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10月13日(火) 菊花開く 旧暦8月27日
このところ住宅地をあるくと、木犀のこぼれつくしたのを目にする。 散り敷いている木犀を見て、顔をあげるとああ、ここに金木犀の木があったのかって気づく。 ![]() この上にはものすごく大きな木犀の木があった。 今朝のミーティングのときのこと、 スタッフの緑さんが、 「おかげさまで鍵和田秞子全句集が校了となりました。みなさんお疲れさまでした」と言ったので、あわててわたしも、 「本当におかげさまで、みなさん、ありがとうございました」とiPhoneのなかにいるスタッフに頭を下げたのだった。(リモート会議である) あとは出来上がりを待つばかり、と開放感に浸っていたら、印刷屋さんのKさんから電話がはいる。 「あのう、帯の用紙ですが、色指定がないんですがあ」とか、「ええと、謹呈用紙は何枚すればいいのでしょうか。」とかとか、やはりそうは楽をさせてくれない。というか、わたしの不手際なんだけど、どうもそこんとこがいつもね。。。 「ええっと、金色ってあったっけ?」「はい、ゴールドですね」と水をうつような返事が返ってくる。 わたしはたいていこんな感じ。ヌケが多く、スタッフに叱られたり、印刷屋さんや製本屋さんに迷惑をかけることも少なくない。 フォローされることが多いのだ。そうであっても本作りそのものはとても楽しい。 (鍵和田秞子全句集、どんな風にできあがるかしら)それを夢見るように待っているときが本作りで一番シアワセなときかもしれない。 昨日、『斎藤夏風全句集』を紹介したのであるが、代表句となる「寒鯉」の句について、興味深い文章を読んだ。 かなり前に読んでいたもので、「寒鯉」の句をみるたびに思い出すものだった。 それは、岸本尚毅さんの著書『俳句一問一答』(NHK出版)のもので、一つの問に答えるかたちで俳句について考えていくものだ。 「『写す』ということ」で、「俳句では、ありのままを『写す』と言いますが、どのような点に気をつけたらよいのでしょうか」と言う問に答えたものである。そこで、岸本さんは、 寒鯉はしづかなるかな鰭を垂れ 水原秋櫻子 寒鯉の背鰭の水はぬめりけり 斎藤夏風 の二つの句をあげて、その違いについて言及するのである。わたしはとても興味深くよんだのであるが、これは人それぞれであるとも思う。もとより「写生」という方法をとらない俳人にはあまり興味のないことかもしれない。しかし、するどい分析があってわたしは面白かった。岸本尚毅さんは、斎藤夏風氏の結社に所属して学んでいた方なので、夏風氏に近いところにおられるということもある。抜粋して紹介したい。 写生の方法を岸本さんは、「追跡型」と「待ち伏せ型」に分けて考えていく。 (略)「しづかなるかな」「鰭を垂れ」といった表現は、作者の得た寒鯉の印象を言葉で追いかけようとしています。いわば「追跡型」の描写といえましょう。一方の「ぬめりけり」はどうでしょうか。鯉の背鰭に当たる水の質感を「ぬめりけり」といったわけですが、この表現は「追跡型」の描写で得られるものとは思えません。むしろ作者の心の中に一瞬の飛躍があって「ぬめる」という言葉が浮かんできた。それを眼前の寒鯉の姿にあてはめてみたら、結果的にぴったりだったのではないでしょうか。「ぬめりけり」という言葉が浮かぶ瞬間は、作者は眼前の鯉をみてはいません。作者は作者の脳裡にある言葉の海から、寒鯉を最も寒鯉らしく見せる言葉を探していたのです。そうやって得られた「ぬめりけり」という言葉を罠のように仕掛けて置いたところ、見事に寒鯉が掛かったのです。私はこのような事例を、ひそかに「待ち伏せ型」の描写とよんでいます。 眼前の景色を言葉でなぞろうとしても決して完璧な捕捉、完全な再現はできません。言葉とはしょせん近似値です。「追跡型」の描写には限度があるのです。そこで私は「待ち伏せ型」の描写を提案します。眼前の景色を前にしていったんは目を閉じ、言葉だけの世界の中で再構築して得られた言葉だけが本物をより本物らしく見せる可能性に賭けるのです。ただ、この方法は言葉だけの絵空事を拵えるわけではありません。あくまでも現実の風景が現れそうなところに、言葉の罠を仕掛けて待つのです。 「風景の後ろから言葉がついてゆく」のでは、言葉は永遠に近似値であることから脱却できません。「言葉が風景に先回りして、風景を待つ」ことによって、真の意味で風景と言葉が一つになるのです。 なんだかウルトラCの技術を要するように思えてしまうほどであるが、「写生」ということについてとても刺激的な文章だとおもった。 斎藤夏風氏の「寒鯉」の句を岸本尚毅さんはこのように読んでいる、ということも紹介しておきたかった。 興味のある方は、もう一度、昨日紹介した斎藤夏風氏の「俳句縦横」を読んでほしい。 その実践によってこの「寒鯉」の一句は得られたのだと思う。 一昨日ブログで紹介した「かいつぶり」と「軽鴨の子ども」のことであるが、どうやら違っていたらしい。 ご指摘くださる方がいた。 ブログに訂正をしておきましたので、興味のあるかたは、読んでみてください。 明言できない部分もあるので、分かる方は教えてくださいませ。 いろんな方が見てくださっているブログなので、あまりいい加減なことは書けないと思った次第。 ただ、書くときはよく知っている人たちを念頭において、けっこう私的に書いているつもりなので、びっくりしてしまうこともあります。
by fragie777
| 2020-10-13 18:55
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