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11月2日(月) 楓蔦黄(もみじつたきばむ) 一の酉 旧暦9月17日
晩秋の三鷹・丸池公園。 真ん中にあるのは楝の木。 びっしりと実が生っている。 イギリスの名優ショーン・コネリーが死んだ。 好きな俳優だった。 「007」のジェームズ・ボンドも、「インディジョーンズ 最後の聖戦」のコネリーも素敵だったが、とりわけ「薔薇の名前」が素晴らしかった。 そして、この映画はわたしの好きな映画の10本の指にはいるくらいのもの。 ショーン・コネリーという役者とともに忘れられない名品だと思う。 立居振舞にエレガントさがあって、その身体に様式が備わっている数少ない役者であると思う。 ひさしぶりで「薔薇の名前」を見ようかなあ、って思う。 そう、「アリストテレスの笑い」ね。 ![]() 教条というものがいかに人間をゆがめ狂わすか、最大の課題だ。(ヨハネによる福音書第8章を思い起こす。) 冊子「ふらんす堂通信166号」が出来上がってきた。 実はわたしは出来上がったのを知らず、いま知ったのである。(ツイッターで出来上がったって言ってるので、ああ、そうなのかなあ)って思っていたのだけど。 受賞特集である。 「第11回田中裕明賞」には句集『水界園丁』で受賞された生駒大祐さんが新作10句と「受賞記念特別寄稿」を寄せている。そして選考委員の方(佐藤郁良、関悦史、髙田正子、髙柳克弘の各氏)の選考のことばも収録。授賞式については、「編集室より」で、3月に開催することを決定したと発表。ただし、受賞者、選考委員の参加にかぎり、授賞式のみ。授賞式後にそれぞれ吟行をしてもらって解散。オンライン句会を行い、授賞式と句会の結果は、電子版冊子「田中裕明賞」にて収録。応募者の方にも関係者の方にも参加していただきたかったのであるが、やはり非常時であることを思い、断念したのだった。 しかし、思うにこの「田中裕明賞」を創設するように提案をされた今は亡き俳人の綾部仁喜氏は、 賞の創設には役不足であり体力がないことを理由に逡巡しているわたしに対して、 筆談のメモをとおして、(綾部先生はそのときはすでに声を失っておられたのだ)「派手なことは必要はないよ」「お祝いの会というよりも受賞句集や応募句集について十全に語られることが大事」と言われたのだった。 小さな版元がやるゆえお金はかけられない、どうしようって思っていたわたしに(ああ、それだったらなんとかやれるかも)と決断をうながす言葉だった。小さく細くしかし、続けて行くこと。 記録として残していくこと。吟行会はやること。 質実にやっていけば、なんとかなる。 「田中裕明賞」はそんな思いのなかで創設された賞なのだということをいま改めて思い返している。 ほかに第16回日本詩歌句随筆評論大賞についての特集。 評論部門・大賞 藤田直子著『鍵和田秞子の百句』 俳句部門・特別賞 ふけとしこ句集『眠たい羊』 俳句部門・俳句四季大賞 寺澤始句集『夜汽車』 俳句部門・奨励賞 吉田林檎句集『スカラ座』 それぞれの方に新作10句と「受賞記念特別寄稿」をいただいている。 「こわい俳句」は、詩人の平田俊子さん。 そして、おなじく詩人の峯澤典子さんによる木村文訳/サロメーヤ・ネリス詩集『あさはやくに(ANKSTI RYTĄ)』評。 そうだ!! それから大事なこと。 大変なミスがあります。 「花実集」「しののめ集」の〆切が間違っていました。 12月3日が〆切です。 1月7日は間違いです。 くれぐれもよろしくお願いいたします。 スタッフのPさんがさきほど、投句者、投歌者の方々にお詫びと訂正の葉書を投函し終えたところである。 「もう、しっかりして頂戴!!」ってyamaokaは檄を飛ばしたところであるが、(こういう私が率先してミスするからあまり強くはいえないのね) つい先日も家の鍵から仕事場の鍵その他鍵全部失くしてしまい、丸一日オロオロしていたところ、スタッフのPさんが捜してくれたのだった。 ブログには書かないけれど、そんなことばっかり。 そんなふらんす堂ではありますが、どうぞ、お見捨てなきようにお願いしま~す。。。 ![]() 11月7日版の図書新聞がおくられてきた。 評者は、詩人・批評家の宗近真一郎氏。 タイトルは「危機の時代(とき)、詩のあらがいの力を求めて 毒虫化する世界の闇の深まりと自ら『毒虫』たらんとする詩人たちの小さな希望」 抜粋して紹介したい。 本書は2015年から2019年にかけて発表された詩論、書評を収めるが、2015年は、安保法案が可決された年であり、国会前のデモの現場からその夜にわたる敗北感、戦争に向かう時代への危機意識、共同体への「自己親和」への異和、抵抗への志向性が一冊を鋭くつらぬいている。(略) 「詩とは詩人にとって、『私である彼方』へ全身をかけて向かうもう一つの身体への行為であり、日常から負性を背負わされ倒立した『世界』を、もう一つの身体が「正置」しようとする意志において、つかのま現れるものである。」 だから、詩は革命である。 「隠されていた『一人の民衆』の身体が『世界』からあふれる空間になりうる」ように、現実への「反回帰的」な裂け目をつくる行動である。この立ち位置からいくつかの詩的実践が現れる。 まず、金時鐘や清田政信を論じながら、衆夷として個を個に立ち返らせ、連帯して共同体(の秩序と排除の構造)にあらがう、共同体の外部に立ち「大文字の他者」に自己解放のたたかいを挑むという姿勢に美を見出す。次ぎに「今という空虚」のなかで共同体に内属し、「特権的で静態的な『詩を書く主体』」によってやせ細る現代詩の様相を批判し、「ゼロ年代」についても、「思想やテーマの希薄さ」=「不毛さ」において「唯一依拠しうる思想」としての「モダニズム」の深度を問う。 さらに、「モダニズム」を通過した鮎川信夫らの「荒地」に対する「戦争責任を引き受ける態度が、決定的に欠けていた」という高良留美子の批判を重視、「自己を物質としてとらえる視点」からランボー的な他者意識を掘り下げ、存在の次元へと詩を切り拓いた「列島」が残した可能性に注目し、「すぐれた詩とは、戦争で向き合うことで生まれる『実存』によって書かれるが、その『実存』とは詩人の意識に対し、無意識深くから倫理を突きつける『物質的自己』である」と記す。以下「略) 床暖房のみで仕事をしていたが、窓を開けているので寒くなってきた。 窓をあけて換気が必須であるとしたら、なかなか厳しい冬になりそうである。 明日はお休みですが、 新刊紹介をします。
by fragie777
| 2020-11-02 19:10
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Comments(1)
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