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4月4日(土) 清明(せいめい) 旧暦3月12日
「どこにも出かけないように」とわたしも周りから言われているので一日家にいる。 (あるいは夜遅く仕事場にいくかもしれないが) 家にいることも悪くない。 香をたきながら太極拳をして、午前中は仕事の原稿を読む。 エッセイの原稿であるが、なかなか面白い。 昼はピザを食べてトマトジュースとコーヒーをのみ、 それから録画してあった韓国ドラマを3本見て、そのあとはオペラの「トゥーランドゥット」を再び観る。 その合間を縫って、電池切れとなっていた寝室の古時計の電池替え。 これでやっと正確な時間となった。 2時間遅れていたことに最近ようやく気付いたのだった。 また、時には愛猫の足裏なども眺めたりする。 こんな時間も悪くない。 書棚などをあさって埃をかぶったかつて読んだ本などを取り出したりする。 へえー、こんな本読んでたんだ。。。。 今日はその中の一冊から詩の一節を紹介したい。 付箋がはってあったので、好きな一節なのだと思う。(特に最初の3行が) ぼくたちにとって 絶望とは あるなにかを失うことではなかった、むしろ 失うべきものを失わなかった肥大のことだ おびただしい椅子と白壁とにかこまれて 撓みながら 鏡は過ぎてゆく歴史の記憶をすべる。 多くのものがすぎていった雨季の階段のうえで ぼくたちは時代の咽喉を そこでただひとりの死者の声をみつける。 名のない魚だって 死んだら ぼくたちの意識のなかを泳ぐだろう 鳥だって死んだら意味を飛ぶのだ そのように 死者だって恢復するのだ 誤謬のなかの死はいまこそぼくたちの詩をためす それというのもいつだって、詩は どのように過激な行為や言葉よりも過激だからだ ぼくたちの内なるやさしさ そのものにならねばならないからだ (長田弘詩集「無言歌」より) 暗くなるとさすがに仙川もやっと人が少なくなる。 暗くなったら出かけよう。 ![]()
by fragie777
| 2020-04-04 17:35
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Comments(1)
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