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10月14日(水) 旧暦8月27日
これ、わたしがしているマスクなのであるが、この「×」かわいいでしょう。 実はこれ、ホッチキスで留めたもの。 マスクが欠乏しているときに、友人よりまとめて購入した中国製のマスクなのだ。 値段も安いせか、ちょっと粗悪品でマスクをしていると必ずといっていいほど、紐がつけねのところからとれてしまうのである。 友人は「おかしいのはとりかえるわよ」と言ってくれるが、ほとんどがとれてしまうのでマスクが底をついてしまう。 それにもったいない。 で、考えたのがこれ。 ただのホッチキスだといかにもホッチキス留めがわかってしまう。 だからピンクのものを購入。 色のついたホッチキスがあることをこの時ほど嬉しくおもったことはない。 それに可愛らしいし。。。(って笑うな。いい歳の女がって、でも顔はほとんど見えないでしょ。) 毎朝、ガチガチガチってとめて出掛けるのである。 これだけでマスクを無駄にしないと思えば、いいでしょう。 別の色を買って、ミックスしてみたりするのも楽しいかもね。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯あり 172頁 俳人・三橋鷹女についての研究エッセイである。著書の大久保桂(おおくぼ・けい)さんは、福井県敦賀市のお生まれ。略歴によると國學院大學を卒業後、世田谷区三軒茶屋、渋谷区東、新宿区西早稲田、横浜市、豊島区高田などを漂流。千葉県山武市日向に着地。とある。本著のほかに、私家版で『アメリカ旅日記』(1997)、『山下りん』(2002)、『子規の鶏頭』(2014)を上梓している。 本書は三橋鷹女の俳句について書かれたものである。第1部と第2部に分かれ、第1部「成田白珠」はエッセイのかたちの読み物となっており、日常生活をつづりながら鷹女へと導かれていく様子を記したもの。「すみれ」「白菊」の二章にわかれ、ところどころに鷹女の俳句をちりばめる。第2部「憎愛の『鶏頭陣』」は、幻の俳誌「鶏頭陣」と出会い、そこに鷹女の句を見出しそれを詳細にわたって紹介したもの。本書のメインテーマとなるものである。また刊行されている『三橋鷹女全句集』には収録されていない148句が紹介されていることも本書の資料性をたかめている。本書によって鷹女のあらたなる一面を見出すことになるかもしれない。 山を造成して作られた分譲地に当世ふうの建物が並ぶ。車を使っていればそこから生活を営むに必要なものを得る建物まで直結で行ってしまう。 そんな風景に飽き飽きしていた頃、成田を歩き、鷹女を知った。土臭いがどこか奥の深さが感じられる成田山の参道、裏通り、三橋家の墓地。鷹女の匂いがただよっているようだ。成田市立図書館に行き、成田の地名を調べたり、昔の絵地図を見せてもらったりした。鷹女の全集ももう手に入らなくなっていたので、図書館で借りて読んでいた。 「あとがき」より。鷹女へのアクセスの第一歩である。 その鷹女との出会いをまとめようとしていた頃思いがけず「鶏頭陣」と出会ってしまったのである。何日も何日も成田山仏教図書館に通う。図書閲覧申込み書を記入し、しばらく待つとカウンターに、合本された昭和十年、十一年の「鶏頭陣」が現れる。鷹女の名前をさがしつつ、ページを繰っていると、会員や同人の俳句、批評、雑文、後記、広告までも知らず知らずのうちに読んでしまうのだった。まるで私がその時代に生きている読者であるように。 さらに成田山仏教図書館にある「鶏頭陣」だけではなく、他に所蔵されている「鶏頭陣」も読み得て「鶏頭陣」中の鷹女の句をほぼすべて読むことが出来た。「鶏頭陣」中の鷹女だけの俳句や同時代評などをまとめたものをそっくり再現することにより、その時代の鷹女の姿が浮かびあがるのではないかと、考えるようになった。そうすれば資料的にも意味のあるものになる。一方で先達の書籍や資料によって鷹女の全体像を深く知り、私なりの鷹女像を作ることが出来た。成田で出会った鷹女と「鶏頭陣」の鷹女を冊子にしようと思った。 「鶏頭陣」との出会いから、一冊の本にしようとするまでの思いである。 俳誌「鶏頭陣」は、昭和4年(1929)に小野蕪子(おの・ぶし)によって創刊された。三橋鷹女は昭和8年(1933)10月号から投句を始め、昭和11年(1936)11月号まではほぼ毎月掲載をされている。それ以降は不規則になり、昭和13年(1938)には夫・剣三とともに退会をしている。その後「鶏頭陣」は、小野蕪子の急死によって昭和18年(2006)5月号をもって終刊となる。この「鶏頭陣」に鷹女は夫剣三とともに投句をしている。大久保桂さんは、その鷹女の句を綿密にしらべあげ、全句集に収録されたもの、されていないものなど、あるいは、全句集の収録句と初出句との違いなどを紹介している。その作業は根気と鷹女への熱意なくしては出来なかったものだろうと思う。また、「鶏頭陣」の主宰者・小野蕪子の鷹女句評、ほかの俳句仲間たちの評、あるいは鷹女のエッセイなども紹介し、鷹女をとりまく「鶏頭陣」の俳句的状況がよく見えてくる。 昭和12年3月号について、本文を紹介してみる。 三月号 雑詠 二月来るながき眉手を吾がひけば 『向日葵』眉手→眉毛 おもふことみなましぐらに二月来ぬ 『魚の鰭』 死もたのし二ン月穹の青き日は 『魚の鰭』青き→蒼き 雪霏々と二月をのこをゆめみけり 『向日葵』 「選後に」抄 久方ぶりに鷹女の句に接した、鋭い感覚を豊富な言葉と自由な調子に表現して彼女独特の俳句は絶対に彼女のひとりもつところのも の、近頃鷹女まがひの句をそちこちに散見するけれども到底彼女の持味に迫ることは遠い〳〵、彼女は度々いふやうに父祖より豊富な「ことばのしらべ」をもつてゐる、実兄艸央子も亦此のことばのしらべをもつてゐる/彼女の四句はそれ〴〵鋭い感情が適切に表現され てゐるが私は第一句長き眉毛を最も好む(蕪子) 収録されている鷹女のエッセイ「残暑夜話」よりひとつだけ短いものを紹介したい。 指を折る 早大の先生が嘘発見器を発明したといふニユースをよみ又、その実験放送も聴いて、それでは地獄までゆかずとも嘘つきの舌は雑作もなくひつこぬけるであらうと、その今様閻魔の器械を頼もしく思ふことである。─さうだ、彼奴をその器械にかけたなら、ビーと嘸大きな音を立てるであらう。あいつの真赤な舌の根もひつこ抜いてやりたい。それから、あの男もあの女もと、勢ひ込んで指を折り数へ乍らとう〳〵両手の指を折り了つて、ヒマシ油でも飲んだあとのやうにサツパリと疲れてゐた。 ふたたび大久保桂さんの「あとがき」を紹介したい。 「鶏頭陣」における鷹女の句や同時代評をまとめることは、戦前の雑誌であるという性格上、想像以上に難しかった。印刷が古くてかすれているものをコピーしているので、読み辛く、まぎらわしい。正字、新字等の区別。誤植と思われるもの。出来るだけ誌面に忠実に、とは言え、形式は統一しなければ読みやすいものにならない。しかし長い間図書館に眠っていたものをこの世に出すのだから出来るだけ手を尽くしたい。 「鶏頭陣」に向き合っている著者の熱心な姿勢がみえてくる。 こうして出来上がった本書である。 担当は文己さん。 前半のところどころ挟まれる物語調の文章力に引き込まれました。 日常の会話文や「鶏頭陣」のコメント欄で 鷹女の人柄を垣間見えたような気がしました。 お原稿が持ち込まれてから1年以上、 編集作業も大変でしたが勉強になることばかりでした。 複雑な組版をして頂いた緑さん、 また校正者の方々にも、付き合わせから事実確認まで 頑張って頂き、本当に助かりました。 文己さんの感想である。 そして、収載の鷹女の句より好きな句をあげてくれた。 すみれ摘むさみしき性を知られけり ひるがほに電流かよひゐはせぬかこの樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 囀りや海の平らを死者歩く たくましき鶏頭となり燃えはじむ 獺魚によびかけられぬ春の夢 春のゆめみてゐて瞼ぬれにけり 魚の瞳に似たる花咲き夏近し 夏逝くとしん〳〵とろり吾が酔へる 頬に触るゝものなつかしき花野かな 幻影はくだけよ雨の大カンナ 折りもてば掌さみし秋の草 鷹女変じて何になるべし黄雀風 秋風や水より淡き魚のひれ 本著の副題は「その『冒険的なる』頃」であり、「鶏頭陣」時代の鷹女の作品についての謂いである。 この初期の時代を抜きにしては鷹女の句は語れないのである。 資料性の高い一冊となったのではないだろうか。 本著の装幀は君嶋真理子さん。 扉。 目次。 第2部本文。 ペーパーバックスタイルのシンプルな装幀ではあるが、鷹女の華やかさもあるのではないだろうか。 新しい風を吹き込み、 昭和の時代を魅了して駆け抜けた三橋鷹女。 鷹女の才能が花開かんとする初期の句をたどり、 当時の主たる発表の場「鶏頭陣」誌における鷹女の句と 同時代評を余すことなく再現した。 帯にかかれた文章である。 「鶏頭陣」の収録の鷹女の句の初句索引つきというのも著者のはからいである。 三橋鷹女研究の一助となる資料となれば、著者の大久保桂さんもこれほど嬉しいことはないと思う。 著者の大久保桂さんから、ご丁寧なメールをいただいた。 一部を紹介したい。 この本は二つの章に分けました。第一章は「成田白珠」と題し、俳人鷹女の初期を評伝ふうに、成田との関わりの中で、時には私自身のことも交えて書きました。第二章はまず、「鶏頭陣」昭和8年から掲載されている鷹女の俳句、エッセイ、鷹女への評などを、主観を入れずに、時系列的に配しました。全集に収載されていない句148篇とエッセイ4篇を見ることが出来、巻末に鷹女の「鶏頭陣」全収載句索引を付けました。 そして「鶏頭陣」時代の彼女を俯瞰的に眺めることにより、同時代評は勿論のこと、鷹女と「鶏頭陣」主宰の小野蕪子や同人との関係を読み込むことができました。さらに鷹女自筆の年譜や処女句集の「伝」などを援用することによって、あくまでも記録されている事実を基として、その底に読み得たものを書き記しました。 黄ばんで朽ちかけた、戦前のメジャーとは言えない俳誌の中に、俳句に真摯に向き合う鷹女たちの像が甦ったような気がします。時にはユーモアを交えながら生き生きと。言わば内容さえよければ体裁など二の次、簡素であればよいといった私の心境でした。予算も潤沢ではありません。しかしふらんす堂の皆さま、装幀の君嶋真理子さんが、この本にふさわしい用紙を選び、デザインを考えて下さったのでした。送って頂いてまだ一週間ですが、愛着がわいています。 こちらこそありがとうございました。 これは付記であるが、「鶏頭陣」主宰の小野蕪子については、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』にも言及されている。 小野蕪子は永田耕衣の師であったという。 堀切克洋さんによる「永田耕衣」のところである。一部紹介したい。 耕衣の俳句の師である小野蕪子(一八八八〜一九四三)は、翼賛体制下で日本俳句作家協会の発起人の一人となり、常任理事に就任した人物である。戦後は新興俳句弾圧事件における特高警察への密告や俳人への脅迫が証言されているが、その点を差し引いても、戦時下における「鶏頭陣」では大東亜戦争への協力が「思想戦」という名の下で声高に繰り返されていた。昭和一七年、日本俳句作家協会が情報局の外郭団体として日本文学者会に吸収合併されたとき、「耕衣氏も喜んで復帰」したと蕪子は書いている(「鶏頭陣」昭和一七年四月号)。とはいえ、耕衣自身は「戦争を題材とせずとも、銃後の國民としての緊締感を裏づける作品さへ生みうるならばそれは立派な戦時俳句であらう」(「鶏頭陣」〈俳壇年表〉昭和一三年一二月号)という岡本かの子と四賀光子の意見に首肯しており、俳句と政治のあいだには一定の距離を保ちつづけていたように見える。 「鶏頭陣」の時代的位置づけがみえてくる一文である。 このへんのことについても、『鷹女ありて』では触れていることを記しておきたい。
by fragie777
| 2020-10-14 19:08
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Comments(3)
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通りすがり
at 2020-10-15 13:03
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こんにちは。
細かいことですが、日付が違います。15日ではなく14日です。あと火曜日と水曜日も違うような……お忙しいとは思いますが、日付と曜日を確認していただけると嬉しいです。
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at 2020-10-15 13:07
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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fragie777 at 2020-10-15 14:17
通りすがりのお方へ
ご指摘ありがとうございました。 本当にいい加減で自分でもあきれ果てます。 充分に注意して書きたいと思います。 が、 また、へんなことやってましたら 教えてくださいませ。 (yamaoka)
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