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7月6日(月) 旧暦5月16日
萱草の花。 仙川沿いに咲いている。 荒々しく猛々しく咲いている。 野萱草もつてのほかの恋をして 大石悦子 大石悦子さんはたいへん美しい方だ。 関西の女性がもつはんなりとしたたたずまいがあって、お目にかかるとわたしなどがらっぱちな自分をつねに恥ずかしくおもってしまうほどだ。 そのような方が、詠まれた句であるかと思うと、いったいどんな、などとミーハー意識が頭をもたげてきてしまう。 「野萱草」の季語が、恋のすべてを語っている。 本日付けの毎日新聞の新刊紹介に、黒澤さや句集『会釈』が紹介されている。 第1句集。自然と人とのほどよい距離がすてきな一冊。無欲な文体を特徴とする。 倒木にみな触れてゆく二月尽 雨の日は雨をよろこび桃の花 なかよしもりぼんも読みぬ豆の花 わたしも「なかよし」も「りぼん」も読んだわ。。。 新刊紹介をしたい。 本誌集は、浅井眞人(あさい・まさと)さんの第1詩集『仁王と月』につぐ第2詩集となる。 『仁王と月』が、奈良という土壌から生み出された一大ファンタジーであったとしたら、本詩集はその世界を引き継ぎつつ、さらに発展させその背後にあるテーマを浮き立たせたというべきか。 面白いのは、思想は背後においやられ具体的な生き物や事物が活き活きと動き出し生々流転を繰り返すその世界だ。ディティールにこだわった詳細な記述は、目の前にその世界を立ち上げてみせるが、具体的であればあるほど、それはとらえどころのないものとなって時間の外に流れ出していくような感覚に捉えられる。はなっから読者は不思議な世界に足を踏み入れることになるのだ。 頁をひらくとこの文言が飛び込んでくる。 時はゆくが またもどってくる 同じ顔してもどってくる この言葉によって、わたしたちは円環する時間のなかに取り込まれるような感覚をもって頁を開いていくことになる。 本詩集は、「序」がある。 それをまず紹介したい。 序 少々高い台地のうえに 烏帽子山(えぼしやま)という山があった その名のとおりの形をしていたが くたびれて傾き 今にも崩れそうだった どういうわけか 満月がそのうえをとおると わずかに斜面がへこみ それを繰り返すうちに 烏帽子のかたちになった その山麓に 小さな村があった 消防団長が のど飴を頬張りながら 郵便配達に言ったこと 四月から五月にかけて 大満月の頃にそれは起こる 人がものに変わってしまうと 水分神社(みくまりじんじゃ)の縁起絵巻にも その様子が画かれ それは何かの約束事とも言われている たいへんもっともらしく書かれているが、とても奇妙な世界である。 この烏帽子山周辺でおこるさまざまな物語がこれから展開されるのである。 すこし紹介しよう。 目次は イ 水分神社前 ロ また帰る 虚ろに帰る ハ 石 二 またおいで 帰っておいで ホ 五月闇 まず、イの水分神社前 より ⑪ 黄蘗(きはだ)色に満月が明るい宵は 帰れなくなった鍋と釜としゃもじの影が飛ぶことがある 妊婦の影も飛ぶことがある 地球(アース)が回るたびに カフェのピアノは 鍵盤が並び替わる 直垂さんは 三分間の短い「叡智の山」を 弾きに来る いつもそればかり弾いているので よどみなく弾く ピアノの音はしないが 村の人たちは わかる その夜 烏帽子山の山肌が うっすらと赤く光りつづける なんともきてれつな様子であるが、魅力的な世界が現出する。 読んでいる読者の頭のなかが伸縮自在となってくるような、おかしな気分。 ロ また帰る 虚ろに帰る より ⑥ 膨らみはじめた月のせいで 人の影が ラムネ瓶となってうごかない その夜 舎人さんが 大寺(おおてら)から 巨大な鉛筆の燃えさしのような籠松明(かごたいまつ)を担いで 村に帰ると オート三輪が燃えあがっていた 消防団が駆けつけたときは 灰になっていた オート三輪は 張りぼてで 反古を貼り合わせてつくってあった 荷台のあったところに まだ熱くなった硯石が一個残っていて 隕石のように発火したのだった 直垂さんが金火箸でつまみ 用心深く 烏帽子山の底なしの穴に落とした 烏帽子山の乾燥が続き 消防団の赤バイが 頻繁に巡回した 小満月のために 山の皮が焦げたというので 狩衣さんが見に行くと バケツほどの穴から 月光が吹き出していた 穴の縁にかな文字が並んでいて う つ ろ に か え る と 読んだとき 危うく躓つまずいた 読んでいると懐かしいグッズや物が現れてくる。「オート三輪」「ラムネ」、あるいは「直垂さん」や「狩衣さん」などそういう一つ一つの詩人のこだわるファクターがこの物語には重要であり細部がこの物語をつくりあげている。 二 またおいで 帰っておいで になると物語はさらに高揚していく。⑩⑪⑫のリズム感のある迫ってくるような文体がいい。 ④ 水を欲しがるその旅人に 源治さんが 水筒を与えると 栓を取るやいなや その口に吸い込まれた なかを覗いても いなかった 烏帽子川で 水筒を浸けると 糖蜜が どろりと出て みるみる川底に人型がひろがった 山椒魚だった 満月の下を 山椒魚がついてきた いつみても後ろにいるので そのうち食いつかれるのかと心配だった 橋の袂まで来ると いなくなり 水に入ったのかと見ると 川原にいて 月光の下で 自分の影を飲み込んでいるところだった トランクのような口だった 本詩集は、著者の浅井眞人による奈良という土地へのオマージュであり、またそれによって培われ熟成されその身体のすみずみまで蓄積されたものをかたちにしたものである。 浅井さんのひとつひとつの細胞の隅々にまで奈良のエキスはいきわたり、それがこの不思議な物語を作り上げたのである。奈良という小宇宙のあらゆるものが総動員されて展開していく一大叙事詩ともよぶべきもの。 詩人の小笠原鳥類さんが、この詩集について感想をくださった。 ご本人の了解を得て、ここで紹介したい。 浅井眞人さんの第二詩集『烏帽子山綺譚』が届きました。送ってくださってありがとうございました。複雑繊細な模様があるカワセミの絵が妖異です。細い銀色の線の題名が引き締まった装丁です。いにしえの白いしろがねなのだと思いました。 28ページの「「鮫出没」の看板が黄色い/古物商の店に 置かれているのは渦巻きだった」「渦巻きは たちまち白煙をあげて バケツ一杯の水にもどった」。暗い古物商の店内に、サメの字が書かれた看板も、瞬時に水になる渦巻きも、正確に描かれて出現していると思いました。 52ページの「月桂樹の影が 井戸に飛び込んだ/一右衛門さんが 余ったソーダ水を井戸にあけると 黄色い泡が底から吹きあげた/溢れおちる泡のうえに 呪いの人型の黒い紙が 一枚浮かんできた」。ここの月桂樹の影、井戸、ソーダ水、黄色い泡、人型の黒い紙、というものたちの出現も正確で鮮やかです。 75ページの「烏帽子川で 水筒を浸けると/糖蜜が どろりと出て/みるみる川底に人型がひろがった 山椒魚だった」のどろどろの糖蜜とひろがるサンショウウオも正確に、見えると思いました。いにしえの妖しいものを巧みにはっきりと見せる書物でした。 本詩集の装幀は、前詩集とおなじく和兎さん。 装画となった「翡翠」は、いろいろな場面で登場する。 和兎さんは、今回はできるだけ色をつかわず、銀色をテーマカラーにしたい、ということだった。 タイトルは銀の箔押し。 フランス表紙。 折り返しに翡翠を。 見返し、扉は銀の用紙。 扉は白刷り。 かすれて見えにくてもいいからと、白にこだわった和兎さん。 栞紐も銀。 ① 山門の柱の貼り紙が新しくなった 軒の電燈が 夜どおし照らしている 「烏帽子山村では 泥棒の足あとが 黒豆のように残ります 泥棒は足あとを残しますが 大火は 何ひとつ残しません 火廼要慎(ひのようじん)」 (ホ 五月闇 より。) さきほど紹介した小笠原鳥類さんがご自身のブログでもこの詩集について書かれている。 興味のある方は わたしがこの詩集で気に入っているところは、グッズの扱い方や名称のセンスといったらいいか、あるいは「カフェ」が何度も名前を変えて登場するのだが、たとえば、「膨らむ」「ひてん」「羽根ぼうき」「月蝕」などなどそれはもういろいろ、そういう言葉のチョイスがふるっているところ。すべてそこに意味があるのだろうが、さりげなく楽しくさまざまなものが登場してくるのだ。そういう細部を楽しみながらこの詩集は読んでいってもいいのではないだろうか。
by fragie777
| 2020-07-06 20:17
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