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7月31日(金) 旧暦6月11日
桔梗。 桔梗群れ風の女を老いさすよ 鍵和田秞子 昨夜はおそるおそる運転をしてどうにか家にたどりついた。 とても乗りやすい車だったけど、つくづく思うにわたしは運転のセンスがないのだ。 だから運転席に座ったとたん身体にちからが入ってしまって、がちがちになってしまう。 センスがないという意識がさらに身体をこわばらせ必要以上に緊張をしてしまうのだ。 リラックスリラックスと自分に言い聞かせて家にたどりついたのだった。 笑っちゃうでしょ。 たかが、10分も運転しない距離なのに。。。 理想を言えば、高速をぶっとばしてどこにでも一人で行ける、そんな人間になりたいのだけど、 だめ、 おのれ自身を知るっていうことは、神の存在を知ること(旧約聖書・箴言/第1章7節 )のつぎに大切であると思っているyamaokaなので、 もう高望みはしない。 不器用に運転をしながらせめて事故だけは起こさないことを祈りつつ、運転をする日々だ。 新刊紹介をしたい。 46判ソフトカバー装帯有り 200頁 二句組 著者の橋本石火(はしもと・せっか)さんは、昭和26年(1951)三重県生まれ、現在は三重県松阪市在住、俳誌「青」「年輪」「ゆう」を経て、平成27年(2015)年俳誌「ハンザキ」を創刊主宰、現在に至る。平成19年(2007)年輪賞受賞、平成30年(2018)年輪・汝鷹賞を受賞。俳人協会幹事。本句集は、句集『はんざき』、句集『かはほり』に次ぐ第3句集となる。 句集名の「犬の毛布」は、 〈干布団犬の毛布がその横に〉に拠る。が、句集を読んでいくと、どうやら犬好きでおられるようで犬がときどき登場する。 この句集を読みはじめてより、わたしはとても楽な気持ちになっていった。少し前のブログで、太極拳の要諦でもある「身体に力をいれないこと」をさらに敷衍させて「心に力をいれないで世界をみたい」とか書いていたとおもうが、この『犬の毛布』という句集は、心に必要以上に力をいれずに詠まれた句集であると思った。 寒餅のまだやはらかき日暮かな 最初におかれた一句である。「寒餅」という固いイメージを払拭してゆるやかな時間の流れに身をおいている作者がみえてくる。日常がゆったりとしていてその日常をかまえずに受けとめている作者の姿がこの句集には一貫してあるのだ。だから読み手もその緩やかな時間に身をおくことによってギスギスした心がすこしずつ解きほぐされていくような感覚を覚える。気持ちのいい句集だ。 遅日なる硝子の中の回遊魚 鎌の刃の青くなるまで草を刈る ふぐりまで風を通して夕端居 背の高き草に溺れて秋の蝶 秋風や紙の切符に小さき穴 これは担当のPさんが好きな句。 ふぐりまで風を通して夕端居 武装解除した作者の姿がみえてくる。というかもともと武装はしていない作者なのだ。端居となるとさらに自身を解き放つ。いい時間が流れる。また、自身の生きている場へ信頼もある。そのことも本句集をつらぬくもののひとつである。とてもさりげないのだが、今という時をこういう場で生きていることの安らかな信頼が見えて来る句集だ。そのことは大声で語られるわけでもなく、とてもささやかにさりげなく詠まれるので、読み手の心の底にもそっとふれてくるのだ。蝶々の触覚のようにそっと、である。 蜥蜴の子蟻におどろき走りをり この一句もまたきわめてさりげない一句だ。なんとも愛らしい句。写生をしてやろうというガチガチの意識とは無縁なもっと自在なゆるやかな心が捕まえた一句。やっぱり力が抜けているなあって思う。おしつけがましくない分、余韻がのこる。好きな句である。 住職の蜜柑食べろとやかましく この一句も好きである。作者の人間関係にありようが見えてくる一句だ。目にみえるような一句である。蜜柑がおいしい季節、親しくしている寺に立ち寄って世間話でもしていたのだろうか、蜜柑をすすめられた。食べないでいると住職が食べろ食べろとしつこく進める。そんな住職を好もしく見ている作者がいる。そんな場面をさりげなく一句にしたのである。力んでいるとこういう句はできない。自身をとりまく環境を素直にうけとめてありのままに詠む、そこで生まれる俳句だ。 食べ終へてうぐひす餅と思ひけり この句には、えって思わず立ち止まってしまった。ほんと?って。そして笑った。わたしにはまずありえないから。鶯餅とがっちり認識して食べる。作者はなにか考え事をしていたのかしら、進められるままにぼーっとしながら、あるいは人の話に耳を傾けながらか、食べていたのである、が、食べ終えてはたと自分が食べていたものがうぐいす餅であることに気づいたのである。手についた黄な粉などを見て、かな。。。やっぱりここでも人間や状況に対して武装していない作者がみえてくる。 そういうありようが、この句集には一貫していて、それが読み手のこころに届く、ただ届くだけでなくかすかな波紋を呼び起こす、それがいいのだ。心地よい余韻というべきか。 心が疲れた時に読んでみたくなる句集であるかもしれない。 この第三句集は、「ハンザキ」創刊後の句を中心に構成しました。「ハンザキ」創刊の言葉に「自然のありのままの姿を 生活のありのままの姿を そこに少しの余情を漂わせた 自然随順の句を」と書きました。「ありのまま」は簡単なようでありますが、簡単なことは逆に難しいことでもあります。誰でも見ていて知っている事柄、何でもない事柄の中に、見過ごしていることの何と多いことか。それらの事柄を一つでも多く掬い取ることが出来ればと思っています。 「あとがき」の一部を抜粋して紹介した。 「あとがき」を読んではたと得心したのだった。 本句集の装丁は和兎さん。 装画はやや都会的なイメージであるが、本句集の世界はきわめて牧歌的である。 タイトルの不思議さと装画の意外性がこの句集をおもしろく見せている。 題字は黒メタル箔。 用紙は肌理の荒い材質感のあるもの。 表紙の用紙も面白い模様がある。 よく見ると犬が。 見返しも表紙と同じ用紙。 扉。 自然のありのままの姿を 生活のありのままの姿を そこにすこしの余情を漂わせ 自然随順の句を (「ハンザキ」創刊の言葉、より) 子の手より父の手ぬくし初螢 好きな一句である。あたたかな父の手のなかにいる蛍を、小さな子どものがぞき込んでいるのだろうか。その父の手にふれたこの手の冷たさ。きっと手をとおして父のぬくもりに触れたことだろう。こんな思い出をもつ子どもは幸せである。 橋本石火氏が主宰する俳誌「ハンザキ」8月号 橋本氏による「長谷川素逝」についての連載も読み応えがある。
by fragie777
| 2020-07-31 21:02
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