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10 月15日(木) 旧暦8月29日
紫式部の実。 友人が仙川にやって来たので、ほんのちょっと会った。 郷里をおなじくし幼稚園から高校まで同じで、彼女は医学をえらび医者となった。仙川の先にある飛田給というところで皮膚科を開業している。 評判がよくていつも混んでいるらしい。 会えば、「元気?」「うん。元気」そんな感じである。 しかし、今日は別れ際に、 「kimikoちゃん、(って呼ばれているの)、すこし姿勢が悪いよ」って言われた。 「あらっ」ってわたしは思わず背筋を伸ばした。 どうも前屈みであるいていたらしい。 ほんのちょっとのことだけど、こう言ってくれる友人って嬉しい。 母にはよく言われたが、友人でもこんなことをさりげなく言ってくれる友人はなかなかいないのである。 幼稚園から一緒だからかなあ。。 11日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」では、小川軽舟句集『朝晩』より。 小鳥来るマクドナルドの朝早き 小川軽舟 「小鳥来る」は気持ちのよい季語。秋の楽しさを具体的に伝える。句集『朝晩』(2019)にあるこの句、早朝のマクドナルドに小鳥が来ている。もちろん、客も次々に。わが家の近所のマクドナルドは24時間営業である。で、時々、散歩の途中に寄って朝食をとる。その場合、私と妻が小鳥、つまり、小鳥になった気分で寄る。 小鳥になった気分でマクドナルドに立ち寄るなんて、いいですね。 新刊紹介をしたい。 A5判正寸ペーパーバックスタイル帯あり 72頁 4句組 第1句集シリーズ 森瑞穂(もり・みずほ)さんは、昭和47年(1972)岐阜県生まれ、現在は岐阜県の安八群にお住まいである。平成8年(1996)より作句を始め、平成23年(2011)「狩」入会、鷹羽狩行、片山由美子に師事、「狩」終刊をへて平成31年(2019)「香雨」入会、令元年(2019)第1回新雨賞受賞、第32回村上鬼城賞「新人賞」授賞。「香雨」同人、俳人協会会員。本句集は第1句集、片山由美子主宰が序文を寄せている。 平成三十一年、五月からは令和となったその年に私が「香雨」を創刊し、「狩」の同人はほとんどがそのまま「香雨」に参加。瑞穂さんももちろんその一人であるが、句作は好調で、同人欄での成績はかなりよかった。選が厳しいという声も聞こえてきたが、そんな中で瑞穂さんはいつも上位の成績だった。そして、新作二十句の「新雨賞」第一回受賞者となったのである。四十代の受賞者は、結社の勢いを象徴してくれているように思った。その際注目した作品をいくつか。 枕木のふくらんでゐる春の雨 海遠くなればはづしてサングラス 液晶に指紋の残る良夜かな 木枯や塔の影踏むハイヒール 予備校の一室点るクリスマス 森瑞穂さんへ寄せる片山由美子主宰の期待のほどがわかる序文である。 そしてまた、 合鍵にうつる体温冬に入る 門灯は人待ちつづけ沈丁花 桜貝話途中で拾ひけり 冬の朝傘はきのふの雨に濡れ などをあげて、丁寧に鑑賞し、「作者の俳句的な勘の良さ」を指摘している。 瑞穂さんが生まれ育ち、今も住んでいる岐阜県には、言うまでもなく海がない。海は瑞穂さんにとって憧れの場所か、詩情をかきたてる素材のようだ。海辺の風景を想像していると俳句が生まれるのかもしれない。そういう、インスピレーションを与えてくれるものを持つというのも大事なことである。時々登場する東京も、瑞穂さんにとっては俳句の女神が住んでいるところなのだろう。これからも想像力豊かに、そして自身の感覚を信じて、個性的な俳句を作ってほしい。 もっと広い世界がきっと待っているはずである。 「あとがき」によると、森瑞穂さんは、20代のはじめに俳句をつくりはじめたという。20代、30代、40代と俳句を作り続けて来られたのだ。20代はたのしく、30代になって子育てをしながら迷いの時期を経験し、40代になって、「狩」に入会し、結社の学びのなかで、迷いはなくなったと書く。いまは「ただひたむきに、俳句を詠んできた」と。 この度の第1句集の刊行は、これまでの俳句の歩をひひとつの形にして、更に新しい気持ちで俳句に向かう、ひとつの区切りとなるものだ。 暑き夜の積み木の崩れ易きかな 花冷の指もて頬に触れらるるドアノブのつめたさに秋来てをりぬ 海遠くなればはづしてサングラス 担当のPさんが好きな句である。 花冷の指もて頬に触れらるる ちょっとドキドキしてしまった。おもわず自分の頬の冷たさでおさえたくなるような一句である。ただの冷たさではなくて、「花冷え」の冷たさの指であること、それがこの句のすべてだ。官能的でさえある。この句、作者の年代的には「子育て期間中」の作品であるので、この「花冷えの指」は、抱いている我が子の指であるかもしれない。幼子が桜の花びらにふれた指をそのままに母親の頬に触れたのかもしれない。母と子の温もりのなかで、指のみが冷たく、母の頬に触れた。感覚が研ぎ澄まされてくるような一句である。その冷たさが、頬より全身に広がっていく、子育て中のふくよかな母親の肉体に滲みわたっていく冷え。それもまた官能的である。あるいは大人同士の親密な関係をおもわせる一句であるかもしれない。頬の冷たさの余韻、胸の鼓動、そして……そう思うとまた甘美でエロティックだ。しかし、ここまで書くと通俗に堕してしまう。それが同じ内容でも俳句という定型で詠まれると通俗にならないから、不思議である。〈身籠りてをり花の雨浴びてをり〉という一句も冒頭にあって、身体と桜が詠まれている。 海遠くなればはづしてサングラス この一句はわたしも好きな句である。青い海と作者の距離が気持ちよく見えてくる。今まで作者は海にいてサングラスをしてビーチをあるいていたりしたのだ。太陽の光はするどく海はきらきらと反射してことさら眩しい。そして海を離れ、海を背にして、歩いていく、太陽の光も穏やかになり、もうそれほどまぶしくないわってかけていたサングラスをはずす、この一句、海は遠くなったけれど、作者の背後には海があるのだ。波音もとおざかり、ビーチであそぶ人の声もとおざかり、賑わいからも離れた。しかし、その意識のなかに海はある。その海が読者にも見えるのである。「海遠くなれば」という措辞、そこに海に対する作者のそこはかとない思いが込められていて、詩情をよびおこす。 宿題の終はらねど行く夜店かな 好きな一句である。「宿題」はきっと子どもの宿題なんだろう。夜店がひらかれていることを知っている子どもは落ち着かない。いこうよおって母親に甘えている。「駄目、宿題をしてからよ」なんていう会話のあとに、母親のこころもすでに夜店へと気持ちがかたむいている。まっ、いいか、行ってみようか、宿題は帰ってきてからやらせようと、子どもとともにいそいそと出掛けていくのである。それほど「夜店」は魅力的だ。または、子どもとそういう時間をすごす楽しさを大事にしているのかもしれない。こういうお母さん、いいな、上手に金魚すくいをして、子どもの尊敬の眼差しを得られるお母さんかもしれない。 雪のにほひの夕刊をひらきたる 「雪のにほひ」って、するよね。わたしはわかる。どういう匂いっていわれると説明がし難いのだけれど、きっとこの句の場合、いつもとは違う夕刊の匂いがしたのである。朝刊でなくて夕刊なのだろうか。慌ただしい朝のひとときではなく、夕暮れとなって心も落ち着き、さてと言って開いた夕刊、一日中降っていた雪の匂いがそこに染みこんでいたのだ。雪の匂いのする夕刊はいつもの夕刊とちがってなにか新しい新鮮な情報を作者に伝えてくれるかもしれない。 本句集のタイトルは「最終便」ですが、私の第一句集です。最終便は、電車やバス、飛行機などの、その一日の最後の便のことですが、一日の終わりを前に読んでいただけたらという思いでつけました。この第一句集をまとめるにあたり、一区切りとともに、また、新たな気持ちで俳句に向き合っていけたらと思っています。(略) 俳句は、いつも私に寄り添い、どんなときも救ってくれています。 これからも、俳句を詠んでいけたら、私はきっとしあわせだと思います。 「あとがき」より。 本句集は第1句集シリーズの一環として刊行された。 この華やかな色は、著者の森瑞穂さんによく合っている。 ドアノブのつめたさに秋来てをりぬ 俳句らしさとは何かを素早く理解する人がいる。瑞穂さんもそのひとりだ。 (序・片山由美子) 著者の森瑞穂さんが、感想を送ってくださった。 写真とともに紹介したい。 森瑞穂さん 句集『最終便』は、私の24年間の俳句をまとめたものです。句集のなかでは触 れてはいませんでしたが、「狩」「香雨」以前にも、所属していた結社がありま した。初学の10年間、その後の4年ほど身を置いた結社の2つがありました。ど れも、そのときには点でしかなかったものが、句集をまとめることで線となり、 私の俳句の一本の道になっていることに気が付きました。 第一句集のタイトルとして『最終便』は、一旦の終わりを示し、またはじまりを 迎える自分へのエールと捉えています。 人との別れや物事の終わりは、ときに哀しさ、淋しさを伴うこともありますが、 また新しい出会い、物事のはじまりであると思います。 私の俳句も、また心新たに詠んでいきたいです。 良き師、よき結社に出会って良かったですね。 さらなるご健吟をお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2020-10-15 20:16
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