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9月30日(水) 待宵 旧暦8月14日
昼より出社。 駐車場より見上げる。 「信濃毎日」の4月26日付けの「新刊」案内に、河津聖恵詩著『「毒虫」詩論序説―声と声なき声のはざまで』が紹介されている。 カフカ「変身」で毒虫に変じたのは実は主人公ザムザではなく、彼を取り巻く世界のほうだったのだー。安保関連法が成立した翌朝、詩人である著者は、この作品を初めて読み解けたと感じた。 以来、政治を筆頭にさまざまな「言葉のすり替え」を目の当たりにするたびに「世界から意味というものが消え、人間という存在が形を失う気がした」と著者は書く。 黒田喜夫や茨木のり子、金時鐘ら詩人の言葉を引きながら「どこかに光り出す詩という希望」を志向した詩論集。(ふらんす堂 2530円) 今日も〈読み合わせ」をがんばった。 ふらんす堂スタッフの総力(?!)を結集した。 2句集まで終わって、もう明日にしようかって思ったら、 「もう少しがんばって3句集はやりましょう」って緑さんが言ってくれた。 リモートで文己さんも加わって、Pさん、途中交替して緑さん、ふたたびPさん、そしてわたし。 明日も引きつづき、やる予定。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 214頁 二句組 俳人・野中亮介(のなか・りょうすけ)さんの第2句集となる。野中氏は、昭和33年(1958)福岡県生まれ、福岡市在住、昭和53年(1978)「馬酔木」に入会し、水原秋櫻子に師事、秋櫻子没後は、林翔、杉山岳陽の指導を浮く。昭和62年(1987)「馬酔木」同人、平成7年(1995)第10回俳句研究賞、馬酔木賞を受賞、平成8年(1994)福岡文芸賞受賞、平成13年(2003)「花鶏」を創刊主宰。平成9年(1997)上梓の第1句集『風の木』にて、第21回俳人協会新人賞を受賞。俳人協会評議委員、日本文藝家協会、俳文学会各会員。福岡市文学賞選考委員、讀賣新聞よみうり西部俳壇選者。第1句集『風の木」より23年ぶりの第2句集の刊行となった。 第一句集『風の木』の上木からかなりの時間が経ちました。この間、父母を送り師を亡くしました。私自身も二度の大患に見舞われ、あまり快々とした時期ではなかったように思います。 このような時にあって、体調が良ければ吟行に出かけ、みずみずしい季語の営みに触れては、どれほど生気をもらったことか分かりません。そして、作句に熱中することで他を忘れることができました。私が今あるのも俳句のお蔭とありがたく思っております。 「あとがき」の書き出しの部分を紹介した。 第2句集刊行にいたるまで、ご両親の逝去やご病気になったり大変なときを過ごされたようである。しかし、そのような時期にあって、俳句をつくることが支えとなっていたことが記されている。 句集名「つむぎうた」は、台湾で幼少をすごされた著者のお母さまの思い出からつけられたと「あとがき」にある。 私を寝かしつけるのに決まって母が「がじゅまるさん、がじゅまるさん、つきがでました、まんまるな、おひげのばしてきょうもまた、よいこのゆめにいきましょう」と唄ってくれました。後でこれは台湾に多い「がじゅまるの樹」を詠ったもので、織を教えてくださった台湾のお婆さんが口ずさんでいた紡ぎ唄だと母から聞きました。この唄にはまだ続きがあったように思いますが、幼い私は寝付くまで何度も何度も唄をせがんだと老いた母が笑っておりました。句集名を考えた折、自然とこの唄が思い浮かびそのまま名付けることと致しました。 巻末に付された比較的長い「あとがき」を読むと、作者の身体をながれるリリシズムに触れるような思いがする。作品もまた清新な抒情に貫かれたものである。 そして、俳句の詩型を十全につかって、省略をきかせ、物をとおして情を述べるのが巧みな俳人であるとおもった。 寒林に寒林の空映す水 盆提灯たためば熱き息をせり 山の子も海の子もゐる花火かな わだつみや月下に壱岐のひと雫 竹馬の子に伝言を託しけり 燃えながら皿にとらるる目刺かな 雪の夜のこけしになりしこどもかな 式服の色褪せてゐし稲の花 ひとつ死のほかは事なき梅雨入かな (母逝く) 前半の方の好きな句をあげみた。(好きな句はたくさんあったが) 寒林に寒林の空映す水 本句集のなかでは、抒情句というよりもどちらかというと写生の句であるが好きな句である。「寒林」ということばを二度使用してそれで景をあらわそうとしている大胆な句である思う。寒林という大きな場の把握をして、しかもそこにたたみかけるように「寒林」をかぶせてくる。しかし、そこに立ち上がってくる景はけっして複雑ではなく、葉をそぎ落とした木々の間に見えるひとかたまりの水、それは池でもいいのだが、そこに映った木々と空がすっきりと見えてくるのだ。複雑な構造をもたせて一句を成しながら、寒林を際立たせてみせた一句だ。 山の子も海の子もゐる花火かな 山裾の小さな海辺の町で行われる花火大会なのだろうか。集まってくる子どもたちはお互い同士をよく知っているし、大人たちも子どもたちも一緒になって花火を楽しむのだ。この日、海辺に住む子も山の方に住む子も花火を見にやってくる。それを「山の子」「海の子」として子どもに焦点をあてて村の花火大会の景を蘇らせた。どの子が「山の子」でどの子が「海の子」か、お互いにみなよく知っている。花火に照らしだされた素朴な海辺の町のあたたかな交流の風景だ。 ほかに〈竹馬の子に伝言を託しけり〉〈雪の夜のこけしになりしこどもかな〉など子ども詠んだ句が出てくるのだが、この作者の子どもを見る目が、大人の目ではなくもっと子どもの視線に近いものがあり、子どもというふしぎな領域をもっている生きものへの密やかなオマージュを私は感じるのだ。それもカルティベートされていない自然のなかで息づく子どもたちへの思いなのだが。 うすらひのこの世を離れはじめけり 後半におかれた一句である。「うすらひ」を詠んだ句だ。「うすらひ」は俳人に多く詠まれているが、「この世」を離れていく「うすらひ」ははじめてだ。そう詠まれてみると、地上のなにかにつなぎ止められていた「うすらひ」がそこを離れてやがては消えていってしまうことは、実は「うすらひ」が離れていく先には、別の世界があるような幻をみたのかもしれない。いや、もともと「うすらひ」はこの世のものでなく、ふっとそこに現れたけれどすぐにもとの世界に戻っていくもの、一瞬の別世界のものの結晶であって、しばしこの世に留まっているが、ふたたびこの世を離れていくものなのだ。もともとこの世に所属してはいないのである。この一句、そうであっても「うすらひ」という季語の魅力を読み手に充分に味あわせてくれる一句だと思う。 今、私は福岡で「花鶏」という小さな結社を作り身ほとりの仲間と句会をする幸せに恵まれておりますが、仲間には野に出て、実際、呼吸している季語に触れるように常々勧めています。季語は歳時記にあるのではなく、自然の中にこそ息づいているのだと。そして、その声を実感することで何倍にも人生が豊かに幸せに感じられるようになるのだと。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 本句集の装幀は、和兎さん。 野中さんよりのご希望だった。 「つむぎうた」という句集名に、すこし和兎さんは苦心したようだ。 材質感のある用紙を用いてシンプルにと心がけた。 クロスはあたたかな自然風土をおもわせるもの。 扉。 花布は黒。 栞紐も黒。 洗練された風合いも加味したいということだった。 綿虫や遠弟子として生きて来し 本句集に一貫しているのは、水原秋櫻子の師系につらなる品格のあるリリシズムである。 そして、 本句集には、更に遠くを、更にその奥を、求めんとする著者がいる。 ほかに、 遥かより帰るところの涼しくて 喧嘩独楽産土の香を立たせけり みづうみの氷が草に乗り上げし 祭足袋潮に濡れて脱がれあり 麦笛を吹きそばかすを増やしけり みづうみを渡りし雨や夏茶碗 面売の来る北風の吹いてくる 火のついて寒くなりたる野面かな 純白の湯気立てて人愛すなり 帯にも記された一句であり、わたしの好きな一句である。「人愛すなり」という、ある意味俳句表現においては生々しく、甘くなってしまうところを、「純白の湯気立てて」という措辞で、清潔に清雅に詠んだ。人を愛することが、真っ白な湯気によって浄化されていくようだ。そして月並みな「真っ白」でなく、「純白」という詞がこの愛を「侵すべからざるもの」としたのだと思う。 著者の野中亮介氏が主宰する俳誌「花鶏」
by fragie777
| 2020-09-30 20:39
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