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9月9日(水) 旧暦7月22日
今日は、夕方まで在宅で何時間もパソコンに向き合ってデータ処理の仕事をしていたのですっかり腰が痛くなってしまった。 隣りの和室で寝っ転がって身体を休めていたら、いつの間にか愛猫の日向子がやってきて、わたしのお腹の上に乗っかった。 やわらくてあたたかくて気持ちのよい重さがある。 猫を飼っている方はきっとわかると思うけど。 飼い主の特権よね。。。。 それにしてもわたしのお腹。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル帯有り 72頁 四句組 第1句集シリーズⅡとして刊行 著者の桂凜火(かつら・りんか)さんは、1958年生まれ、神戸市在住。2008年「海程」入会、2015年「第50回海程新人賞」受賞、2018年の「海程」終刊を経て、現在は「海原」同人。現代俳句協会会員。本句集には、師であった金子兜太氏による鑑賞三句が収録され、また同人代表の武田伸一氏が跋文を寄せている。 兜太氏が鑑賞している三句は 執念(しゅうね)くもよいよい生きて花菜漬け 桃ふたつかたみに息を吸うて吐く 大浦天主堂毛虫一匹入れる瓶 であるが、ここでは一句のみ紹介したい。 執念(しゅうね)くもよいよい生きて花菜漬け 自分の来し方を振り返って今までしぶとく頑張って生きてきたなあという気持。そして今、花菜を漬けていて、やっと生活のくつろぎを得られていると。典型的な境涯句ですね。 修辞が上手です。「執念く」というのがこの人らしいし、「よいよい生きて」のレトリックが面白い。ここでの「花菜漬け」はちょっと洒落ているが、私から見ると少しもの足りない。でも、頑張ってます。 「花菜漬け」はちょっと洒落ているが、私から見ると少しもの足りない。でも、頑張ってます。っていうのが兜太さんらしくていいな。わたしは「花菜漬け」がいいと思ったのだけど、兜太さんだったら、なにをつけたのだろう、興味のあるところだ。 武田伸一さんは、とても丁寧にこの作者について鑑賞しておられえる。桂凜火さんの魅力を一面的だけでなく多方面から浮き上がらせている。タイトルからしてすごい。「異能の才華」である。抜粋して紹介したい。 ハエ取り蜘蛛跳ぶ年寄りを笑うな 大浦天主堂毛虫一匹入れる瓶 蕗の傘差して黄泉ゆく兜太少年 竹婦人サクマドロップもうないよ 菫草怒りの束は光に放つ 今日を跳ぶかぼそさを跳ぶ冬の虫 桂凜火は写生から始めて徐々に階段を上りつつ、自己特有の個性を確立する多くの俳人とは違い、ほかの誰とも同調しない独自の世界で句を作り始めた、希有の作家といってもいいだろう。(略) 対象の核心部に鋭く進入し、他の誰にも真似のできない、桂自身の世界を築き上げていることに注目したい。 と、その独自性を大いに評価しておられる。 たくさんの句をあげて桂凜火さんの俳句の魅力について記している。 少年の降りてくる坂皇帝ダリア 竹皮を脱ぐくらくらと男笑う草かげろうだれのものでもない時間 過去は真綿ぐるぐる巻いて出かけるぞ ふるさとや白木蓮の暗き道 鯛焼きのつらいとか書いてないけれど これは担当のPさんの好きな句である。 わたしが好きな句とはかぶらなかった。 少年の降りてくる坂皇帝ダリア これはよく景の見える一句だ。坂道があってそこに皇帝ダリアが咲いている。わたしがイメージしたのは、なだらかな広幅の坂道でどちらかということ都市郊外の住宅地、緑がそれなりに豊かなところである。季節は晩秋から冬にかけて。この花は背が高く、いつも見下ろされている感じをぬぐえない。坂をおりてくる少年がいる。まだ骨格などが完成途上にある少年、わたしはいまふっとバルテュスの絵に登場する少年を思い浮かべた。この画家の場合、少女の方が印象的なのであるが、少年も登場する。ややかたくなな未成熟さを残した少年。そんな少年と皇帝ダリアはよく似合う。皇帝ダリアが美しく支配する坂を可憐にしてやや反抗的な少年がおりてくる。少年が皇帝ダリアに気づき見上げるか見上げないかは、わたしの知るところではない。が、皇帝ダリアの方は少年をきっと支配下に置こうとひそかに狙っている、のである。 桃ふたつかたみに息を吸うて吐く この句は兜太さんによる鑑賞が紹介されているが、面白い一句だ。そしてエロティックな句だ。「桃二つと、お互いに息を吸ったり吐いたりしている人間が居ると。その二物配合で出来る映像がどうかということ。「かたみに息を吸うて吐く」というのは、桃も二つ、人間も二人。お互いに食べ合っているのは仲のよい二人に違いない。」と、鑑賞する兜太さん。そうか食べるところまでいっちゃうのか、と私は思った。というのは、桃は手にとられずにあり、そこにいる人間もある緊張感のなかでそれぞれが対峙している。だから、息を吸うて吐くという行為がクローズアップされるのだ。桃も呼吸している、そんな気配がその人間(たち)にも伝わってくる。わたしにはそんな風に思えた。「桃の生々しさ、人間の男女の生々しさ、そういう情景が出てくる。」という兜太さんの鑑賞はわかる。ただ、男女と言うところがいかにも兜太さんらしい。仲のよい男女というのは、現実を前向きに果敢に生きられた金子兜太という人の気持ちの良い解釈だ。わたしは、この一句をそうは読めないのだ。ある緊張感のある恋愛の手前にいるような人間同士(男性同士っていうのもあり)が、二つの桃を前にして、向き合っている。桃には触れていない。ましてや食べることはしていない。しかし、この場面では人間の存在は希薄で、やはり二つの桃の存在感の方がよりリアルなのだ。桃が象徴するところのエロス、それが支配している。こんな解釈をして許されるかしら。 桂凜火さんの俳句には背後にいろんな物語が潜んでいる。 読者はそこに自由に心を遊ばせてもいいのだって思う。 もっと沢山の句を鑑賞したいが、長くなってしまいそうだ。 わたしも好きな句をいくつかあげておきたい。 菫草怒りの束は光に放つ 蛍飛ぶ哀しくきれいな切り取り線 ひまわりの毛深き全身屹立す 白梅のよもつひらさか賑わいて 終わらない戦争紙芝居に紙魚 五七五の短い俳句という不思議な形式に誘われて多くの人と出会うことができました。句会での新鮮で心地よい緊張。知らないうちに俳句をこよなく愛するようになっていました。そして、日常生活はいろいろあって日々怒濤、あっという間の十余年でした。句集『瑠璃蜥蜴』をこの度、上梓することができたことは、大きな喜びです。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集のタイトルは「瑠璃蜥蜴」 瑠璃蜥蜴がもつ一色をテーマカラーとした。 蒼穹はカッターナイフ銀杏散る 抱かれてもいいのは夜明け蓮の花 桂凜火の感度は気ままなところが新鮮である。 とにかく多彩。 (第50回海程新人賞選考感想より・金子兜太) 蕗の傘差して黄泉ゆく兜太少年 集中にある、金子兜太への追悼の一句である。とても好きな一句。 蕗の傘が兜太少年にはお似合いだ。この少年は骨太の凜とした勝ち気な目をした男の子(おのこ)である。
by fragie777
| 2020-09-09 19:54
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