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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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ビー玉の影うつくしき

6月16日(火)  旧暦4月25日


ビー玉の影うつくしき_f0071480_16173252.jpg

半夏生(はんげしょう)。



ビー玉の影うつくしき_f0071480_16174359.jpg

別名、片白草。




このところ音楽を聴いていることが多い。

太極拳を演舞するときや、朝の日課の体操をするときや、料理をつくったり、散歩をするとき、に聴く。

わたしは基本的には、音を聴きながらなにかをすることは苦手、音を聴くときはそれに集中したいのだが、最近はそうでもなくなって、音を聴きながらでもできる仕事の作業などは、音を流していることが多くなった。
これも家に蟄居していることによる変化なのだろうか。
音源はほとんどiPhoneである。
持っているCDもiPhoneに落として聴く。

ここんとこ朝は、バッハの無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータを聴いている。
奏者はギドン・クレメール。
これがすごくいい。
空気をひきさくように迫ってくる弦の音が、まるでわたしのはらわたまで引き裂くようだ。(わたしはマゾか……)

大分まえのこと、お風呂のなかでも聴いていたいって呟いたところ、
そういうのが可能なものをプレゼントして貰った。

それがこれ。




ビー玉の影うつくしき_f0071480_16231844.jpg

しばらく使わなかったのだが、今回使いはじめて非常に優れものであることが分かった。


とても小さなハンディなスピーカー。
iPhoneに連動していて、iPhoneの音が数倍いい音になって響く。
わたしはこれを持って家のなかを二階に行ったりうろうろとしている。
外にも持っていけるので、外で寝転びながら聴くこともできる。



どこででも音を聴きたい人への、おすすめのもの。

でも、きっともうすでに知っている人も多いのかもしれなけれど。。。
わたしはこれでとても幸せな満ち足りた時間をすごしているので。
紹介してしまった。






新刊紹介をしたい。


三村清子句集『岩清水』(いわしみず)


ビー玉の影うつくしき_f0071480_16184408.jpg

四六判ハードカバー装帯あり 178頁 2句組。

著者の三村清子(みむら・きよこ)さんは、昭和21年(1946)和歌山市生まれ、現在は東京・八王子市在住。平成18年(2006)「狩」に入会、平成27年(2015)「狩」同人、平成30年(2018)年「狩」終刊により、平成31年(2109)「香雨」入会。俳人協会会員。本句集は、平成18年(2006)から平成30年(2018)年までの「狩」に掲載されたものを中心に、「狩」以前の句をすこし加えて刊行されたものである。帯文と序句を「香雨」鷹羽狩行名誉主宰が、序文を片山由美子主宰が寄せている。


 白山へ向け産着干す大根干す
霊山を遠くに仰ぎ、冬支度に忙しい山里。干されたものと「白山」とがひびきあう。

 おほかたは届かぬ高さ返り花
季節はずれに咲いた花、小ぶりで花数も少ない。人の手には届かぬように感じたのだろう。

帯を抜粋した。

序句は、



 
ビー玉の影うつくしき_f0071480_16191016.jpg



 花ひらくさまに噴き出て岩清水       狩 行



三村清子さんが待望の句集を出されることになり、とても嬉しい。〔略)
三村さんはいつもにこやかで控えめではあるが、大変熱心で、きらりと光る作品を出されるのが印象的だった。今回、あらためてこれまでの作品を通読し、穏やかな人柄がそのまま作風となっていることを感じた。声高な物言いはしないが、一句一句にこまやかな配慮がなされていて、読み手をほのぼのとした思いにさせてくれるのである。

片山由美子主宰の序文である。たくさんの句を引用し、三村清子さんの俳句の魅力について語っている。そのうちのいくつかを紹介したい。

 一階は消えて二階に夜長の灯

食事をしたり入浴したり、という生活の場が一階にある平均的な住宅である。家族は用を済ませて二階の各々の部屋へ。主婦である作者は片づけを済ませて一階の灯を消したのである。二階の部屋ではそれぞれが秋の夜長を楽しんでいる。
佳句は尽きないが、最後に心に残った作品を挙げることに。

 風入れて囀入れて厨ごと
 新涼ややがて離るる家磨き
 人込みにすぐにまぎれて秋の暮
 見つづけてゐて見失ふ揚雲雀
 雪解けて山並低くなりにけり


本句集の担当はPさん。

 風入れて囀入れて厨ごと
 末の子の眠れば灯す雛の間
 だんだんに鳥の目となり菜虫取る
 十本のあぢさゐに庭重くなる


 風入れて囀入れて厨ごと

この句、いい暮らしだなあ。開け放った台所、いい風が入ってくる。そして鳥の囀りも聞こえてくる。この一句だけでも満ち足りた日々の暮らしがみえてくる。下五に「厨ごと」と置くことによって、この著者が台所ですごす日々がとても大切な時間であることがわかる。また、一日の多くをそこで過ごすのだろうということも見えてくる。わたしはこう言っちゃなんだけど一日のうちあんまり多くを台所にいることはない。最低限度にできるだけ留めている。(これ以上は聞かないで)台所って命を源を作り出す場所である。だから本当は大切な場所である。「汗をまづしづめてよりの厨事」という句もこの作者にはあり、「厨事」をいかに大切にしているかがわかる。「風入れて」のこの句、リズムの調子の良さが、この作者の弾んだ心をつたえ、厨ごとをしながら季節を楽しんでいるのだ。

 十本のあぢさゐに庭重くなる

いまはまさに紫陽花の季節である。散歩をしているとかならずといっていいほど出会う。紫陽花も品種改良などによって進化し、いろんな紫陽花を楽しむことができる。三村清子さんの家の庭には、紫陽花の樹が十本あるのかしら。「庭重くなる」という表現がおもしろい。今思ったのだが、紫陽花は大方円形のものがおおく、その樹の形も上へと伸びてゆくスマートなものではなくて、ずんぐりとまとまって円形に咲いている。丸いものって、地球もそうだけど重力を感じません?こう理屈をつければ、十本も紫陽花のまるまるとした株があって、そこに丸い紫陽花が咲いている。そりゃ重い感じもするわ。ってこじつけかなあ。作者のために云えば、作者はこの一句、そんな理屈をかんがえたわけではなくて、まさに直感で捉えた一句であり、「重くなる」というのも紫陽花という花がそれを語っている。

  
 登校の子らを待ちゐる春の泥

この一句、アングルがおもしろい。手前に充分に濡れた色をした泥が躍動するがごとくあり、その向こうに遠景に子どもたちが多分小学生が登校する姿がみえてくる。その子たちを「待ちゐる」のは、春の泥である。存分に踏んで春の大地のあたたかさとやわらかさを楽しんで貰おうと思っている。春になって解放された気分が、春の泥への思いともなってこんな楽しい一句が出来上がった。



『岩清水』は、平成十八年から三十年までの「狩」に掲載されたものを中心に、「狩」入会前の句をすこし加え二百九十五句を収めました。
昨年末の「狩」の終刊に合わせて本句集を出させていただけたことは感慨深いことでございます。
二十年ほど前からテレビや雑誌で俳句の面白さに触れ主にNHKに投句を始めました。平成十七年に毎日俳壇で鷹羽狩行先生に選んでいただき、これを機に「狩」に入会させていただきました。八年前に東京に転居してから、本部句会や片山由美子先生の瑞の会に参加させていただき、あたたかいご指導の中で、俳句の奥深さ、面白さをあらためて感じています。また多くの方々との出会いが俳句を続ける励みになっています。
句集を上梓することが出来ましたことは、ひとえに狩行先生と由美子先生のご指導の賜物でございます。


「あとがき」を抜粋して紹介した。



本句集の装丁は、君嶋真理子さん。



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落ち着きのある一冊となった。


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装画のグラデーションが美しい。


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表紙の色は華やぎのある青。


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見返しの用紙には金と銀の箔が散っている。


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扉。



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金色の花布とブルーのスピン。



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金色の帯が品格を添えている。



 ビー玉の影うつくしき小春かな

俳句人生の益々の充実をお祈りしたい。(序・片山由美子)



 雛納め箱の中から箱を出し

お雛さまはたいてい箱の中に収められている。それも一つ一つのお雛さまに箱がついている。お道具の箱もあり、それはもう様々な箱がある。飾る雛さまをとりだしたあとは大きな箱のなかに小さな箱をいれてできるだけコンパクトにして一箇所に置いておく。しかし、しまうときはそれらの箱から箱をとりだして一つずつまたしまっていく。雛祭りというのはそういう段取りもふくめての雛祭りなのだ。そういうこともきっちりとすること、それが出来なくてなんぞ雛祭りぞと、わたしはずぼらなわたしに云っている。


実はことしもお雛さまをだすのをさぼった。
五段飾りや七段飾りがあるわけではなくて、一対の雛さまなんだけど、あの大きな箱をとりだすのがねえ、、
厨ごとも雑、
ずべてがいい加減で、へらへらと音楽ばかりを聴いているyamaokaである。








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by fragie777 | 2020-06-16 18:26 | Comments(0)


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