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9月16日(水) 旧暦7月29日
仙川のコサギ。 黄色の靴下をはいているみたい。 あれれれ。 ネームが中途半端なところについちゃった。 まっ、いいか。。 今日は一日在宅で仕事のはずであったが、緊急事態が発生し、 お昼をたべるとすぐに仕事場へ飛んでいく。 緊急事態といってもわたしが招いたことなのでこれはもう誰かを叱るわけにもいかない。 文己さんたちほかのスタッフを騒がせて助けてもらってどうにか解決。 心強いスタッフたちである。 予定を変更して仕事場で夕方まで仕事をすることにした。 「俳壇」10月号がとどく。 もう10月号である。 時の速さはあまりにも迅速で、わたしのスカートの裾のほつれを直すのも待ってくれないほどである。 朝起きて鏡をのぞきこんだとき、わたしはわたしが知っている以上に年老いた女を見出して愕然とした。 わが家の鏡は、白雪姫の継母の鏡以上に正直なのだ。 見なかったことにしよう。。。。 「俳壇」では、橋本石火句集『犬の毛布』について、菊田一平さんが、「本の庭」で取り上げて紹介をしている。 「ハンザキ」主宰・橋本石火さんの第三句集。主宰誌を立ち上げた2013年から2019年までの355句を収録。章立ては、「ぎつしりと」「よもすがら」「やはらかく」「うら若き」「ほろほろと」の五章。章のタイトルとなった句は、〈ぎつしりと花八手ある空家かな〉〈よもすがら雨音つづく根深汁〉〈やはらかく鎌を使へり草刈女〉〈うら若き僧につき来る雪ばんば〉〈ほろほろと闇を讃へて虫送り〉。目次タイトルを一読して分かるように、形容詞や副詞をひらがなに開いて全体をやわらかいトーンでまとめている。句柄も一読明快。標題句は、〈干布団犬の毛布がその横に〉。さりげなく置かれた下五の「その横に」が上手い。まるで上目遣いで主人の世子に待っている生身の犬の姿を彷彿とさせてユーモラス。橋本さんは帯文に、「自然のありのままの姿を 生活のありのままの姿を そこに少しの余情を漂わせた 自然随順の句を」の言葉を作句姿勢として上げている。蓋し名言だと思った。 この10月号の「巻頭エッセイ」にマブソン青眼さんがエッセイを寄せているが、たいへん興味深く読んだ。 そして、「俳句αあるふぁ」秋号が届く。 この号に『波多野爽波の百句』が1頁を使って紹介されている。 抜粋して紹介したい。 「ホトトギス」から出発し、戦後に「青」を創刊した波多野爽波は、その後半生に若い門弟や結社の若手との交流に恵まれ、島田牙城、田中裕明、岸本尚毅、中岡毅雄ら多くの俳人を育てました。著者の山口昭男氏も爽波門下の一人で、爽波没後は「ゆう」で裕明を支えたのち、現在は「秋草」主宰を務めています。その山口氏が師・爽波の秀句百句を選出し、爽波の言葉や同時代評、同時期の伝記的情報や逸話などを丁寧に調査して散りばめながら、一句ごとの要となる表現の技術に注目して解説したのがこの『波多野爽波の百句』です。主に句集に収録された句か作品を拾っています。(略) 初案→一句の見所→吟行地→表現の特徴→評者の感想→句作の背景→句会の雰囲気ーーというさまざまな情報が、短評の中に細密に書き込まれています。この句を誕生を爽波の間近で目撃しているようですが、実はこの句の発表時、山口氏はまだ俳句をはじめてすらいません。執筆にあたって過去の「青」を精読して、調査を突き詰めた様子が窺えます。 巻末には「俳人波多野爽波の教え」と題した小文も収録されています。(略)ひたすら実作にこどわった爽波の考えが、爽波の具体的な言行に基づいて整理されている文章です。 本書の魅力を端的にわかりやすくしかも懇切に評してあって、本当にそとのとおり!って思ったのだった。 そしてもう一冊、今瀬剛一著『能村登四郎ノート(二)』も紹介されている。 こちらも抜粋して紹介したい。 師・能村登四郎の事績をこと細かに調査した本書は主宰誌「対岸」で平成13年から連載されている今瀬氏のライフワークを単行本化したもの。先に『能村登四郎ノート(一)』が同社から平成23年に刊行されており、その続きにあたる本書は登四郎が秋桜子の許しを得て主宰誌「沖」を創刊する直前の昭和44年の足取りからはじまり、平成4年までをさらったところで終わります。五百頁を超す大冊です。 本書は句集ごとに時代分けされていますが、(略)当時の結社誌や総合誌の大部分に目を通して、登四郎の俳句や文章、俳壇における登四郎への言及、そして「沖」の誌面の内容などを細かに指摘し、能村登四郎という俳人がどのような句を詠み、どのようにふるまい、俳壇の諸氏からどのように見られていたのか、徹底的にあぶり出そうとしている力作なのです。敬愛する師の俳人としてのすべてを見据え、自身がつねに勉強をしながら、その成果を伝えたいという熱意が感じられます。表題に「ノート」と銘打たれている通り、問題提起や結論を伴って論旨が一貫する評論ではなく、ひたすらに資料と向き合って見えてきたもの、そこから考えたことが書かれている点がユニークです。(略) 作品の引用も豊富で、文章はその大意を要約して紹介しています。各誌での登四郎への言及も発見できた限り紹介され、また総合誌への寄稿については同じ欄、同じ特集に載った俳人の名前も記録されているなど、資料としての価値が高い一書になっています。 本号において俳人の田島健一さんが、松内佳子著『俳句を標に』について短評を寄せてくださっている。 短評であっても本著の魅力を十全に語ってくださた。 本書は著者が二十年余の間に書き溜めた評論集。句集評、書簡、エッセイなど視野が広い。冒頭は飯田龍太に関する三編の評論から始まるが、それが本書の性格を定めていると言っていいだろう。俳句の背後にある時代と、そこに生きる人間の姿から目をそらさない著者の姿勢が、本書に個有の凜々しさを与えている。 登場するのは他に、日野草城、小澤實、廣瀬直人、村越化石、後藤比奈夫、寺井谷子、大串章など。タイトルのおとり、『俳句を標に』導かれるような一書。 また、本日出来上がってきた『斎藤夏風全句集』と十月末にはできあがる『鍵和田秞子全句集』について、それぞれ染谷秀雄氏と守屋明俊氏が全句集刊行への思いを語られている。 これはそれぞれの句集をブログで紹介するときにあらためて抜粋して紹介したいと思う。 今日もすさまじい勢いで時が流れた。 呼吸を三つ四つして一日が終わる、 そんな感じ。。。 わたしはひたすら、身体に力をいれすぎないように、いれすぎないように、って思いながら過ごした、 そうでも思わないと髪の毛が総毛立ってしまうほど。。。。
by fragie777
| 2020-09-16 18:48
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