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6月9日(火) 旧暦4月19日
睡蓮。 別名、未草(ひつじぐさ) 神代植物園の池である。 午後より出社して仕事。 深見けん二先生と、電話で後藤比奈夫先生のことをお話する。 「ふらんす堂通信」で3年以上に亘って、連載の「競詠」をされていたこともあって、深見先生は、この度の比奈夫先生のご逝去にはたいへん残念な思いをされておられる。 いろいろとご報告を申し上げると、 「さびしいですねえ…」とポツリとおっしゃった。 お二人はこの競詠にかなりのライバル心を燃やしておられたのではないかと、わたしは密かに思っている。 比奈夫先生は、兼題を出すにあたって敢えて作りにくいものを、「ふふふ、どうよ」って楽しみながら出されていたと思う。 好敵手があってこそ、張り合いがあるというもの。 比奈夫先生は、もうおひとりの参加者の池田澄子さんが出されたお題も、「季題じゃないから、ボクはやりにくくてねえ」と笑いながらおっしゃっていた。 三人の俳人が楽しみつつ真剣に「競詠」に取り組んで来られたのだ。 そういう比奈夫先生のお声がもう聞けないと思うと、つくづくとさびしい。 昨日の毎日新聞の新刊の記事を紹介したい。 鑑賞書。〈鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで〉などで知られる鍵和田の百句を平明な言葉で読み解く一書。最初期からごく最近の句集まで網羅しており、作家の句業を追うのにとても便利な一冊である。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 190頁 二句組 著者の髙橋道子(たかはし・みちこ)さんは、昭和18年(1943)千葉生まれ、千葉市在住の俳人である。昭和57年(1982)鴫俳句会に入会し、伊藤白潮に師事。昭和60年(1985)「鴫」同人、平成11年(1999)「鴫賞」受賞、平成23年(2011)鴫俳句会選者、平成29年(2016)11月より「鴫俳句会」代表をつとめる。俳人協会幹事。本句集は、第1句集であり、井上信子前代表が序文を寄せている。抜粋して紹介したい。 道子さんは、一見柔軟な、構えのない句を投ずる人だが、無駄なく、迷わず、その着地点の明確なことを折々に感じ、注目していた。 心に残る二句をあげて短い序文としたい。 春水に映れば木々の寄り合へる 明らかに、ひたすら季の呼応を求めている。 桜桃忌行李の蓋の深きこと 雑然とした情念と思念を閉じ込めている。季に寄り添いながら、かなり鋭く咽喉もとに踏み込んでいる。 髙橋道子さんは、40年近い句歴をもちながら、この度の句集が第1句集となる。精選された密度の濃い句集となった。 担当のPさんは、「好きな句が多かったです」と言ってたくさんの句をあげてきた。抜粋して紹介したい。 芽柳のうしろの空の押してくる 鎌鼬肉屋八百屋のしまひぎはおぼろ夜の保育器宇宙船に似る 何か失ふ葉桜の下くぐり抜け 共犯に似て流星を同時に見 ポケットの多いコートと雑な地図 なりゆきに枯れて親しき野となりぬ 虫送り闇に焦げ目のつきにけり 葱畑のずはずは暮れてゆくところ 朝寝せりわたしを初期化するために 十薬の白厚くなる降りはじめ 芽柳のうしろの空の押してくる 芽柳が春の季語。柳の芽のことであり早春のころ、萌葱色の新芽が吹き出る。風がふけばそれらが揺れて輝く。しかこの一句では、芽柳の動きを「うしろの空の押してくる」と捉えたところが斬新だ。「空が押す」とは、まさに春の力だ。春になってものみなうごきはじめる森羅万象の躍動感と大地を支配する生命のエネルギーの力を思わせる一句だ。 おぼろ夜の保育器宇宙船に似る 言われてみれば、そう、宇宙船ににているのかもしれない。すやすやと赤子が眠る保育器。透明なガラスに覆われて、外側は固くしっかりした骨組みになっているが、なかではやわらなか赤子が眠っている。母の胎内で夢見ていたその夢をひきつぐかたちで安らかな眠りだ。赤子は母の胎内を旅をしてきたのである。それも長い旅の時間だった。母の胎内も小宇宙である。それを引きつぐかたちでの保育器は宇宙船でなくてはならない、再び赤子は新しい太陽系にある地球という惑星に乗って新しい旅を開始するのだから。 朝寝せりわたしを初期化するために これもおもしろい一句だ。朝寝の原因や理由はいろいろとあるが、こんな理由の「朝寝」ははじめてである。「初期化」とはパソコン用語で、保存されていた記憶や情報すべてを消去して、使い始めのまっさらな状態に戻すことだけれど、人間に生まれてしまうと、事故にでもあって記憶喪失にでならないかぎり、これまでの身体に埋め込まれたあらゆる情報からは自由になれない。著者の髙橋さんは、あるいは密やかな特技をおもちで、朝寝によってたやすく自己をあたらしくすることができるのかもしれない。季語は「朝寝」、「初期化」という俳句には採用できそうもない言葉を、巧みに取り入れたところに注目した。 息づかひほどの秋雨紙を裁つ この句はわたしの好きな句。繊細な一句だ。「秋雨」を「息づかひほどの」と捉えたところが独自である。イメージとしてはわかるが、「この息づかひほどの」とはどういうことなんだろうか。かすかに降る秋の雨。あまりにも静かな降り方なので、雨の音よりも自身の息づかいの方が聞こえてくる、そんなふうにして降る秋の雨。しかし春の雨とはちがってものみな輪郭が際やかに見える。さらに下五の「紙を裁つ」で、紙を裁つ尾本までも聞こえ、そのシャープさが際だった。 句集を編むことは確かに自らの句の反省になりましたが、それはまた、来し方を見つめなおすことでもありました。白潮師からはさまざまな教えをいただきましたが、殊に「ものの本質を捉えよ」の厳しい言葉は忘れられません。また苦楽を語り合った先輩や句友たち、どんな状況でも句会に出かける私を黙って見ていてくれた家族の姿、それらが次々と浮かびあがり、俳句とともに歩んでこられた日々への感謝に繫がりました。 句集名は〈半世紀前はこなひだ秋扇〉からとりました。 おもえば、俳句に心惹かれるようになってからほぼ半世紀になります。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装丁は君嶋真理子さん。 タイトルと模様の一部を金箔押しに。 見返しもややくすんだ地模様のあるピンク。 ピンクは子どもっぽくなってしまうので難しいが、これはうまく響き合っていると思う。 透明感ある見返しをひらくと扉となる。 扉。 花布は金。 スピンは濃い赤紫。 すっきりと品の良い仕上がりとなった。 髙橋道子さんは出来上がりをたいへん喜んで下さった。 俳句という小宇宙の奥深さはまことに限りなく、探るに尽きることがありません。(あとがき、より) 睡蓮の余白の水面うすぐらし 今日の写真の睡蓮もそうだし、睡蓮をみているといつも思うのだが、睡蓮の葉と葉の間にみえている水の面はかなりくらい。そのことを俳句に表現するって難しいのではないかって思っていた。この句、それを「余白の水面」と端的に言い止めた。こう言われて見ると、なるほど!って思ってしまう。まさに散文とはちがう俳句における無駄のない表現である。 ほかに、好きな句をいくつか。 色淡き昼顔の辺は声落とす 涼しきは静かに似たり銀フォーク 噴水を半分隠しバザー立つ 昨日会った蝉夫くん。 「比奈夫先生、亡くなったんだ」って、わたしは告げた。 蝉夫くん、なんのことかわからなかったかもしれないけど、わたしはそう告げずにはいられなかった。
by fragie777
| 2020-06-09 19:33
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