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7月9日(木) 旧暦5月19日
仙川に棲んでいる青鷺。 三羽の青鷺が棲んでいるうちの一羽。 朝からとてつもなく忙しい一日となった。 3.4.5月と比較的ゆっくりゆったりとしたペースで仕事をしてきて、ああ、こんな感じていいわあ、いままでちょっとがんばりすぎたのかもなんて、優雅な気持ちでいたのがふっとんでしまいそうな忙しさだった。 「ふらんす堂通信」編集期間に入ったこともある。 あまり焦った仕事はしたくないのだが、納期っていうもんもある。 のんびりとはしていられない。 ということで、 ちょっと焦ってます。。。 岩井英雅著『森澄雄の百句』が出来上がってきた。 2010年の8月18日に亡くなってよりほぼ10年が経ったことになる。 もう10年も経ってしまったのかという思いもある一方、森澄雄という俳人の作品を読む機会のうすれつつある昨今をも思う。そういう時に本著が刊行となったことは意義があるのではないだろうか。 著者の岩井英雅さんは、本著の執筆に渾身の思いをこめた。 本著をすこし紹介したい。 白地きて夕ぐれの香の来てをりぬ 『雪櫟』・昭和十七年 昭和十七年九月下旬、澄雄に召集令状がきた。出征まで僅か一週間。澄雄は直ちに上京して楸邨を訪ねる。『雪櫟』では、その時の六句と出征前夜に詠まれた句の間に、季節的にはそぐわない夏季のこの句が配されている。 かなり切羽詰まった状況のはずだが、句にはくつろいだ感が漂うのは、東京から夜行で長崎の実家に帰り、数日を両親や兄弟と過ごして、束の間の安らぎを得たからである。白絣に袖を通した時、『颱風眼』にある楸邨の〈白地着てこの郷愁の何処よりぞ〉という句が想起され、郷愁と安らぎが澄雄の胸中を占めたに違いない。 炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島 『鯉素』・昭和五十年 やや大げさにいえば、墨染めの僧は時空の遥か彼方から「ギフハシマ」という不思議な語感を持つ抜け穴を通って、しんと静まったこの炎暑の現世に出現したのである。ちょうど能楽の諸国一見の僧のように。 水仙のしづけさをいまおのれとす 『花間』・平成八年 七十六歳になっていた澄雄は平成七年十二月、「杉」の原稿執筆中に脳溢血で倒れた。右脳に一センチほどの出血があり、幸い脳幹は外れたものの左半身不随となった。そして、病院で越年した。 句には「脳溢血にて入院」という前書きがあり、そこから病室に水仙が活けられている情景が伝わってくるが、「しづけさをいまおのれとす」というのは不思議な叙法である。水仙のこの凜とした静けさを、わが精神としよう、と澄雄は水仙を見ながら、同時に自らの心の中も見つめているからだろう。 本著には森澄雄の代表句といえるものがほぼ収録されて鑑賞をほどこされているが、その一句の出来上がった所以などをあらためて知ることができるのもいい。 巻末に著者による森澄雄論を収録している。 「森澄雄の俳句遍歴ーいのちを運ぶ-」と題して、その生涯を追いながら作品に触れてゆく。 「澄雄の六つの転機」と題した項では、こんな風に文章ははじまる。 運命とは文字通り自らいのちを運ぶことだ、と考える澄雄は、同時代の俳人の誰よりも「人生・人間・いのち」という言葉を口にし、「俳句とは何か、人生とは何か」という真摯な問いを発し続けた。人間探求派的な志向のように思われそうだが、生きることの悲しみや苦しみだけでなく、めでたさやよろしさ、そうしたものを一切合切含めたものが人生であり、それを深い思いで詠むことが俳句なのだ、というのが、自らが育った人間探求派を超えようとした澄雄の姿勢であった。それは、底の浅い人間賛歌や自己愛的な詠嘆とも違うものだった。 昨日の讀賣新聞の「文化蘭」では、飯田龍太や塚本邦雄の生誕100年をむかえるにあたって、飯田龍太と森澄雄がとりあげられている。「生誕一世紀 伝統に潜む革新」「『人間と自然 自在に』飯田龍太」、「『深い思い格調高く』森澄雄」というタイトルの下に。 森澄雄についてふれた部分の一部のみを紹介したい。 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 咲き乱れ、湯のように揺れる牡丹。そんな風景は本当にあるのか。古典で好まれる花を詠む句は幻想的で、高踏的にさえ映る。だが長男の森潮さんは、「悲惨な体験をした父は俳句を通して、自分を取り戻すところもあったと思う。直接、社会の問題を詠まなくても、三島由紀夫の自決やベトナム戦争にも関心があった」と語る。(略) 「伝統的」と言われる龍太や澄雄の俳句には、まだ読み解かれるべき謎が潜む。100年の歴史を経て、新しい読まれ方を待つ。(文化部 待田晋哉) 本著の解説でもその苛烈な戦争体験は森澄雄の作句姿勢を決定づけるものであったということが、語られている。 本著には森澄雄への読みの新しい切り口があるだろうか。 本著をとおして、読者にあたらしい森澄雄を発見してもらいたい。 少し前に刊行されたおなじシリーズの山口昭男著『波多野爽波の百句』と併せて読んでみるのはおもしろいかもしれない。 「写生派」の爽波、と「写生派」ではなかった澄雄、あまりにも対照的な二人の俳人、ほぼおなじ時代を生きて、どうしてこうも俳句観がちがうのか。。 実作者であるならそこをどう理解するか、考えてみることも無駄ではないと思う。 俳句観やその方法はともかく、百句ならべたときにどちらの作品が好きか、そんなことを思うのも一興かもしれない。 余談であるが、波多野爽波の弟子であった田中裕明さんは、飯田龍太も森澄雄も好きだと言っていた。 もちろんそういうこともおおいに有り得ると思うが。。
by fragie777
| 2020-07-09 17:59
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