日の丸の三つ浮かんですすきの日 友引でみんな薊のかほで来る 会をしに出てゆく秋の体たち 枯園におほきな玉の日が浮けり あたらしいとんぼがとまるアスファルト あらすぢが見ゆ河骨のあかるみに あげていって、あらって思った。それは植物を詠んだ句が多いってこと。意識的にそうしたわけではないけど。わたしの好みがたまたまそうなったのだ。「とんぼ」の句、好きだわ。 「あとがき」を抜粋、ほんとうに少しだけど。 生えている句を作りたい、と思ってきた。草や花がそこにあるように、俳句もまたある。草や花がなにかの代わりとしてそこにあるのではないように、俳句もまた何かの言いかえとしてあるのではない。草や花のひとつひとつに対して人は、美しいと感じたり、そうでないと感じたりする。つまり、その草なり花なりへの感想はいかようにも生じる。でも、それをこえて変わらないのは、その草、花がそこに、ある、生えている、ということだ。だから私は俳句を、記録や報告や手紙、あるいは日記とは違って、造形物とか音楽に近いものだと思ってきた。今もそう思っている。 (略) この句集はいわば、私の組成の空想的な設計図だ。ただし、文法が言葉より先にあるのではないのと同じで、設計図が先にあるのではなく、私と句が先にある。句を配置するにあたっての私の興味はあくまで、わたしの組成における大まかな傾向、への推測によるものであって、もとより「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」の相互に浸透する様相があり、すべてが運動しているともいえることは、確かである。それは、一人の人間がそのようにできていて、解き明かされ終わることがない、ということと同じなのだ。 本句集には、実験的な試みのもとで作られた句も入っているようだ。 「あとがき」に「組成」という聞き慣れない言葉が出てくる。広辞苑では、「複数の要素・成分をくみたてて成ること。また、その各要素・成分。」とあり、「あとがき」の文中に「私の組成を見たい、確かめたい、というのは、この句集作りのなかに一貫した思いである」ともある。 「エレメンツ」と題した所以がおぼろげながら分かってくるような。 つまりは非常に意識・実験的に編まれた句集である。 鴇田智哉さんが、田島健一さん、宮本佳世乃さん、福田若之さんと発行している俳句同人誌「オルガン」を紹介しておきたい。これは22号。あらま、もう22号とは、頑張っているなあ。 若い俳人の人たちを中心に、俳句をめぐっていろいろな企画がなされ、それぞれが平らな視線で俳句について語っている。 今回は座談会。出席者は、安里琉太さん、生駒大祐さん、坂西敦子さん、宮本佳世乃さん。 結社に所属する人、そうでない人にかかわらず、俳句について意見交換(?)を試みようとするもの。 立場性のちがいなどもみえてきて面白い。 生駒大祐さんは、今年度の「田中裕明賞」受賞者である。福田若之さん、宮本佳世乃さんも「田中裕明賞」に応募してくださった。 安里琉太さんは来年度の応募者であられる。 坂西敦子さんもきっと句集を刊行してくださって応募をしてくださることと思う。 「オルガン」は、新しい俳句へむけての発言の場であり、運動体のひとつなのだ。
by fragie777
| 2020-11-10 18:45
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