カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
4月27日(月) 旧暦4月5日
昨日の散歩で思った。 楓の若葉が美しいと。 楓の花。 すっかり夏の気配だ。 風にごうごうと鳴っていた木々。 午前中は在宅で仕事。 午後は銀行によってから出社。 朝のミーティングでは、「大変な状況であるけれど、頑張ろうぜ!」と檄をとばす。 「もうすこし柔らかに言ってほしい」とラインを送ってくるスタッフもいる。 yamaokaは鼻息は荒いが、どこか緻密ではないので、どうも説得力に今ひとつといったところだ。 しかし、こういうときこそ身体や心に力をいれるな ![]() 小笠原眞著『続・詩人のポケット すこし私的詩人論』の新聞評を抜粋して紹介したい。 「東奥日報」4月24日づけのもの。評者は詩人の井川博年さん。井川さんは、帯をよせてくださった方である。 タイトルは「愛情こもった評論・評伝」抜粋して紹介。 この本は、自らも詩を書く著者が、好きな詩人11人を選んで、その詩と評伝を書き、6年前に同じ出版社から出した「詩人のポケット」の続編である。副題が「ちょっと私的な詩人論」から「すこし私的な詩人論」に変わっているところに、著者の遠慮がちな自負がほの見えて微笑ましい。前書の金子光晴から平田俊子という人選も斬新な試みであったが、今回の11人の顔ぶれはより多彩。 大正生まれの会田綱雄、小山正孝から、昭和戦前生まれの粕谷栄市、小柳玲子、諏訪優、寺山修司、鈴木志郎康、暮尾淳と続き、戦後生まれは八木幹夫と金井雄二。最年少は昭和36年生まれの中島悦子である。(略) 著者の小笠原さんは、十和田市に住むお医者さん。この十和田という東京から遠く離れた場所が、詩人論を書くには最適な距離だった。著者はそこで「じっくりと時間をかけて、楽しみながら書き進めることができた」、と「あとがき」に書いている。地方で暮らしているので詩壇付き合いもない。この本に登場した詩人とは、八木幹夫を除いて、誰とも会ったことはないというから驚く。でもそれがあこのようにパースペクティブな、何処(どこ)にも偏らない詩人論が書けた原因ではないか。 小笠原さんの書くものは、愛情がこもっている。例えばいまでは読み人の少ない諏訪優の晩年の詩を褒め、「太郎湯」や「谷中草紙」といった生前評価が低かった詩集を採り上げる。今年の正月に亡くなった暮尾淳の詩が好きだというのもうなずけるし、最後を鈴木志郎康の老年の詩で締めくくったのもいい。(略) ともあれ、こんないい本を、一部の詩の愛好者だけに提供するのはもったいない。いま「コロナ禍」で大変な時だからこそ、多くの人に読んでほしい。書店でも何でも、何処かで、手に取ってもらえば、詩など読んだことのない人でも、きっと豊かな気分になれるはず。それが著者の一番の願いだと思う。 そして「デーリー東北」4月24日付けの書評は詩人の上條勝芳さんによるものだ。 こちらも抜粋して紹介したい。 『すこし私的な詩人論 続・詩人のポケット』は、小笠原眞が好きな11人の詩人論である。詩への肯定的な関心がモチーフになり、背景としての詩人の人生に焦点を当てながら展開している。(略) 論考の主題を紹介する。寺山修司の詩の世界は真正の前衛詩人でありながら、優れた抒情詩人でもあった。中島悦子の詩には多くの死者の声が響き合っている。粕谷栄市の作品群は夢と現を、彼岸と此岸(しがん)を行き交って新たな詩情を提示。暮尾淳は若くして姉と弟の自死に遭遇し、生き続けるために書き続けてきた。諏訪優の詩はモダニズムからビート詩、そして風狂の詩へと変化しても、対象としての女性の美と愛を追求してきた。金井雄二の詩を通して日常の素晴らしさを実感できれば、幸福な人生に立ち会うことができるかもしれない。八木幹夫は愛情と尊敬の念で対象に接している。最後に身体詩人として自分言葉で書く鈴木志郎康(しろうやす)に触れ、「人間存在の不可思議を身体詩を介して具現化した」と普遍性を確信している。小笠原は、詩誌「百鬼」に所属していた盛岡での医学生時代に鈴木に憧れ、影響を受けていた。 ところで現在の新型コロナウイルス対策は、人類の共存が求められているように思う。そして生存の根源的な問いが私たち一人ひとりに向けられているようだ。このような情況下、『続・詩人のポケット』は、時代と対峙しながら真摯に詩と向き合い続けている、誠実な詩人たちと出会える恰好の書である。 今日も在宅仕事では、愛猫・日向子にさんざん邪魔された。 長い美しいしっぽが自慢なの、 とばかりに。。。。 存分なやりよう、 である。
by fragie777
| 2020-04-27 19:52
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||