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10月23日(金) 霜降(そうこう) 旧暦9月7日
黄花コスモス 雨の一日だった。 秋晴れが恋しいこの頃である。 大木あまりさんと久しぶりに電話で話をした。 いろいろとおしゃべりをして、やがていま話題のBTS(防弾少年団)の話になった。 大木あまりさんとはこういう話ができるのが楽しい。 「ねえ、〇〇がいいわよね、わたし好き」とあまりさん。 「あなたはだれ?」 「〇〇は、顔がイマイチだけど頭いいのよ」とか、大いに盛り上がる。(スタッフはあきれ顔) わかるでしょ。 で、 BTSのDVD(もしくはブルーレイ)を購入して、貸してあげる約束をしたのである。 『俳壇」11月号がとどく。 中村雅樹著『橋本鶏二の百句』が、「本の庭」という菊田一平さん のコーナーで紹介されている。 先に『俳人 橋本鶏二』で俳人協会評論賞を受賞した中村雅樹さんの近著。虚子は橋本鶏二第八句集『年輪」の序で「一口に申せば『鶏二は作者である』といふに尽きるかと存候」との述べたという。事実、当時の「ホトトギス」の人たちには、鶏二の句は虚子の唱える「客観写生」から逸脱した主観的な作為があると感じる人たちもいたらしい。 例えば、「鷹の鶏二」と言われた鶏二の代表的な〈鳥のうちの鷹に生まれし汝かな〉〈鷹匠の虚空に据ゑし拳かな〉。 一句目。この句が生まれた背景には、戦時中、敵機に突っ込む特攻隊の切迫した時代背景と心理的背景があったのだという。二句目。これこそ写生の極みとつゆ疑わないでいたが、句会の後、手焙の上にかざされていた虚子の右手を見て、そこに大虚子を表現できる「焦点」を発見して結果、象徴としての「鷹匠」という言葉が引き出されたと、鶏二の弁を引き合いに出しながら鑑賞してゆく。 虚子の序の「鶏二は作者である」ということの意味合いを、一句一句を鑑賞しながら、読者に理解させてくれる労作にして力作だ。 おなじくこの11月号において、吉田林檎さんが取材されている。 「若手トップランナー」というコーナーだ。 吉田林檎さんは、昨年ふらんす堂より句集『スカラ座』を上梓され、第16回日本詩歌句随筆評論大賞奨励賞を受賞された方である。アンケートの「生まれ変わったら」について、「アルプスの少女」って答えておられる。 可愛いな。。。 「俳句四季」11月号。 「俳句四季」11月号では、酒井佐忠さんの「本の窓辺」で、田彰子句集『田さん』がかなり詳細に取り上げられている。 抜粋して紹介したい。「心打つ異色の句集」というタイトルだ。 異色といおうか独特の感性や、人生経験をした人の句集を紹介する。そこから俳句という実に幅広い豊かな特長をもった文芸の魅力が伝わってくる思いがする。まず、田彰子句集『田さん』である。 句集の名として、これは不思議な命名だ。「田さん」は、まさに句集を出した作者そのものの名だ。命名したのは、作者の俳句の師である坪内稔典。さすがにユーモア感覚抜群の「稔典さん」のことである。新句集の名前を相談された「稔典さん」は、「私は、無責任というか、思いつきというか、要するその場のひらめきで、『田さん』にしたら、と言ったのだ。ユニークだし、田家という伝統もこもっているから、と私は説明した」と書いている。そう、田家の伝統というのは、実は田さんの祖先は、日本の女性俳人の草分けといわれる田捨女なのである。これは驚くべきこと。坪内稔典が書いているように、二人の間には「四百年の空気」が流れているのだ。 山藤がふるさとに巻く私にも 桐の花捨女の声を真似てみる じゃこ天の歯ざわりほどの去年今年 「われらの田さんは田捨女の一族である。田さんが捨女の血をひいているから、その地、すなわち田家の系譜のようなものが、故郷や『私』を巻く山藤も」と、山藤の句について「稔典さん」は書いている。(略)ところで、肝心の田捨女とはどんな俳人だったのか。現在の若い人には知らない人も多いだろうが、「女性俳句の草創者」として歴史に残る俳人なのである。(略) 江戸期の寛永時代に、丹波国柏原(現兵庫県)の豪族の家に生まれ、十九歳で結婚。北村季吟らに師事して和歌や俳諧を学び、五男一女に恵まれたが、四十二歳のときに夫と死別した。その後は剃髪して京に出て、和歌俳諧を教授した。丹後山地の山間の丹波の国の名門の家から、「俳諧作者」として広く名の知られて初めての女性となったのである。「稔典さん」が、捨女と「田さん」には、「四百年の空気」が流れているとうのももっともである。さて、肝心の「田さん」の句である。「捨女」が「機知とひらめき」といわれたが、慥かに発想の豊かさと面白さは、受けついでいるように思われる。 桃かじりロングスカート軽やかに スキップのカラスは丘に晩夏光 秋の雨きりんの足を見て帰る 旅に出てザボンのように眠りたし 蛍火や他人になっていく途中 流星をひとつ投げ込み米をとぐ 砂かける象の鼻より秋深む モンゴルの馬の鼻先星流れ むささびの飛翔卑弥呼のイヤリング 余寒とはクレオパトラのアイシャドー (略) 「田さん」の故郷の柏原には、「田ステ女記念寒」もあるという。その記念舘創立に力を入れた親戚の人は、「田家には政治家や実業家などいろんな人がいたが、だれもが五七五の捨女にはかなはない。言葉や俳句の力はすごいものですね」と言ったという。これこそすごい言葉だと思う。故郷を抱えて俳句をつくる田彰子のつぎの句集が読みたい。 おなじく「俳句四季」の二ノ宮一雄さんによる「一望百里」には、春原順子句集『時雨』が紹介されている。 (略) 躑躅燃ゆひもじき思ひの晩年へ 和田耕三郎氏は作者の句の世界に対し「ほろ苦い情の句にひかれた。(略)気取りのなさが、かえって人生に対する作者の微妙なスタンスを表現していて面白い」と述べている。筆者も同感である。 嫁が君われ語彙のなき句作道 満月を引き寄せ鳥になる予感 たましいを売り総立ちの曼珠沙華 夕焼に足踏み外す鳥のころ 秋の山ところどころに向う傷 生き様と共に詩心が表現されている句である。次のような句は一巻の白眉であると思う。 森抜けし曼珠沙華から風に乗る 野分あと手足寂しき群れとなる 今年の二月に亡くなったヤマト(♀) 20歳だった。
by fragie777
| 2020-10-23 19:37
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