ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

fragie.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ふらんす堂の編集日記と最新ニュースなど。 By YAMAOKA Kimiko
by fragie777
プロフィールを見る
画像一覧
新着記事を受け取る
Facebook Instagram
< March 2026 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
全体
インタビュー
本紹介
賞
未分類
以前の記事
2026年 03月
2026年 02月
2026年 01月
more...
最新のコメント
ありがとうございます。 ..
by fragie777 at 10:18
村山半信さま ありがと..
by fragie777 at 16:30
sinamonさま ほ..
by fragie777 at 16:26
詩歌を作るという豊かな時..
by 村山半信 at 05:08
長い冬を通り抜け咲いたば..
by sinamon at 17:36
村山半信さま ありがと..
by fragie777 at 16:45
sinamonさま あり..
by fragie777 at 16:43
創立記念日、おめでとうご..
by 村山半信 at 05:20
村山半信さま そうでし..
by fragie777 at 09:28
茂吉翁は青年時代、私が住..
by 村山半信 at 05:16
検索
外部リンク
  • 自費出版のご案内 | 出...
画像一覧

もっと見る
エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

会社概要
プライバシーポリシー
利用規約
個人情報保護
情報取得について
免責事項
ヘルプ

50年のうちの43年とは。。。。

10月5日(月) 臥待月  旧暦8月19日


50年のうちの43年とは。。。。_f0071480_17490081.jpg

金木犀。


50年のうちの43年とは。。。。_f0071480_17490303.jpg

路地を歩けば、いまはどこからとなく香ってくる。



 金木犀部屋かへて読む放浪記    鍵和田秞子

 見えさうな金木犀の香なりけり   津川絵理子








俳誌「沖」創刊50周年記念号を送っていただいた。


50年のうちの43年とは。。。。_f0071480_17490512.jpg

「沖」五十周年創刊記念号。 356頁の大冊である。


能村研三主宰が、「創刊五十周年を迎えて」と題して巻頭で挨拶をされているが、抜粋して紹介したい。

本年十月「沖」は創刊五十周年を迎えた。人間の歴史のなかで、やはり五十年という年月は大きな重みと意味をもつものであり、一つの歴史を語れる数字である。(略)
今から五十年前、つまり1970年、昭和45年は戦後25年目、大阪で万博博覧会が開催されるなど高度成長期の終焉期に当たり、日本の進路においても大きな変化の時代であった。
この時、先師登四郎は50代後半にさしかかり、戦後派俳人の一人として名を連ねていただ、第2句集『合掌部落』上梓以降長い「冬の時代」を通り抜けたばかりで、一人の俳句作家としての道をどのように歩くべきか考えあぐねていた。その背を強く押したのは石田波郷で、亡くなる寸前の昭和44年の夏に登四郎に結社誌を起こすように勧めたのである。この経緯は9月までに「沖」に連載した「能村登四郎の軌跡」の中で述べており、この秋に『能村登四郎の百句』として出版されることになった。
「沖」が創刊された時私は大学生で、父が突如始めた「沖」の発行に最初は戸惑っていたが、母と共にすぐその発行業務を手伝わざるをえなくなった。そして創刊から三ヶ月目には、福永耕二の指導する若手の句会に参加した。何も解らず俳句の道に入り込んだ私を、やさいく導いてくれた耕二への師恩は生涯忘れない。
沖五十年の歴史を振り返ると、創刊から30年の間師登四郎が主宰を務め、それからはほぼ20年を私が主宰を務めたこになる。俳句を始めた20歳から50年、わたしも70の古稀を迎えた。
(略)
今回の記念号の中で最も力を入れたのが、130ページにも及ぶ「沖の源流」である。創刊から現在まで「沖」に在籍した同人の方々の作品と、それを推薦した新旧の主宰の選評を掲載した。改めて五十年という長い歴史の中で「沖」から羽ばたいていった作家の層の厚さに驚くばかりである。
(略)
今後来るであろう「新しい時代」へ向けて、古びない新しさを持つ俳句を求め未来へ繋げていけるよう、先師、先輩に恥じない結社を作りあげていかねばならない。


この「わたしも70の古稀を迎えた」という一節にふれて愕然としてしまった。
そうか、いつまでも若々しいとおもっていた研三主宰が、70歳とは。。
この一文に記されている『能村登四郎の百句』は目下ふらんす堂において鋭意編集中であり、来年の春以降に刊行される予定である。

「沖」に在籍した俳人の方々が寄稿されている。
今瀬剛一、鈴木節子、大関靖博、鎌倉佐弓、波戸岡旭、正木ゆう子、中原道夫、大島雄作、筑紫磐井の各氏である。
華やかな顔ぶれである。

そして「エディターが語る沖」という見出しで、編集者三人が寄稿している。石井隆司氏(角川書店)、西井洋子氏(東京四季出版)、そして不肖yamaokaも少し書かせて貰った。辻美奈子編集長より依頼をいただき、登四郎先生のこと、研三さんのことについての思い出など。
タイトルは「43年の歳月とともに」である。つまり50年のうち、43年間の交流をいただいていたことに原稿を書きながら驚いていたのである。
わたし、この業界なんと長いこといるんだろうって。
それにしては、、、なんとも進歩もなく、本作りのおばさんとしてただただ歳をとったのかあって思った次第であるが、本人はあまり歳をとったという自覚はない。
なにしろ能天気のyamaokaであるので。
まだまだガンガン働くつもり。
43年前のわたしと今のわたし、ほとんど何も変わっていない。って思っているのね。
いいのか、悪いのかわかんないけど。。。




ともかくも

能村研三主宰をはじめ、「沖」の皆さま

「沖」50周年、おめでとうございます。179.png179.png179.png179.png179.png

心よりお祝いを申し上げます。

43年の交流を感謝するとともに、44年目にむけてさらによろしくお願いいたします。






先日、俳句文学観報にて、「沖」に在籍しておられた秋葉雅治氏の訃報を知った。

秋葉氏とのご縁は深く、ふらんす堂より三冊の句集を上梓されている。
インテレクチュアルな紳士でおありだった。



50年のうちの43年とは。。。。_f0071480_17491846.jpg

左から第1句集『北回帰線』1998年刊(装幀は中原道夫氏)、第3句集『翠巒』2007年刊、第2句集『卒啄』2003年刊。

作品を紹介して、故人を偲びたいと思う。

第1句集『北回帰線』は序を能村登四郎、跋を林翔が寄せている。
第2句集『卒啄』は序を能村研三、第3句集『翠巒』は帯文を能村研三が寄せている。

 肩書きのなくてハンカチ粋好み
 花三分ほどの艶欲し晩年に
 散骨のすがしさに似て雛流す
 ごきぶりのなまじ艶よき不運かな
 父の日の絆深むる無口かな
 夏掛や軽みといふは重きもの
 淵にひそむ魚のごとくに文化の日
 白河の関で別るる花粉症
 隣人は釘抜いてをり日の短か


1927年東京日暮里生まれ、享年93 
ご冥福をお祈り申し上げます。






50年のうちの43年とは。。。。_f0071480_19234127.jpg

仙川駅前の桜に咲いた返り花


昨日通りかかって咲いていることに気づいたのだった。







Tweet
by fragie777 | 2020-10-05 19:46 | Comments(0)


<< 細部にやどる命の力が押しよせてくる。 俳句は表現。事実ではなく真実を... >>

ファン申請

※ メッセージを入力してください