ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。

11月3日(火) 文化の日  旧暦9月18日


津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。_f0071480_16350852.jpg

たった一輪咲いていたわが家の侘助。

もうそういう季節なのか。。。


「大地を守る会」という宅配を利用しているのだが、今日とどいた品物に注文していなかった「低温殺菌・低脂肪乳」という牛乳がまざっていた。
(あれっ、注文したっけ?)って一瞬思い、(まっ、いいか)と。しかし、注文したはずの「かつおリッチだしの素」が入ってないことに気づいた。どこでどう間違えたかさっぱりわからない。しかし、それ以上おのれを追求することはせず、あまったコーヒーにその牛乳をいれて「ミルクコーヒー」にしておいしく飲んだのだった。ミルクコーヒーを飲むのは、いったい何年ぶりだろうか。


午前中から午後にかけて新刊の藤島秀憲歌集『短歌日記2019 オナカシロコ』を読む。すこし先になるがこのブログで紹介するために。
短歌と日記が365日分であるから読みではたっぷりとある。そしてたいへん面白いことを発見した。読んでいてこちらのこころがまったりと和んでくる。短歌もすうーっとこころに入ってきて、日記はそれ自体で楽しく肩こらずに読ませる。紹介したいとおもったところは付箋を貼りながら読んだのであるが、付箋だらけになってしまった。まだ全部読みきっていない。いまは仕事場であるが、また帰って読むつもり。家ではリクライニングチェアで読んだのであるが、まさにこの本を読むには格好の場所である。
「ふらんす堂、いい本出したじゃん!」って思わず呟いてしまった、そんな一冊である。
ささくれだったこころがほんわかとしてきて癒やされますわよ。





新刊紹介をしたい。


木村裕一句集『柊』(ひいらぎ)。

津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。_f0071480_16362751.jpg

四六判ハードカバー装帯あり 208頁 2句組  

著者の木村裕一(きむら・ゆういち)さんは、昭和36年(1961)宮城県石巻市生まれ、石巻市在住。平成21年(2009)「屋根」入会、斎藤夏風に師事、平成24年(2012)「屋根」新人賞受賞、平成26年(2014)「屋根」同人、平成29年(2017)「屋根」終刊にともない、「秀」入会、染谷秀雄に師事。俳人協会幹事 宮城県芸術協会会員 宮城県俳句協会会員。本句集は第一句集、平成21年(2009)から平成30年(2018)までを収録、序文を染谷秀雄主宰が寄せている。
著者の木村裕一さんは、東日本大震災の被災者である。
そのことを「あとがき」でリアルに書かれている。
それをまず紹介したい。

東日本大震災当時、私は石巻市内の中学校に勤めていた。津波により学校は水没状態となり、三日間ほど職員室の机の上で過ごすことを余儀なくされた。窓の外は冷たい春の月光に照らされた水が海面のようにどこまでも続き、避難に来た何百台もの自動車が沈んだ。簞笥などの家財道具やタイヤなども次々と流れてきてはどこかに消えていった。非日常ともいうべき状況の中で、机の上にただ座っているだけで何もすることができず、頭の中はいろいろなことが浮かんでは消え、自然に対する畏怖、畏敬ということを忘れてはならないと心から思った。歳月が流れてもその考えは少しも変わることなく、自然の息遣いを感じることができるそんな人間でありたいと思っている。

まさに被災者として過酷な体験をされた木村裕一さんである。

 春北風橋を吞み込む黒き波
 黒南風や津波に耐へし河口橋
 倒れたる狛犬の腹蟻這ひて
 浸水の壁の色褪せ今朝の秋
 朝日さす塩抜きの田に稲咲いて
 鶺鴒の地割れの道をなほ叩く
 秋雨や地盤沈下の港町

教頭の任にあった平成二十三年三月十一日十四時四十六分東日本大震災が起った。石巻市立住吉中学校で被災した。石巻は計り知れぬほどの甚大な被害となり、教師として大変辛い体験をした。学校は海岸線から四キロほど内陸にあったため津波の直撃は受けなかったものの地震発生四十五分後には地元住民二千五百人ほどが学校の体育館に避難してきたため裕一さんは全員を校舎の上に誘導し二次避難させて難を逃れた。学校は完全に水没状態となり、床上八十センチまで水が上がり教職員は職員室の机を寄せ合い水がすれすれの机の上で寒い日々を救助の届かないまま飲まず食わずの昼夜三日間を過ごした。水がほぼ引いたのは一週間後であった。

こちらは、染谷秀雄主宰の序文からである。そして、

 炊き出しの湯気春暁に満ちあふれ
 避難所の小さき花瓶の桜かな
 秋刀魚焼く匂ひ仮設の家に満ち
 地震のことしばし忘れて新酒酌む
 野晒しの瓦礫ひと山寒雀
 鰹売る声の響きも仮家並
 幾度の避難所の夜や秋出水

混乱の中にあって「石巻句会」の構成メンバーの存在は大きかった。
東日本大震災のために「石巻句会」は中断を余儀なくされ、一時は連絡も思うように行かず心配したが、世話役の一人が奔走してくれて安否を摑み、全員無事であることが確認され、混乱の中でも一回休んだだけで句会を再開することができた。こんな中、裕一さんの句歴はまだ浅かったが、俳句があったことで恐ろしい津波を目の当たりに見た実体験を震災直後から復興の数年にわたり詠み続けた。一連の震災の作品は裕一俳句にあって本集の中心にある。

わたしたちは俳句を通して、被災者の方たちがいかに再興へと希望をつないでいったか、知ることができるのだ。まさに俳句をとおして被災者の現場を実感するのだ。

 枕木の木目の消ゆる春の雪
 空蟬に影の生まるる街路灯
 自転車の錆濃くなりて卒業す
 春の日を集めて玻璃のひとかけら
 空蟬の夜の光に影成して
 吊鐘の少し揺れたる春の風
 いぬふぐり津波到達点の土
 水鳥の水脈引く影の黄昏るる
 軒つらら灯ともる窓の色になり
 まだ落ちぬ紙飛行機に囀れる
 蜻蛉の北上川の風に乗り
 柊の花に降る日のやはらかく

担当の文己さんが好きな句である。そして「被災した土地の景が浮かび 被害の大きさを改めて思いました。」と。

 いぬふぐり津波到達点の土

この句も、震災によってうまれた句である。いぬふぐりが咲いた、いつものところに咲いたのであるがそれはいつもの土でありながら、そうではないのだ、津波が押しよせてきた地に咲いたいぬふぐりなのである。震災の後ふたたび春がおとずれた感慨と小さな草花の生命力、そして津波によって失われた命の数々、いぬふぐりの前に佇む著者の胸を去来するもの、推し量りがたいほどである。たったこれだけの小さな詩がどれだけのことを伝えているか。わたしたちはただ黙するほかはない。いぬふぐりのみが救いだ。

 蜻蛉の北上川の風に乗り

この一句について、木村裕一さんからメールをいただいている。それを紹介したい。「この句は、平成29年8月の終わりころ、小圷建水さんや篠原然さんをはじめととする「古町ウォーク」という花鳥来のユニットの6名の皆さんが石巻に来てくださり、合同吟行会を行ったときに詠んだ句です。 当時の合評会では互選で取ってくれた方は誰もいなかったのですが、その後篠原さんのご配慮で深見けん二先生の選を仰いだところ、特選に選んでいただきました。別に染谷秀雄先生の選でも選んでいただきました。 」という木村さんにとってはわすれられない句なのである。この一句を帯の一句にと文己さんが提案してことを「私自身これまでこの句に特別な思いはさほど持っていなかったのですが、こうして帯を飾る特別な句に昇華したことで、俄かにとても大切な句になりました。それを選んで帯の句としてご提案された横尾様はなかなかのお方だとも思いました。私の本を作ってくださった人としても尊敬しています。」と仰ってくださったのだ。嬉しいお言葉である。

 軒つらら灯ともる窓の色になり

この句はわたしも好きな一句である。軒つららとは、軒に出来た氷柱のこと、東北地方などの寒いところは珍しくもないものだろう。そのつららが、灯がともっている部屋の窓の灯りを反映して、あたたかな色となっているというのだ。美しい景だ。夜の窓辺、そのつららが明るく輝いている。その部屋のぬくもりまでを彷彿とさせる一句だと思った。

 襤褸羽に日は照り続く赤蜻蛉

著者の初期の一句であるが、わたしは好きな句である。「襤褸羽」が、初期の句にみられる生活風景のたくましさとよく響いていいと思った。ぼろぼろの羽で飛ぶ赤とんぼ、しかも容赦なく日は照りつける、それを活写する著者、なんの感情もまじえずに詠んでいるように思えるがあえて「襤褸羽」と詠むことでそこに必死に生きている小さな命の懸命さが見えてくる。

校正のみおさんは、「〈小雪舞ふ水のあふるる手水鉢〉の句がとても好きです。震災のこともいろいろ思い出しました。」と。


私は震災の約二年前の平成二十一年一月、「屋根」の門を叩き斎藤夏風先生に師事したが、夏風先生のご逝去により、その後継である「秀」に入会し、「秀」主宰の染谷秀雄先生に師事し今日に至っている。
俳句を始めて十年以上が経ち一区切りをつけたいと思い、句集の上梓の構想を秀雄先生にご相談申し上げたところ、大変お忙しい中、選句の労をお執りくださった上、懇切丁寧な序文を頂戴し、制作の上でもたくさんのご助言を戴いた。秀雄先生には感謝の気持ちでいっぱいである。
句集名「柊」は〈柊の花に降る日のやはらかく〉による。私が生まれた十一月下旬の頃、目立たないがほのかな香りとともに純白の可憐な花を咲かせる好きな花だ。

「あとがき」をふたたび抜粋して紹介した。



本句集の装丁は、君嶋真理子さん。


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柊を全体にあしらった。

色をグレーにすることによって、オリジナルなものとなった。


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タイトルは黒メタル箔。


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表紙。グレーの麻の風合いの布クロスである。


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花布は、黒と白のツートン。

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スピンはグレー。



津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。_f0071480_16370121.jpg


津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。ひたすら俳句と向き合いさらに伸びて欲しいと願うものである。
                           (序・染谷秀雄)




著者の木村裕一さんが、近影のお写真を送ってくださっった。



津波という恐ろしい震災を乗り越えた今、恐れるものは何もない。_f0071480_18240913.jpg



そして、メールにてお言葉をくださった。

帯で取り上げた句について少し述べさせていただきます。
自選10句は屋根誌や秀誌に巻頭で取り上げていただいたものが中心です。

ただし、「大海に百里の流れ鰯雲」は平成26年に行われた屋根300号記念募集作品で第一席に選ばれた一連の中の一句であり、屋根300号記念のお祝いの会のとき、斎藤夏風先生が全体講評でも採り上げて下さり、「現地の人でなければ作れない句」と評して下さいました。印象深い思い出の作品です。
また、自選10句の10句目の「踏切の棹を越え行く草の絮」は屋根、秀では巻頭句ではありませんが、現在の私の中では一番好きな句です。ある日道を歩いていたら踏切が鳴りバーがおりてきて足止めされました。そこに草の絮が飛んできて、踏切の向こう側にいともたやすく飛んでいきました。自分は人間が作った機械やルールの中で足止めされているのに、草の絮のなんと自由なことか。
一つの草の絮というとても小さな自然がうらやましくなり、あこがれさえ感じました。あんな風に生きていけたらいいなあと思います。

先日初めて句集を手にした時は、産院で我が子と初めて出会って抱っこした時と同じような不思議な気持ちを覚えました。
本日、代送で届けていただいたたくさんの方々から、お電話をいただきました。

これからもさらに俳句に精進し、いつかまた「柊」に続く句集につなげていきたいと思いました。
その時はぜひまたお世話になりたいと思います。




 踏切の棹を越え行く草の絮

わたしも良い句だと思います。

どうぞ、第2句集刊行をめざしてがんばってくださいませ。
そしてまた、句集をおつくりさせてくださいませ。
お約束しましたからね。。
いつかお会いできる日がきますように。





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by fragie777 | 2020-11-03 18:43 | Comments(0)


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