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9月14日(月) 旧暦7月27日
霧雨にけぶる神代水生植物園。 打ち伏す溝萩(みそはぎ) これからいよいよ秋も深まっていくだろう。 車で仕事場にむかっている途中、目の前の道路行く手すこし先に、椋鳥が二羽舞い降りた。 車に気づき、一羽はすぐに飛び立ったが、もう一羽がドジドジしていてなかなか飛び立とうとしない、というかうまく飛び立てない。身体のバランスをくずして、体勢がととのわないのだ。 (アレー、轢いちゃうよー)って、わたしは思わず叫び、ブレーキに足をかけた。 途端になんとか飛び立ったのだった。 良かった!! 鳥を轢いたりしたらえらいことだわ、 いまは全地球上の鳥たちと友好関係をむすぼうってyamaokaはひそかに思っているのに。 鳥世界で危険人物としてマークされちゃうじゃない。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 四句組 第一句集シリーズⅠ 著者の大池美木(おおいけ・みき)さんは、1956年生まれ、静岡県富士市在住。俳誌「逢」、「海程」を経て、現在は「海原」「遊牧」同人。2006年、潮賞受賞、2017年、海程新人賞受賞。現代俳句協会会員。第1句集である本句集に、『遊牧」の塩野谷仁主宰が序文を寄せている。 序文を抜粋して紹介したい。 冬苺きれいな嘘を差し上げます どこまでが私どこからが春の宵 都忘れ君はどこ私はここよ コンビニの前に一枚の白夜 恋文を売る屋台あり天の川 いのこずち好きな子ちょっと押しに行く 大池美木作品の特徴は、もちろん感覚的な「モノ・コト」の把握と共に、文体にふんだんに口語調を取り入れることにある。口語調の活用、一歩間違えれば危うい甘さに陥ることにもなるが、俳句特有の韻律にのっとれば独特の武器にもなる。(略)。特に四句目の「コンビニの前に一枚の白夜」。「コンビニ」という現代の句材を配置し、それに「一枚の白夜」という感覚的な世界を結合させる力量。大池さんが経営するコンビニ、夜になるとその灯りにつられてよく近所の若者が集まってくる。その灯りに映し出された模様が「一枚の白夜」と感じられたのかもしれない。現代の世相が書けているのだ。 本句集のタイトルは「きっと瑠璃色」。 このタイトルをみて、「瑠璃色」は何の色なんだろうって思った。 海の色なら月並みだ。人形の目の色か、それも飛躍がない。タマシイの色? それもね。 「瑠璃色」を正確に知りたくて広辞苑をひいてみた。「紫色を帯びた紺色」とある。なるほど。この本の差し色がまさに「瑠璃色」なのだ。しかし、どうして「瑠璃色」と呼ぶだろう。何の根拠があるのか。さらに調べたところ、 本来「瑠璃」とは仏教世界の中心にそびえ立つ須弥山しゅみさんで産出される宝石で、仏教の七宝の一つ。その宝石の色にちなんだ瑠璃色も至上の色として神聖視されました。実際、透明感のあるその色合いは、静かで幻想的な深海を思わせます。 とあり、つまり宝石の色からきているのだ。 著者の大池美木さんにとって、この瑠璃色はとくべつな色なのであろう。 その特別な色を暗示しているものは何なのだろう。 きっと瑠璃色香水に色あらば そうか。香水の色か。 ちょっと思いも寄らない瑠璃色である。香水瓶のことでなく、香水のことである。 香水に瑠璃色をみた大池美木さんの心の飛躍がすばらしい。 セーラーの白線光る聖五月 秋思というガラス函の中にいるきっと瑠璃色香水に色あらば どこまでが私どこからが春の宵 手負いの男美しや寒椿 月よ欲しいものは盗ると言ってみる 担当のPさんの好きな句である。 秋思というガラスの函の中にいる 面白い一句である。「秋思」とは、しみじみと秋を感じ、「人生の寂寥、生存の哀しみから発生するところの物思い」とも歳時記にある。その精神の状態を、作者は、「ガラス函の中にいる」と表現したのだ。クリアに向こうはみえるのだけれど、触れることもできず閉ざされている。ひんやりとして静かで孤独である。そして瓶でなくガラスの函というのである、物への違和感の感触がすこし幻想的な雰囲気を醸し出している。 月よ欲しいものは盗ると言ってみる この句も面白い一句だ。月にむかって宣言をしているのである。かなり大胆な。なんて言ったって、「盗る」なのだから穏やかではない。現実はどうだったのだろうか、決行したのだろうか、それとも「言ってみただけ」なのか。言ってみただけなら、罪はない。わたしだって言えそうだけど、大池美木さんという作者は、言ってみるだけの人ではなく、もっと大胆な行動力のありそうな人に思える。「月」という季語によってこういう句をつくってみせるのだから。何を「盗ろう」としているのか大いに知りたいところ。 手負いの男美しや寒椿 これをPさんが選んだのにまず笑ってしまった。わたしも好きな句であるが、あまりにもちょっとBL(ボーイズラブ)っぽくって。そう思うと「寒椿」がちょっと決まりすぎっていう感じがあるかな。「美しい手負いの男」にゾクッときてしまう。俳句にもこういう措辞が登場するようになったのは大いによろしいのでは。この俳句を読んで、かつて本郷・東大近くにある弥生美術感でみた高畠華宵の絵を思い出した。手負いの美少年。ああ、ますますゾクッとしてくる。 江の島やハンカチのような波が来て この一句、「ハンカチ」が季語である。「ハンカチのような波」が面白く、夏の江の島海岸をおもわせる。白い波、おだやかで活き活きとした波である。サーファーも多く、ヨットに乗る人も多い。夏の江の島への素敵な挨拶句だ。 今回句集を出すにあたりまして自分でも驚いたのは、私が初めて俳句を作った日からもう二十数年が経ったということです。(略) 初めて「遊牧」の鎌倉句会に出席させていただいた時の塩野谷先生の言葉を今でも覚えています。それは、「観念はいいが観念的に書いてはいけない」「抽象はいいが抽象的に書いてはいけない」というものでした。さらなる俳句の奥深さを知った瞬間でした。また鎌倉句会では吟行の楽しさ、その場で俳句を作る楽しさを知りました。(略) 句集名の「きっと瑠璃色」は、「きっと瑠璃色香水に色あらば」より。いつも見えない色を見たり嗅いだりに思いをおいております。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集のために装幀の和兎さんは、ドンピシャリの瑠璃色を選んだ。 美しい色だ。 手も足もばらばらになり蝶の昼 ここには身体感覚の冴えがある。蝶々が乱れ飛ぶ真昼は「手も足もばらばらにな」るとの感覚は、まさしく現代の不安感そのもの。現代を生きる私たちの避け得ない不安。その不安感を身体感覚で捉えた一句と言えよう。ここには生来の感性が働いている。 (塩野谷仁・序より) 花冷えや指をそらして指輪抜く 好きな一句である。やや疲れた女性の表情がみえる。花見にでも行っったのだろうか、帰ってきてほっとしながら指より指輪を抜く。春寒の一日だったのだ。「指をそらして」にやや力を込めながら指輪をぬいている動作が見える。非日常の外出からもどって武装解除をして日常へともどるのだ。星野立子の「春寒の指環なじまぬ手を眺め」の一句を思い出した。指輪はときとして女性の気持ちを代弁するのかもしれない。 指輪といえば、わたしは両方の薬指にずっとはずすことなく指輪をしてきたのだが、昨年だったろうか両方の指が金属アレルギーになってしまって指輪をすべて外した。お医者に行ってクスリをもらってつけて一応治ったと思ったのだが、金属アレルギーというヤツはしつこいヤツで、すぐに再発する。で、指輪はもうつけられない、そればかりか、どうやらやっと落ち着いてきたとおもったらここにきて、あのコロナ対策の消毒液、いろんなお店の前にあるヤツ、あれがいけない。あれをつけると金属アレルギーが再発するのだっていうことが分かった。つけないと叱られるし、金属アレルギーは辛いしで、わたしの指たちはかわいそうである。
by fragie777
| 2020-09-14 19:17
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Comments(2)
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