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4月1日(水) エイプリルフール 旧暦3月9日
朝からの雨ふり。 今日の仙川駅前の桜。 枯れたと思っていた枝先にも花を咲かせている。 これは奥にあるほう。 こちらの方が威勢がいい。 まだ見事な咲きざまである。 今日は4時過ぎには仕事場を離れて家に帰る。 だからブログは家で書いている。 さっきまで愛猫の日向子がかたわらでじいっとわたしのやることを見ていた。 いま目をやるといない。 あれっ、どこに行ってしまったのだろう。 ま、いいか。。。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯あり 180頁 二句組 著者の小川弘子(おがわ・ひろこ)さんは、1938年和歌山県生まれ、現在は京都市在住。2005年に朝日カルチャーセンターにて俳句をはじめ、2013年「船団の会」(坪内稔典代表)に入会し現在に至る。本句集は、第1句集であり、坪内稔典さんが跋文を、火箱ひろさんが栞を寄せている。 タイトルは「We are hera」。英文である。このタイトルについては、著者のあとがきを紹介したい。 表題を「We are here」にするまで、少し迷いました。今は亡き夫が少年の頃、科学学級の生徒として広島県の深い山里のお寺に集団疎開していました。昨年家族とそこを初めて訪れたとき、山でしきりに鳴いていた夏鶯に向かって、皆呼び掛けたのがこれです。(あとがき) We are here We are here 夏鶯 タイトルのとなった一句である。 跋文や栞を拝読すると、小川弘子さんは、「小川さんは(京都の)東山を上る坂道の家に住んでい」て、「庭に大きなグレープフルーツの木のある家」だそうで、ちなみに坪内さんの跋文のタイトルは「グレープフルーツの咲く家で」とあり、その家は百年はたっている洋館であるらしい。坪内さんたちは、「天窓のある天井の高い洋間で、十余名が集まって句会をする」という。「常連の数名のほかはメンバーが変わるが、新聞記者、編集者、民族学者など、分野の違う人を呼ぶこともある」という句会。ご子息さんも学者さんでときどき句会に参加されるという。そのあとは小川さんの手料理がふるまわるという、ナイフとフォークのお料理ですって。とてもゴージャスで上質なものに満ちた環境である。 七草粥バラを一ひらのせますか シェリー抱き春の坂来るひとはだれ グレープフルーツもバラもシェリーも、そしてフランスパンもバッハも、彼女にとっては親しい日常と言ってよいだろう。 これは坪内さんの帯のことばであるが、そういう生活環境のなかで過ごされた著者であることは、この句集を読めばすぐにわかる。とてもうらやましい。 火箱ひろさんは、親愛の思いをこめて栞を書く。タイトルは「坂の家の物語」 朝からマーラーグレープフルーツジャムにする グレープフルーツは小川家のシンボルツリーだ。明るい黄色の実がたわわに実り、百年の家が一挙に明るくなる。マーラーのBGMで作ったジャムはどんな味だろう。また、ある日木枯らし一番が吹いたかも知れない。温かいもの食べたいな、と思えば 蕪蒸し作るを決めて坂下りる 小川さんは今日も坂を下りてどこかに、にこにこあらわれる。 小川弘子さんの生活環境をこうして伺うと、もう、羨ましくてくらくらしてきてしまいそうである。だって百年たった洋館よ! さて、本句集の担当はPさん。 ボジョレーヌーボー中原中也の顔してる 空っぽの瓶を覗けば夏は夜春はあけぼの石鹸の泡の中 やわらかい花菜を漬けて今朝の明るさ We are here We are here 夏鶯 春はあけぼの石鹸の泡の中 この一句はわたしも好き。生涯に一度でいいからこんな風にしてお風呂に入ってみたい。素敵な洋館にお住まいだから、きっと猫足のバスタブだってある。朝の光のなかでお湯をはってそこに良き香りのする石鹸をふんだんにいれてめちゃくちゃに泡立て、ゆっくりとつかる。窓はひらかれてレースのカーテン越しに朝日がふりそそぐ。湯舟は白い陶器で清潔に磨かれ、ゆったりと身体をのばす、いいなあ、かつて見た映画の一シーンのようだ。春のけだるさが、石鹸の泡とともに広がっていく。わが四肢をうっとりと眺めて、んなことはしないけど。わたしのさらなる理想は、湯舟によき角度でよこたわり文庫本などを読む。文庫本は何にしようか。ジイドの「贋金つかい」でも読むか。いまたまたまわたしの横の書棚をみていて目にとまった。長編だから、キリのいいところでやめるけどね。まどからグレープフルーツの木がみえて、いったいこの風景は日本なのだろうか。こんな風に夢想させてくれるだけでもこの一句はすばらしい。 夕焼けて書架の金文字顕れる この一句、火箱ひろさんも栞にあげておられたが、わたしの好きな一句である。ご主人は学者さんでおられ、小川さんご自身も文学のたしなみのある方であるようなので、百年の家には蔵書がたっぷりあることだろう。昔の本はたいてい上製本の丁寧なつくりでおおかた文字は金箔などの箔押しである。洋書などもそうだ。本は時間を経てふるくなり、文字の箔押しも黒ずんでかすれてしまったものも多いだろう。その一冊にふっと夕焼けが当たった。すると生き返ったかのようにその金箔の文字があらわれたのである。夕焼けによってあらわれた金文字に触れて、過ぎ去りし時間をなつかしむ著者の姿が彷彿としてくる。 コーヒーはブラック雑念は鶏頭 この句、へんな一句である。だけどなんだか立ち止まってしまった。「コーヒーはブラック」という措辞がみちびきだしたものが面白い。「コーヒーはブラック」うん、うん、はい、それで、と思い、「雑念は鶏頭」でこの脈絡のなさ、わけがわからん。でもあの鶏頭の複雑な形がみえてきてそれがさらに渦をまき、わたしの雑念をすべて吸い込んでくれるような気がしてくる。ブラックコーヒーと鶏頭の間にある小さな深淵がおもしろい。 猫じゃらし全部さわって二年生 この句もおもしろい。三年生以上はしないよな。一年生はまだそんな余裕がない、なんて考えるのが楽しい。もちろん小学生のことだけど。えっ、中学二年生、高校二年生でそんなことする子がいたら、それはそれで大好きになりそう。わたしはこの風景はどうしても男の子と思えるのだけど、ほかの方はどうなのだろう。 俳句に出会ったのは、今までの小さな仕事に区切りをつけ、さて、と思った六十も半ばをすぎたころでした。朝日カルチャーセンターの豊田都峰先生の「初めての五七五」、そしてその後、坪内稔典先生の「坪内稔典俳句教室」に入れて頂きました。坪内先生に初めてお会いしたのは、毎日新聞社主催の天王寺動物園への吟行会でした。先生のご講演とカバへの情熱を知って、先生にご教示を仰ごうとひそかに決心しました。「船団の会」に入れて頂き、「紫野句会」にも参加し、気がついてみれば、俳句が生活の中心のようになっていました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 坪内さんの「カバへの情熱を知って、先生にご教示を仰ごう」と決めたのがすごく素敵だと思った。俳句とカバの間にはなみなみならぬ豊かなものがあってそれは誰でもわかるものではなくて、小川弘子さんというとても上等なものに培われた方だからこそ、それがわかったのだとわたしは思ったのだ。 本句集の装丁は和兎さん。 ご本人はフランス装でという以外は、すべてお任せということだった。 用紙は、横縞があるものを用いた。 タイトルは金箔押し ![]() ![]() テーマカラーは淡いグリーン。 天アンカットで。 こんな風にも撮ってみた。 自転車倒し秋蝶と哲学者 「私のことに好きな句」と坪内稔典さんは書かれている。 去りながら振り向く猫よ梅真白 この一句は私情をこめて選んだ句である。愛猫のヤマトは梅の咲くころに死んだ。梅の白さがこころに突き刺さった。小川弘子さんも猫がお好きとのこと。わざわざお電話をくださって、ヤマトの死をを悼んでくださった。本句集にも猫の句がときどきあって、これはそのなかの一句。去りながら振り向く猫は、ヤマトに違いない。この一句のなかに愛猫ヤマトがいたのだ。 かわいいでしょ。 わが家の居間のかたすみにおまけでもらった小さな動物たちの一群がある。 そのうちの一つ。マッチ箱より小さなおもちゃ。なにかのおまけなのだけど、おぼえていない。 今日目にとまったので紹介しちゃった。。。
by fragie777
| 2020-04-01 20:13
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Comments(1)
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