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4月16日(木) 土用 旧暦3月24日
楓の葉の新緑とともに、花も咲きはじめている。 夏は確実に近づいている。 今日は一日中家で仕事。 スタッフのPさんが、仕事場でお互いが会わないようにシフトを組んでくれた。 一人はかならず仕事場にいて、あとは基本、在宅でテレワーク。 しかし、問題がある。 どうやらひとりだけ、まだ事態がのみこめておらず、トンチンカンなヤツがいる。 困ったもんだ。 誰って、 それは、 わたしことyamaokaである。 一応ふらんす堂の代表なもんで、決まったことをちゃんとパートさんにも伝えるようにと言われていた。 昨日のこと、パートのTさんが、 「じゃ、今度は金曜日に来ます」と言って帰ろうとしたとき、 「待ってください。yamaokaさん、ちゃんと伝えました?!」とスタッフがわたしをにらむ。「あれ、ええっと、なんていえば良かったかしら」としどろもどろ。 「まったく!」と変わりに説明をしてもらったのである。 「大事なことなんですよ!ちゃんと把握してください!」 もう叱られる、叱られる。 どうも頭と身体のネジがゆるんでいるようである。 身体の力を抜くってそういうことじゃないんだけど、 わたしの場合、肝心なとこが抜けるらしい。 いやはや、なんとも、、 である。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クーターバインディング製本帯あり。218頁 2句組 著者の黒澤さや(くろさわ・さや)さんは、1955年東京生まれ、現在は東京の谷中にお住まいである。2011年「椋」に入会し、石田郷子に師事、2015年第7回「椋年間賞」受賞、2018年第7回「椋新作賞」受賞、現在「椋」会員、俳人協会会員。 本句集は、第1句集で序文は石田郷子代表が寄せている。 抜粋して紹介したい。 先客のありて笑まひぬ泉殿 泉殿は古風な言葉だが、私たちの吟行地の一つ、荻窪の庭園での作だろうか。身近な街なかの公園で出会った些細な出来事、すなわち泉のある坪庭へ向かって設えた休憩所に行くとすでに先客があった、というだけの事実を、丹念に季節の言葉を選び、文語を使いこなして一句にしてみると雅やかで気品のある作品になる。目が合って思わず微笑んだ相手はどんな人だっただろう。 句集一句目におかれた句についてだ。石田郷子代表は、「句集『会釈』はの読み方は無限にある」とし、この句集のもつ多彩さについて触れている。のびやかな感性、東京生まれの江戸っ子気質、下町育ちの闊達さ、語彙の豊かさ、発想の多彩さ、そこはかとないユーモア、等々だ。そして、作品を丁寧に鑑賞しながら、 岩鼻は空に親しや冬紅葉 山の雨見えねど濡るる杜鵑草 旧道の一本道の括り桑 振り向けば夏野は翳りあるところ 対岸の広葉吹かるるキャンプかな 白鷺に榛の初風ありぬべし などをあげて、 ここには「もの」を自分に引きつけようとする意志ではなく、五感に訴えてきたものの声に忠実であろうとする姿勢があり、それが作品に生命を与えるのではないか。そして、これらの叙景句は、個性的というのではないが、この句集に骨格を与えているように思う。 と記す。 また、句集名となった、 木瓜の花会釈とは断るときも 句集名を取った「会釈とは断るときも」は、作者の佇まいを彷彿させる作品で、木瓜の花のきっぱりとした朱色がよく映っている。俳句という省略を旨とする文芸において、私たちはちょっとした冒険者になれる。その楽しさを教えてくれる作品でもある。 「ちょっとした冒険者なれる」という言葉、わくわくしてくる。 挨拶の声よく徹る水羊羹 立冬の耳澄んでくる紅茶かな初雪の林檎の肩を濡らしけり 野のやうに仕立てたるピザ春暮るる 砂を踏む音の涼しき紬かな 抱きしめて犬叱りたるチューリップ 夏つばめ市は眩しきところなり かへるでの実や鍵あけてくるる人 沈丁の香に後れゐる心とも 挨拶の頬柔らかし冬菫 これは担当のPさんが好きな句である。 挨拶の声よく徹る水羊羹 夏になって部屋をあけはなった風通しのよい景色がみえてくる。まさに著者がくらす東京下町の風景である。お客さまが見えた、そうだ、冷やしてあった水羊羹でも切って出そう、改まったお客じゃないし、元気よく奥まで通る声でよく知った人だ。きびきびとした人間のたたずまい、気取らない関係、「みずようかん」の「かん」が気持ちよく一句を支配するのみならずこの情景に響き渡る。がっちりとドアの鍵をしめ、冷房をきかせてた山の手のお屋敷街ではこうはいかない。石田郷子代表が序で書かれていたように、映画の一シーン、そう小津安二郎の世界がある。東京でも失われつつあるものだ。 かへるでの実や鍵あけてくるる人 「かへるで」は「楓」のこと。と、実は今知った。いや、何度か教えてもらったことがあったかもしれないが、忘れてしまったのかもしれない。「カ行」と「ラ行」が調子よく配されてすっと入ってくる一句だ。重い意味などなくてあっさりとした一句であるが、「かえるでの実」がいい。この季語によって個性的な一句に仕上がった。しかも上滑りな一句でなくて、現実感がある。暮らしの中から生まれた手触りがある一句だ。俳句という詩形への信頼によって生まれた一句だ。 わんわんと犬の寝言や天の川 これはわたしの好きな句。いったい誰が「天の川」に犬の寝言をもってくるだろうか。しかも「わんわん」なんて平気でおくのも、面白い。しかし、著者は面白さの受けを狙ったわけでは決してないのだ。大真面目であると思う。銀河が美しい秋空がある。それにむかって犬が吠えている、のではなく、あくまでこの犬は寝ているのである。しかし、ただ寝ているのではなく、ワンワンと寝言を言っているというのだ。なんとも人を食った一句である。しかし、たぶん実景なんだと思う。俳諧性のある一句だ。 夏手袋そのまま涙拭きにけり この一句には物語がありそうだ。レースの美しい夏手袋が見えてくる。それをしている人はマダムもしくは令嬢である。そう、ここにも小津映画に登場しそうな岡田茉莉子(古いねえわたしも)あたりをイメージする。もちろんこの一句には主語は省略されている。「夏手袋」がものを言っているのだ。これを冬の季語の「手袋」に置き換えるとがぜん場面はがらっぱちになってしまう。冬の手袋をしたまま涙を拭いてはねえ、夏手袋であるからこそ、涙も美しい。 句集『会釈』は、二〇一一年から二〇二〇年までの作品三四四句を収録した第一句集です。 二〇一一年三月に起きた東日本大震災で、一瞬にしてこれまでの生活が変わってしまうことを目の当たりにし、心落ち着かない日々を送っていました。 そんな時、石田郷子先生の 掌をあてて言ふ木の名前冬はじめ に出合い、この先生について自然の中を吟行しながら俳句を学びたいと強く思ったのでした。 「椋」に入会し、俳句は自然への感謝と祈りと教えていただきました。写生をしても句にはその時の心が出ることも教わりました。 「椋」の句会は、まず歩くことから始まります。その時その時に感じる新しい何かをつかまえたくて、いつもの吟行地を初めてのように今日も歩きます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 気絶さすほどの塩梅蠅叩 裏側はアルゼンチンや昼の虫 肩張つて来しが寒さのもの足りぬ なかよしもりぼんも読みぬ豆の花 たくさんの影過ぎにけり冬の菊 本句集の装丁は和兎さん。 タイトルの一句にある「木瓜の花」をモチーフに。 アザミ色というかややくすんだ臙脂色が差し色となった。 柿色も用意したがこちらを著者は選ばれた。 表紙。 見返しと帯は同じ用紙。 扉。 クーターの色も同色で。 カバーの袖の一方の折り返しにも木瓜をあしらう。 品格のある一冊となった。 火を焚きし跡もありけり夏の川 さやさんの作品には初心のころから十分な余白をとってあることがわかる。 読み手が自由に想像を働かせる余白だ。 (序より・石田郷子) 読みさしのヴィヨンの妻や冬の旅 とても好きな句である。なつかしさを呼び起こす一句である。「冬の旅」は太宰治という作家にふさわしい。 「明るい郷愁がふっと胸をかすめてゆく」とこの句について石田郷子代表は書いているが、まさにそうかもしれない。いや、この一句ならず、本句集をじっくりと読むと、この句集をつらぬいているものが、「明るい郷愁」なのではないかとわたしは思ったのだった。
by fragie777
| 2020-04-16 19:51
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