ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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声と声なき声のはざまで、詩人とはなにかを問い続ける。

7月18日(土)   旧暦5月28日


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雨に濡れた百日紅(さるすべり)





今日は、詩人の河津聖恵さんの新刊の詩論集『「毒虫」詩論序説―声と声なき声のはざまで』(どくむししろんじょせつ)を紹介したい。



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四六判クーターバインディング製本カバー装帯あり。 178頁 


河津聖恵(かわず・きよえ)さん(1961年東京生まれ)にとっては4冊目の詩論集となる。現代詩を代表する詩人であり、詩集、詩書も多く、ふらんす堂からは詩集『夏の終わり』(第9回 歴程新鋭賞受賞)(1998刊)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞受賞)(2002刊)を上梓されている。
本詩論集は、戦争へと傾斜していく世界に危機意識をもって向き合いながら、詩人がその詩の言葉によって何をなしうるかを自らに問うものである。現代詩とは、詩のことばとは、そう問いつつ苦しみながらも世界と時代にあくまでも誠実であろうとしている詩人がいる。
本書を紹介するにあたって、河津聖恵さんに本詩論集の刊行への思いをうかがってみた。
それをまずこのブログで紹介したい。




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河津聖恵さん。



本書は、2015年から19年にかけて発表した詩論、エッセイ、書評、時評をまとめたものです。今読み返すと、書いた当時は見えなかった思いが、ひとつながりのものとなって見えて来ます。それは不思議な声となって聞こえて来ます。声にならない声でありながらも、そのようなものとして声でありたい声として。

2015年の、戦争法案とも呼ばれた安保法案の可決は、私にとっても特定秘密保護法、テロ等準備罪の衝撃に追い討ちをかけるものでした。当日の朝に感じた身体の重さと世界の暗さは、今でも忘れられません。その前々日国会前で聞いたシュプレヒコールも雨音も、そして自分の心の声さえも、全て敗北感に押しつぶされていきました。

その時ふいに思い浮かんだのが、カフカの『変身』の、ある朝毒虫になっていたという不条理な運命を背負わされた主人公ザムザです。本書の巻頭の文章は、その実感にもとづき書かれています。小説や詩を読むという体験の本当の意味は後からこんな風に手ひどくやって来るのだ、と身をもって知らされました。個人的な経験以外でこんな衝撃を受けたことはありません。それだけ事態が深刻だったのか、あるいはいつしか自分自身がより「当事者」の側に身を置くようになっていたのかー。いずれにせよ、自分があらたな未知の場所に立っているのを痛感しました。


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けれどその「無力」な場所に降りて初めて聞こえて来た声々がありました。これまで親近感を持ちながら、じつは文字面を追っていたに過ぎなかった詩人たちの「声なき声」が、不思議にも封を解かれるように聞こえて来たのです。
 
60年安保の際やはり国会前に立った茨木のり子、米軍政下で反米デモに参加し弾圧された清田政信、皇国少年だった自身の日本語への復讐のため、詩を書き続ける金時鐘、シベリアからの帰還後もはや祖国とは思えない日本で辛い記憶と向き合い続けた石原吉郎、最晩年軍国主義と病がもたらす闇の中で光を求め南へ旅立った立原道造。そして高良留美子、石川逸子、石牟礼道子ー。その他、現在の闇を詩で向き合おうとしている沢山の詩人たちー。




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その中でとりわけ近く伴走してもらったのは、革命の持つ希望と絶望に引き裂かれながら、病をおして、日本の詩の可能性を逆転の発想で掴み取ろうとした黒田喜夫です。風土や歴史という、現代詩の「現代性」とは一見真逆な次元から、陰画としての「現代性」を立ち上げようとしたこの詩人の言葉と、今回の本にある言葉は隅々までどこかしら共鳴していると言っていいでしょう。

ちなみに黒田と関連する文章も三作収録しています。なによりもこの本のタイトルにある「毒虫」は、黒田の代表作「毒虫飼育」から借りたと言えるものです。巻頭の文章にもあるように、まずはカフカのザムザとしてあったものが、やがて「毒虫飼育」の「母」の鬢にまつわる「毒虫」へとイメージをおのずと広げていったのです。

かつても今も現代詩の外部にありながら、深く現代的である黒田の言葉と発想は、難解でありながら非常に根源的で、それを反芻すれば「毒虫化」へと追いやられ続ける今の世界から、新たな世界を立ち上げうるいう予感と希望を感じています。今回の本を土台に、いつかまたこの詩人に向き合ってみたいと思います。


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今奇しくもウイルスという本物の毒虫が世界を席巻しています。その中で詩とは何なのか、詩人とは何者なのかをあらためて問うためのヒントをこの本が少しでも世に提示出来るならば、作者としては望外の喜びです。




このメッセージにもあるように本著にはさまざまな詩人が登場する。
ここでは、黒田喜夫について書かれた部分を抜粋して紹介したい。
抜粋であるのであくまでも十全な紹介とはなりえないことをお許しいただいて。

「夢の死を燃やすーー『黒田喜夫と南島』」より。

黒田喜夫の言葉は、時間の下方に根をはり、空間の南と北へ蔓を伸ばすといった印象がある。国民や市民といった属性におとしめられた人間の、じつは何にも属しえない存在全体をつかもうとする流動的な力を隅々にまでおびながら、今もたしかに生きていると実感する。その言葉の触手は今を生きる者になにかを伝播しようとしてうごめいている。結論や観念ではない。永遠につかみえない人という存在の全体をつかみ取りたい、という誰しもの心の底にある非望の、声なき声が伝わってくるのだ。そのはげしい「無声」を聞き届ける者はかつても多くはなかった。ましてや詩人の死後、現代詩の世界はその存在の全てを忘れることを選んできた。だが未来の見えない闇の深まりの中でその気配に気づいてふりむく者が現れ始めているのではないか。一人また一人、遥かなかがやく声の方へ踵を返していく影。私自身もかつてふりむきかけながら、未来の「有声」に促され前方へ歩き出してしまった一人である。だがそれから四半世紀後たまたま詩人の故郷に立ち寄り、そこで詩集を再読したことがきっかけで後方で今も燃え続ける声に呼ばれ始めた。そしてこの詩人にあらためて魅せられた。今度こそは「無声」を「無声」の深さで聞き届けたいと思う。
(略)
以上に述べたような理由で、今私は現代詩にたいし肯定的な思いを抱けないでいるのだが、だからといって今自分や他人が詩を書く行為の全てを否定するわけではない。黒田喜夫のキーワードである「陰画」や「逆倒」という言葉は、無意識の暗がりの側から他者を見るという逆転の発想を私にもたらしてくれるが、それらのキーワードの力を借りれば、今詩を書く行為が共同体に選ばれたり同調したりするためであるように見えても、無意識に何を望んでいるのか、書き手本人にも分からないということにもなるのではないか。親和を決め込んでいる詩にも、本当に反共同体的ですらある未知の共同性への「架け」は秘められていないのか、という問いを捨ててはいけないのだろう。書き手の詩がおのずと散文化をこうむり、書く行為が共同体に奪されていくとしても、目の前の詩と全く「逆倒」した、「無声」の「夷語」の詩が書き手の目の裏の「野」で書かれているかも知れないのだから。私の方こそが、それを聞き届ける「夷の耳」を持たなければならないのではないか─。いずれにせよ黒田が八〇年代の消費社会を支持した吉本隆明とたたかったように、詩が奪される状況には「夷」なる一人というスタンスであらがっていかなくてはならないだろう。

もう一箇所、わたしの好きなところを紹介したい。
「二月に煌めく双子の星ーー茨木のり子とと尹東柱」
わたしはこの尹東柱(ユンドンジュ)という詩人を、かつて河津さんが書かれたものを通して知ったのだった。

二月は不思議な季節です。冬が立ち去ろうとしながら、春は来ることをまだためらっている。光は風に煌めきながらも、そこに温かみはない。まるで真空のような季節のエアポケットです。毎年二月になるとそんな皮膚感覚の中から、私の心におのずと現れる詩人がいます。一九四五年二月に旧福岡刑務所で獄死した、尹東柱です。
茨木のり子さんの作品を愛読される方ならばご存知でしょう。韓国では今も昔も最も愛されている詩人で、今年は生誕百年です。日本ではかつては余り知られていなかったこの詩人の存在が広く知られるようになったきっかけは、茨木さんのエッセイ「尹東柱」(『ハングルへの旅』朝日新聞社)が国語の教科書に載ったことでした。
尹の略歴は次のようです。一九一七年北間島(プッカンド)(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)・明東(ミョンドン)村生まれ。ソウルの延禧(ヨンギ)専門学校を卒業後、四二年文学を学ぶため日本へ渡航します。しかし四三年京都の同志社大学英文科在学中に治安維持法違反で逮捕され、解放のちょうど半年前、四五年二月十六日に旧福岡刑務所で獄死してしまいました。生体実験を繰り返された果ての死とも言われています。
じつは私の自宅は、尹の京都での下宿先であるアパート跡から歩いて十分ほどにあります。十年前、ふとしたきっかけで尹の詩集『空と風と星と詩』(日本語訳)を手にしました。そしてこれまで読んだことのない繊細で美しい詩に驚きました。また自分の生活圏にかつてこの非業の詩人が住み、懸命に詩を書いていたと思うと、やるせない気持にもなりました。その後評伝や関連書も読んで、尹が当時禁じられていたハングルで書き続け、暗黒の時代の片隅でたった一人言葉の光をかざした詩人であることを知りました。最期まで魂の清冽さを貫いた生きざまに驚くと共に、深い感銘を受けました。
(略)
最近茨木さんの命日が二月十七日だと知りました。なんと尹の命日と一日違い。もちろん偶然ですが、私には二月という月がより謎めき、真空を深める気がします。「人間のなかには、稀にだが、死んでのちに、煌めくような生を獲得する人がいる。尹東柱もそういう人だった。」これは茨木さんが「尹東柱について」(『一本の茎の上に』筑摩書房)で記した言葉ですが、茨木さんご自身にもそのまま当てはまる、すぐれた詩人の定義だと思います。
二月の真ん中には美しい双子の星が煌めいている。そう意識して見上げれば、空から詩の力が汲まれたように、枯れ木や川の冷たい水も不思議な輝きを放ち始めます。



本詩論集の装幀は、毛利一枝さん。
河津さんよりのご希望でお願いした九州在住の装幀家であり、ふらんす堂でもお願いしたことある方だ。
装画は田中千智さん。田中さんも九州在住の画家である。



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装画のタイトルは「Dream」

田中千智さんは、実際に出来上がった本を手にして、その美しい仕上がりをとても喜んでくださった。



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黒を濃いめに印刷を、というのが装幀家の毛利さんからのご要望。


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クーターバインディングでいきましょう、というのはyamaokaの提案。


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並製本であっても開きがいいところとその独特の製本仕様が気に入っている。


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見返しの用紙とクーターの色をおなじにしたのは毛利さん。


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本文のレイアウトはyamaoka。
余白を活かしたシャープな仕上がりにしたかったのだ。



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キリッとした美しい本になりました。

と、装幀の毛利一枝さんは喜んでくださった。
「いい本が出来ると本当に嬉しいです」とも。





黒田の他に本書で取り上げた詩人たちはみな、「毒虫」たらんとした人々である。かれらの言葉もまた言語体系の水槽の中を彷徨うかのように見えるが、今その眼はたしかに光っている。何を訴えているのだろう。どんな感情にみちているのか。いずれにしても私が光に気づけたのは、闇の深まりがあったからである。本書の各文章を書いている間、詩人たちの言葉の輝きを自分自身の言葉で慈しみながら、私は無数の小さな希望に射抜かれていたのだと思う。
どこかに光り出す詩という希望をこれからも見出していきたい。「人間」が続く限りやがて見えてくる星座を、それらは準備するだろう。(「あとがき」より。)




興味を持たれた方は、是非に本書を読んでほしいと思う。






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いま、わたしの友人知人たちの間で、

「三浦春馬が死んだ」

というニュースが駆け巡っている。149.png


昨夜録画しておいた好きな番組「世界はほしいモノにあふれている」を見ながら、いつもながらの三浦春馬の美しさに溜息をついていたのだった。

亡くなったなんて、受け入れられない。

歌も上手いし踊りも上手いし、、、

なにより美しい。。。

なぜ、なぜ、

嗚呼!!!145.png







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by fragie777 | 2020-07-18 18:48 | Comments(0)


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