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7月14日(火) フランス革命記念日 旧暦5月24日
白百日紅(しろさるすべり) 仙川沿いをあるくと白と赤の百日紅が交互に植えてあって今が盛りである。と言っても、この花は百日咲くのでまだまだ咲くと思うけれど。 雨にぬれた白さるすべりもきれいである。 昼過ぎから仕事場へ向かう。 仕事場に行くと、「ふらんす堂通信165」の校正の助っ人で愛さんがいる。 「比奈夫先生、亡くなったんですね」と愛さん。 「わたし一度だけお目にかかったことがあります。蛇笏賞の授賞式のときだったかも」 愛さんは、かつてふらんす堂で編集スタッフとして多くの書籍をてがけてきた人だ。 「お会いしながら、比奈夫先生のスーツを思わず見ちゃいました。これが百万円のスーツかと。」と愛さん。 そうなのだ、後藤比奈夫先生は、スーツはすべて専属の仕立て屋さんがいて、すばらしい布地で仕立てたスーツをお召しになっておられた。 「僕のは百万円ですよ、ふふふ」っておっしゃって品良くお笑いになる。 比奈夫先生がおっしゃるとすこしも嫌味でなくて、(ああ、こういうお方もおられるのだ……)とうっとりとお話を聞くばかりであった。 百万円のスーツをすらりと着こなしているお方などそうお会いできるもんじゃない。 夏の麻の白のスーツなんてそれは素敵だったなあ、なんて愛さんの言葉で思い出したりしたのだった。 成り上がり者では決してもてない優美さがおありの方であった。 『森澄雄の百句』の著者の岩井英雅氏よりお電話をいただいた。 著書の反響などをお聞かせいただきながら、今回の執筆の思いについて語られたのだった。 「本になって、もう一度隅から隅まで読んでみました。厳しい目をもって読んだつもりですが、私としては今回のこの本についてはそれなりに満足のいく仕事ができたとおもっています。第1句集から最後の句集まで懸命に取組はしましたが、それがあまりにも力んだものにならないように、重くれずに透明感をもったものになるように注意したつもりです。」 「森澄雄というと、どうしても近江の澄雄ということになってしまいますが、じつは脳梗塞で倒れてからが長いのです。その長い闘病の間にいい作品を残したのです。今回そのことについて書けたのは良かったと思っています」 岩井氏がそう言って電話を切ったあと、わたしは岩井氏から言われたこともあって「杉」主宰の森潮氏にお電話をした。 先日の讀賣新聞の記事をおしえてくださったのは森潮氏だった。 「岩井さんの今度の本はいいですね。僕もつねづね近江の森澄雄、妻恋いの森澄雄だけじゃないぞって思っていましたので、この本で闘病の親父の作品を読んでもらえることができると思うと嬉しいんです。」と潮氏。 長い闘病生活をささえその俳人のありようを見て来られたのが潮氏であった。 今回第一句集となる『種子』をいただいたが、森澄雄の心の皮膚にふれたものでなければ作れないようないい句集だと思った。俳句遊心は見事なまでに継承されているとも。 英雅氏は言っていた。 「ほんとうは私ではなく、「杉」にはもっと立派な先輩たちが森澄雄の弟子としているのですが、みな歳をとられてしまいました。今回わたしが森澄雄について書くことになりましたが、この本をとおしてひとりでも多く、森澄雄の俳句を知って欲しいと思います」 死後なおも熱心な弟子をもつ、ということも師であることの無上の幸福のひとつなのかもしれないと、わたしは思ったのだった。 こころにもゆふべのありぬ藤の花 森 澄雄 今日のセミコ。 わたしもしつこいわねえ。 会うとどうしても写真にとって、みんなに見てもらいたくなってしまう。 行けば会えるから、いつもってことになってしまうのよねえ。。。 笑ってやってくださいまし。
by fragie777
| 2020-07-14 18:56
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