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8月4日(火) 旧暦6月15日
深大寺のひまわり。 「梅雨明けとともに猛暑がやってきました。」 とわたしは今日出したはがきやメールになんど、書いたことか。 そのたびに、暑さを感じた。 暑いと感じ、それを言葉にしてしまうとさらに暑くなる。 口をつぐんでいることにしよう。 向日葵が三つ傾く吾が疲れ 細見綾子 向日葵のゆらぐともなきゆらぎかな 深見けん二 向日葵に万年筆をくはへしまま 田中裕明 新刊を紹介したい。 橋本鶏二(1907-1990)は、虚子に師事した俳人である。 本著は、「ホトトギス」で学んだ鶏二における「写生」とは何か、ということをつまびらかにした一書である。虚子のとなえる「客観写生」からはなれて「主観」の色合いを濃くしていった橋本鶏二のおける「写生」とは、どのようなものであったか、作品にそいながら語っていく「橋本鶏二論」である。 鳥のうちの鷹に生れし汝かな 『年輪』昭和十九年 「ホトトギス」の巻頭句。「鷹の鷄二」の代表句、鷹へのオマージュである。この句は、青山高原に舞う鷹の姿や屏風に描かれている鷹からの連想によってのみ、詠まれたのではない。鷄二の証言によると、戦時中という「緊迫した歴史的背景」や、敵機に突っ込む特攻機という「切迫した心理の背景」があって、初めて詠むことのできた句。「鷹の鷄二」を生み出したのは、まさに戦争という非常時であった。写生の大切さを説いて倦まなかった鷄二であるが、写生以前の時代的・心理的背景が一句の趣向を決定している。 鷹匠の虚空に据ゑし拳かな 『年輪』昭和二十一年 昭和二十年晩秋、鷄二は京都での句会の後、京饌寮に虚子を訪ねた。手焙の上にかざされている虚子の右手を見て、鷄二は思いがけずそこに大虚子を表現できる「焦点」を発見し、興奮したのである。伊賀に帰って五六日、句作に打ち込んだ結果、生まれたのがこの句。虚子に対する激しい思い込みが、象徴としての「鷹匠」を引き出した。「鷹の鷄二」の句作の秘密の一端が明らかにされた句でもある。ちなみに〈磐石に眦を曳き春の鷹〉(『松囃子』)、この句も虚子の姿を描きたいという衝動から生まれた句。 巻末の解説でも中村雅樹さんは、この二句がうまれた所以を詳細に書き記しているのだが、わたしが驚いたのはこの句は「鷹匠」を写生した句ではなく、虚子に出会ったことへのあふれる感動、「虚子に対する激しい思い込みが、象徴としての「鷹匠」を引き出した。」ということだ。 では、鶏二における「写生」とは、いったい、、、、 本著の解説において、中村雅樹さんはたいへん丁寧にわかりやくす「鶏二の写生」について説明をされている。 鷄二の写生の特徴について述べたいと思います。 鷄二は「花鳥諷詠の真の意義は、具象化されたる心象の表白にある」と言っています。つまり、写生とは、写生すべき対象にかかわる「心象の表白」なのですが、その心象が「具象化」されていなくてはならない、というのです。言い換えれば写生とは、「具象化された心象」を言葉でもって表白する、その表白の仕方なのです。 (略)ここは大いに省略をしているので本著にあたってほしい。、そして さて、鷄二は「俳句は言葉による彫刻である」とも述べています。「具象化された心象」はわたしの外部にあるものではなく、「心象」としてわたしの内部にあります。それは視覚の対象である映像としてのみあるのではなく、言葉とともにあります。「具象化された」とはいえ、その言葉はまだ十分に具象化されていない、まだもやもやとした不確定なものにとどまっています。鷄二の「写生」はこの「具象化された心象」を、いわば言葉によって確定する作業なのです。すでに言葉として現れている具象を、さらに言葉という鑿を用いて、より真実らしく彫り上げるのが鷄二の写生であると言えるでしょう。「写生」は対象とわたしとの間の関係ではなく、どこまでもわたしの言語空間における営みなのです。 以下、句をあげてそのことについてわかりやすく説明がほどこされるのである。 そして、解説の最後は、 「一口にて申せば『鷄二は作者である。』といふに尽きるかと存候」。虚子は『年輪』の序にこのように書きました。これはもちろん鷄二に対する讃辞なのですが、「作者」という言い方に虚子の微妙な心持をうかがうこともできます。虚子の唱える客観写生からの逸脱を、さらには主観的な作為があることを、暗に指摘しているようにも感じられます。事実、当時の「ホトトギス」には鷄二の見事な俳句に、「こけおどし」や「身振り」を感じる俳人もいたようです。しかしそのように述べた虚子の真意は何であれ、まさに「鷄二は作者である」と言う他はありません。写生とは言葉を鑿として、一塊の言葉を詩として作り出す営みなのですから。 鷹匠の指さしこみし鷹の胸 『鷹の胸』昭和四十七年 この句は、わたしが編集者としてはじめて手掛がけた句集『鷹の胸』に収録され、すぐに覚えた好きな一句である。鷹の胸に指をいれた鷹匠と鷹の緊迫した信頼関係のようものが見えてきて鶏二の「鷹の俳句」の中でもっとも好きな一句である。 しかし、中村雅樹さんは以下のように解説する。 鷹匠の拳に鷹が止まっている写真はよく見かけるが、鷹の胸に指を差し込んでいるところは見たことがない。「ししあて」と言って、親指とひとさし指を胸に入れ、肉の付き具合を測るのだそうだ。鷹の健康管理の一つである。鷹匠と鷹との間に信頼関係があってこそできることである。この句は鷹匠の丹羽有得翁を訪ねたおりの句。かつて虚子の姿から鷹匠を連想した鷄二のことである。虚子と鷄二との関係をこの句に読み込むことも、まったく不可能ではあるまい。 「かつて虚子の姿から鷹匠を連想した鷄二のこと」ゆえにこの鷹匠も単なる写生句ではなく、そこに鶏二の主観が色濃く反映されているかもしれないのである。 しかし、一句に主観がいかに反映されていようとも、結論からいえばどうでもいいことだ。 つまりは、 写生とは言葉を鑿として、一塊の言葉を詩として作り出す営みなのですから。 「写生とは何か」ということを橋本鶏二の俳句をとおして、もう一度問い直すことのできる一書である。
by fragie777
| 2020-08-04 21:55
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