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4月3日(金) 旧暦3月11日
家の近くの連翹畑。 賑やかに咲いている。 これはわが家の連翹。 地味すぎる、、って思いません。 今日は自転車で出勤。 仕事場についたら、お尻のところ右半分が濡れている。 あら、いやだ、失禁!! でも、身に覚えがない。 が、身に覚えがなくても、あるいはと疑わなくてはならない年齢にさしかかっているのだ。 おそるおそる匂いを嗅いだが、 そのような匂いはしない。ほっとする。 しかし、なぜだ。。。 やはり水に濡れているのだ。それもかなりぐっしょりと。 しばらくあれこれ考えをめぐらせてみた。 で、思い当たることといえば、自転車である。 自転車のところまで行ってみた。 わかった! サドルに小さな穴があいていたのである。 そこから雨水をたっぷり吸いこんでいて、わたしが重たい身体を乗せたものだから、その穴から雨水があふれ出したというわけ。 サドルを押してみたところ透明な水がじわっと出た。 小さな穴なので、そこにガムテープを張ることにした。 それがこれ。 ガムテープを派手に貼ったので、その上にマスキングテープを貼った。 鳥獣戯画展の時に買ったものだ。 ガムテープだけより楽しいでしょ。 わたしはふたたびこの自転車にまたがって家路へと急いだのである。 が、 残念なことに、わたしのお尻の重圧があまりにも強いのか水がガムテープの隙間からじわじわとにじみ出てきて、 やっばりわたしのお尻は見事に濡れてしまったのだった。 その様を見せたくて鏡の前に立ってあれこれと工夫した。 やっとどうにか撮れたのがこれ。 わかる? 実際は右なんだけど鏡に映ったものを撮っているから左にある。 ぜったいお漏らしってみえちゃうわよね。 これ撮るのにかなり苦労したんだけど、脱いで撮れば簡単だったということがあとでわかった。 あはっ。 こんな風にね。 どこまでも、おバカなyamaokaでございました。 雑誌の記事を紹介したい。 「現代詩手帖」4月号 「詩書月評」のところで福田拓也さんが、木村文訳/サロメーヤ・ネリス詩集『あさはやくに(ANKSTI RYTĄ)』を紹介している。 サロメーヤ・ネリス『朝早くに』(木村文訳、ふらんす堂)は、風、太陽、夜、海、大地などをみずみずしく歌う二十世紀前半のリトアニアを代表する詩人の1927年の処女詩集の対訳。平易な訳文を追ううち読者は忘れ難い詩行に出会う。「まよなかに大地のしずけさを/未来の歌がひきさくだろう」「またわたしをみちびく/わたしの知らないあさが/よるのさまよいから/よそものたいへと。」 「ふらんす堂通信163号」連載の競詠7句についてもとりあげられている。 俳誌「浮野」4月号 「現代俳句展望」で太田かほりさんによって。 日記果つこれが百二歳の日記 後藤比奈夫 数へ年百四歳の明の春 〃 風呂吹きや会ひたき人の数知れず 深見けん二 海は荒海向こうは朱鷺に寒からむ 池田澄子 「ふらんす堂通信」163号「競詠7句」より。一句目。「日記果つ」という季語には誰もがそれぞれの感慨を催す。まして、百二歳の作者には過ぎ去った三百六十五日の一日一日に等閑ならぬ思いがあり、新しい三百六十五日には期待とともに幾許かの不安も交じるだろう。「百二歳の日記」に衝撃を受け、心から感動を覚え、改めて作者の名前を確認した。心したい一年一日である。 二句目。年齢の数え方の「満」と「数え」の二種類に対してこれまで多少の違和感があったが、平成、令和の御代替わりを経験したためか、歳を取ったせいか、「数へ歳」に意味を感じるように変わっていることに気づいた。「数へ」は、生まれてから関わった暦年の数で年齢を表す方法であるが、この世と自分のかかわりを表すものとして意味を感じる。「明の春」は新年を寿ぐ使い方であるが、百四にわたって自分の命が時代の中に存在したことを自ら寿ぐ心持ちがある。違いは一年に過ぎないが暦年を通して社会の中の自分を感じているところに作者の広い視野を感じさせられた。 三句目。あつあつの風呂吹大根に息を吹きかける時、その湯気の向こうに同じように食卓を囲んだ日々が浮かんで来る。風呂吹きは懐かしい日々を思い出させる。人々の顔、声、表情が次々によみがえり、会いたいと思う。歳を取るとは会いたい人が増えるということ。会いたい人になかなか会えないということである。やや寂しくも心温まる述懐である。 四句目。北原白秋作詞の童謡『砂山』は、「海は荒波向こうは佐渡よ」と歌う。童謡というより哀調を帯びた民謡のように低音でゆっくり歌われ、口ずさめば荒涼とした日本海の風景が重なってくる。「すずめなけなけ」「すずめちりぢり」「すずめさよなら」の七音のフレーズは心に沁みる。それでいて童謡らしい温もりを湛えている。佐渡といえば朱鷺が連想されるが、作者は童謡に読み込まれ雀から朱鷺へと転じ、「寒からむ」と思いやった。十一音までが引用で八音からが作者の独壇場、白秋に負けず劣らず土地への優しい眼差しがある。 体調をくずされた後藤比奈夫氏であるが、病院でリハビリを頑張っておられるということである。 ご快癒をお祈り申し上げたい。 今日は明るいうちに家に帰ってきたのだが、 ブログを書き終えたいま、外ははもう真っ暗である。
by fragie777
| 2020-04-03 18:43
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