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7月21日(火) 土用の丑 旧暦6月1日
今日も木槿の花。 こちらもご近所の畑に咲いていた。 「木槿」は秋の季語であるが、いま盛んに眼につく。 最近、毎朝軽い運動をしているのだが、太極拳で学んだことが中心となる。 太極拳を演舞するのは土日と決めている。 ある程度広い場所を確保しなくてはいけないので、そうなるとテーブルや椅子を寄せたり、終われば戻したりで案外めんどくさい。 忙しいウイークデーの朝は、太極拳の前にやる準備体操のようなものをすることにしている。 まず、立禅(りつぜん)。これは立ったままの雑念を払い、呼吸を整えるものであるが、呼吸法が逆腹式呼吸というものでわたしはここでこの逆腹式呼吸というものを学んだ。 ふつうの腹式呼吸とどうちがうかといえば、吸うときにお腹をひっこめて吐くときにお腹をゆるめるもの。吸う時間よりも吐く時間をややながくする。ほかもにまだ舌をどこにおくかなど細かいことがあるのだが、この逆腹式呼吸というのが、最近通常の腹式呼吸より健康効果が高いと評価されだしたらしい。 わたしは健康オタクではないので、あまりそういうことに関して詳しく調べることもしないのだが、太極拳で学んだのをきっかけに立禅のときにこれをやる。 無理なくひとりで続けられるのであるから、私自身に合っているのだと思う。 この他に、スワイショウ、八段錦(はちだんにしき)という中国伝来の気功の体操があり、これも何段かをやるのだが、これについてはまた何かのときに紹介したい。 ともかく太極拳で、わたしがいちばん、評価していることは身体に無理をさせないということ、そして身体に力をいれないということ、身体に力をいれない、これがかなり難しいのである。 身体に力をいれないことから発して、こころにも力をいれないで世界を見ることができればいいと、案外大層なことを考えている。 身も心も力を抜く、 ちょっとやってみて。 難しいわよ。。。。 一瞬ならできるけど、永続は難しいのである。 20日づけの讀賣新聞の「枝折」に、山口昭男著『波多野爽波の百句』が紹介されている。 モノと出会い、あるがままの瞬間を描写した爽波。 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ など少年時代の句から最晩年の句まで紹介する。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 236頁 大下綾子(おおしも・あやこ)、奈良雅子(なら・まさこ)、望月和美(もちづき・かずみ)の三人による合同句集である。中学、高校をともにした同級生の三人であるということだ。合同句集といっても一味ちがう。それぞれの作品を収録したという単なる合同句集ではない。三人の方が知恵をふりしぼって編集されたもの。 以下にその目標を紹介したい。 俳句を知らない友人にも手に取っていただけるように、 というのが当初の目標の1つでした。 ちなみに、私たちの目標は次のようなものでした。 1)「三人で作って良かった」と思える。 2)同窓会で褒めてもらえる。 3)俳句の先輩方に暖かく祝福してもらえる。 4)俳句以外のそれぞれの知り合いに気楽に手に取ってもらえる。 5)また作ってもいいよねと思える。 6)この1冊が最初で最後の句集となったときに後悔しない出来栄えである。 7) 格調が高い。(俳人の先生に寄贈して恥ずかしくない) 目標をかかげただけでなく、具体的に工夫がいたるところにほどこされている。 俳句のみでなく、お互いに句を鑑賞しあい、またコラムをはさみ、収録作品は四季別に分けて巻末に季語別索引を収録、俳句を詠まない人も楽しめるような配慮がなされているのだ。 本句集の担当は、文己さん。 たんぽぽや思い出取りに蔵に入る 和美 大樹より大樹へ歩む立夏かな 綾子 生き物のたしかな気配蘆茂る 綾子 ヘリコプター五機編隊や梅雨夕焼 雅子 昼逢ふと唯の人なり蛍追ふ 和美 七月の空へ空へと山育つ 綾子 全面夏空高枝切り鋏 和美 鎖骨よりまず新涼の入りくる 和美 新涼の刺身を買つて帰りけり 雅子 月白や人工知能育ちゆく 綾子 野望ありただ一行の初日記 雅子 独り来て冬青空を持て余す 雅子 大樹より大樹へ歩む立夏かな 綾子 わたしも好きな一句である。気持ちの良い句。「立夏」という季題によく響きあっている。大樹から大樹へあるいていくその広々とした距離にまだ清々しい姿をして夏がやってきた、そんな思い。大きな空間に夏が立つ、空間把握の一句だ。 鎖骨よりまず新涼の入りくる 和美 身体感覚の一句だ。鎖骨って出っ張ってくぼんでいる。肩をだしたブラウスなどを着ると鎖骨があらわに見える。それがとても美しい人もいたりして羨ましい限りだ。秋になっても残暑きびしい日など、大きく胸のあいたTシャツなどを着ていてふっと秋風をそこに感じたりする。凸凹がある(なんだか情緒のない表現だけど)からちょっとその部分だけ感覚が研ぎ澄まされているような。なぜか納得させられてしまう一句。 野望ありただ一行の初日記 雅子 いったいなんの野望!? 聞きたい。まさに野望なのだろう、身のほどをこえたおおきな望みと辞書にはあるから、ナイショなんだろうな。日記には書く。しかし、ただ一行で。一行だからこそ野望が光ってみえる。一行にこめた思いは強い。こういう人とお友達になりたい。お互いに酒を酌み交わしながら野望を語ったりして。 中学・高校の同級生三人が、句友にもなってから五年が経とうとしています。 三人とも本年、還暦を迎えました。節目の年に、無謀にも句集を編もうとの案が持ち上がり、アイデアを出し合いまとめたのがこの本です。二〇一五年夏から二〇一九年までの句を収めました。 折にふれ投句してきた東京新聞の俳壇の選者、小澤實先生と石田郷子先生には、選評の転載をご快諾いただき、御礼申し上げます。石田先生には、ふらんす堂通信からの転載のご許可にも感謝いたします。 大下綾子さんによる「はじめに」を紹介した。 三人の方は、東京新聞に投句をされているようだ。本句集には、選者に選ばれた句が選者の評とともにところどころに配してある。また、それぞれが鑑賞している句もおなじようにところどころにおかれていて、読者を飽きさせないような工夫がある。 コラムはそれぞれ「発端/大下綾子」「学舎/奈良雅子」「還暦/望月和美」とあり、ともに合って作品をつくりはじめたこと、母校の思い出と俳句、そして還暦となって合同句集を刊行するにいたったことなどが綴られている。 若輩にも拘わらず、私たちは勢いで本を作ってしまいました。こんなふうに俳句を楽しめるのも、諸先輩方があたたかく見守ってくださるからこそです。西武線沿線句会の皆さま、大下は日経俳句会および番町喜楽会の皆さまにも、御礼申し上げます。また、毎週投句の面倒を見てくださる東京新聞の俳壇ご担当の方々、選者の小澤實先生、石田郷子先生に感謝申し上げます。 句集の制作にあたりお世話になりましたふらんす堂の皆さま、ありがとうございます。 家族にも、ありがとう。 三人の連名による「あとがき」を紹介した。 この本の装幀は君嶋真理子さん。 そもそもふらんす堂で刊行しようと決めたいきさつは、君嶋さんの装幀でいきたい、ということだった。 君嶋さんもその思いに応えて、希望をできるだけいれたものをと配慮した。 爽やかなブルーをというご希望。 透明感のある見返し。 表紙。 扉。 本文。 句会風景の口絵写真。 寄贈された方々からいただいたたくさんの感想をまとめて送ってくださった。 そのうちのお一人、「句会のみなさま」からのお返事を紹介したい。 「素晴らしい俳句集が出来ましたね。楽しい句、面白い句、感嘆した句、じっと考え込ませられた句・・・。郵便ポストから取り出して二時間あまり、すべての句や解説をじっくり読み、還暦三人娘の三重奏を堪能致しました。俳句集というものはおおよそ、一人の作品集なので、その人の思いに溢れ過ぎた一冊となり、「惜しいな」と思わせられたことも何度かありました。ところが「漕ぎ出でよ」は三者のハーモニーが実に快く、浮き立つ思いを噛み締めながら読み切りました。還暦という大きな区切りはこれまで、老齢に踏み入る頃、という認識もありましたが、お三方にとってはこれからが青春時代なのですね。まさに潮も適って、漕ぎ出だした時。これから先が楽しみです。俳句の海は広いですよ。」 合同句集といっても、このようにいろんな編み方があるのだということを、わたしたちも学ばされた一冊だった。 大下綾子さま、奈良雅子さま、望月和美さま。 句集の刊行、そして還暦、 おめでとうございます。 俳句の海を目の前にして、さらにさらに充実した日々でありますように。 奈良さま、あとでそっと「野望」を教えてくださいませ。
by fragie777
| 2020-07-21 18:40
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