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6月24日(水) 旧暦5月3日
国立・谷保 紫陽花の径。 一日、在宅で仕事。 9時半には、リモートによるミーティング。 お互いの仕事の状況を確認しあう。 最近は「slack」なるパソコンのビジネス〔編集?)ツールがあって、それをスタッフたちが便利につかうようになり、yamaokaもなんとか頑張って使って遅れないようにしている。 いいじゃないの、電話で言えば、なんていうことはもう許されず逐一この「slack」に書き記していく。 そうすることによってスタッフ同士が何をやっているか、自分の仕事でないものがどのように進んでいるか人目でわかるというもの。 一番アナログ人間のyamaokaであるので、ときどき書くことを忘れたり返事をしそびれたりすると、「ちゃんとやってください!」というお叱りをうけるのだ。 ホント、 ヤレヤレである。 今日は夕方また仙川を散歩しようかな、なんて思っていたところに 「 山口昭男著『波多野爽波の百句』が出来てきました」という報告をうける。 おお、そうだった! こうしてはいられない、とわたしは急遽自転車にとびのって仕事場に向かう。 一冊手にとって確認し、このブログで紹介することにした。 ![]() 本著には関心のある方も多く、すでに予約などをいただいている。 爽波の代表句が網羅されているばかりでなく、波多野爽波が、俳句をどのように考えていたか、 非常にわかりやすく実践的に解説してある爽波入門書である。 いくつかの作品とその鑑賞を紹介したい。 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 『鋪道の花』昭和十六年 この句に出合った時のことをよく覚えている。あまりにも当たり前のことが詠われているので、ただ「へえー、そうなんだ」という感想をもった。それだけのことで終わった。あまり深く考え込まない性格なので、このような句にも動揺しなかったというのが正直なところ。さて、今考えると、これが爽波俳句の原点なのではないかと推察してしまう。見たまま、あるがままを描写する。それも瞬間をだ。弱冠十八歳にして、世の中の俳句に対する挑戦であり、俳人波多野爽波として生きてゆく決意表明であると私は、捉えている。 芹の水照るに用心忘れた鶏 『湯吞』昭和三十八年 爽波は、当時の前衛と呼ばれた俳句の良いところを取り込もうとした。この句などもそのひとつの成果だろう。「用心忘れた鶏」などという言葉づかいは以前にもなく、以後にもないと思う。古舘曹人は昭和三十九年「青」九月号で次のように明快に述べる。「芹の水照るに/用心忘れた鶏 この二つに分断される。何が異質かと言えば、前半が俳句的伝統的な発想であるのに対して、後半は詩的前衛的な把握のしかたである」。曹人の言は、爽波が身につけてきた伝統的俳句の手法を守りつつ新しいものを取り込んでほしいという願いに帰着している。 本書の魅力のひとつに、爽波と同時代を生きた俳人たちが爽波の句をどう読んでいたかを知ることができることがある。たとえば上記のように古舘曹人のするどい指摘などにはじまり、飯島晴子、田中裕明、宇佐見魚目、川崎展宏、今井聖、岸本尚毅等々、興味がつきない。波多野爽波という俳人は、避けて通ることのできない俳人だったのだろうということがわかる。 チューリップ花びら外れかけてをり 「青」平成元年 みなが見ていて、誰もが詠えなかった一句として、多くの俳人の心に残っている句だ。手応えがあったということは容易に想像がつく。爽波の対象への迫り方は、ただひとつ。じっくりとその前に座り込んで、何時間でも凝視することであった。誰もが出来るものではない。最初の十分はそこにいることはできる。だが、何も変化がない、何も起こらない時間が過ぎてゆくと、そこにいることに耐えられなくなる。そこで、ついうろうろと動いてしまう。爽波は、そうしなかった。動かないことが思ってもみない俳句をもたらしてくれると信じていたからだ。 本書には末尾に山口昭男氏による「爽波論」が収録されている。「俳人波多野爽波の教え」と題したそれは、爽波の俳句の実践論である。爽波は何を大切にし、なにを嫌い、俳句をつくったか。 具体的なことばで、だれにもわかりやすく書かれている。また「よい句」というものを爽波はどう考えていたか、それも語られている。 また句会においては時間ぎりぎりまで粘れ、ということを推奨している。気持ちのよいまでの実践に即した爽波論である。 俳句をつくるすべての方に一読をおすすめしたい一書である。 明日は一日フルタイムで仕事場で仕事をすることになりそうである。
by fragie777
| 2020-06-24 20:32
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