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3月30日(月) 雷乃声発(かみなりすなわちこえをはっす) 旧暦3月7日
すでになつかしい春景色。 このあとに大雪が降るなんて、誰が予想しただろうか。 中国医学に精通している友人のYさんが、ふたたび免疫力をアップする漢方を送ってくれた。 この漢方はYさんの友人の漢方専門のお医者さまがYさんにくださったものをお裾分けして貰っているのである。 ありがたい! 目の前につるして良き匂いをかぎながら私は仕事をしている。 漢方の粉末と一緒にマスクが添えられていた。 「わたしのお気に入りの縫わないマスクも同封します」という手紙とともに。 真っ白なガーゼのマスク、これにこの漢方の粉をいれたものを挟んで使用するとよいとも書かれていた。 ちなみにこの粉末はすごくいい匂いがするのである。 これもまたありがたいことである。 さっそくわたしは使用させてもらうことにした。 いままでは、市販の使い捨てマスクにベルガモットの香油をすこしふりかけて使用していたのだが、このマスクは洗えるのでたいへん助かる。 しかも中国4000年の知恵が生み出した漢方薬である。 Yさんの気持ちをありがたくいただくことにした。 このようにいろいろな方に励まされながら仕事をしているyamaokaである。 今日の読売新聞の「枝折」には、藤田直子著『鍵和田秞子の百句』が紹介されている。 第1句集『未来図』から第10句集『火は祷り』まで。繊細さと大胆さを併せ持つ豊かな作品世界を見渡す。 投函の悔あり雪は渦に降る 鍵和田秞子 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 226頁 3首組 著者の石川清文さんの第4歌集にあたる。石川清文(いしかわ・きよふみ)さんは、1968年岩手県生まれ、現在は岩手県一関市在住。1995、1996年と「短歌現代」(短歌新聞社主催)の新人賞の佳作となった。これまでふらんす堂より、『草木』(2000刊)『みちのく』(2003刊)『蕎麦の花』(2015刊)の三冊の歌集を上梓されている。これまでの歌集はみちのくの自然を清新に、あるいは生活風景をこまやかに静かに詠んだものが中心となっていたが、この第4歌集ではこれまでとは大きくことなり、幅広いさまざまなテーマの短歌を収録している。たとえばいままで見られなかった政治色のあるものや性愛を大胆にかなり露骨に詠んだものなど。少年時代のこと、家族のこと、犬や猫のこと、友人のこと、故郷の自然について、昆虫のこと、日常、社会時評的なこと。虚構も現実もとりまぜての短歌である。 詩人の小笠原鳥類さんが、この歌集について感想を送ってくださった。 まずは、それを紹介したい。 石川清文さんの歌集『ため息』が届きました。送ってくださってありがとうございました。 「きみが我が家に来るたび犬小屋の犬吠ゆるなりこのばか犬め」9ページ 犬も人も元気でよいと思いました。 「この家に犬を入るれば父怒(いか)る理由は犬は汚いらしい」52ページ 父親も元気でよいです。「愉快なるわが父」という章の一首で、愉快です。 「少女と弟が静かになり水槽のまりもをじつと見てゐる」173ページ 57577の形がかなり崩れています。自然に浮かんだ一つの文が静かな緑色なのだと思いました。 ここで小笠原さんが触れているお父さま詠んだ短歌は、わたしもとても面白く読んだ。 お父さまはすでに亡くなられておられるようだが、石川さんのユーモアの精神の感じられて楽しい。 抜粋して紹介したい。 わが犬に帰宅をしたるわが父がやかましいと一喝すなり 遠くまで行きたがるわが犬もわが父との散歩にはすぐ戻り来る 子供時代にたのしみて見し絵本の数数をわが父の捨つああ残念 (わが父は文芸を知らず) 所長へと昇進すれどわが父は夜中に独り日本酒を飲む (孤独なる父) わが父と和解せぬまま時が経ち父の死に目にあへば悲しき (無口なる父) 無口なる父が突然多弁になり母がどんどん酒をすすめる 親類が我が家に集ひ談笑す十分も経てばわが父いない 少年のころからそういう父親をじいっと見ていたのだ、石川さんは。思い出のなかの父であるが無口で朴訥な父親像がリアルにたちあがってくる。 この歌集にはお母さまも時々登場する。それもまたユーモラスである。 わが母はテレビの料理番組を見ていられない食べたくなるため わが母は子供らよりもこの小犬が文句を言はで可愛いと言ふ わが母は機嫌がよい日は鼻唄をうたふなりけり皿洗ひつつ われ見たり車道をすいすい軽やかに走り行きたる自転車の母 静かなる夜にトイレによく起くるわが母は今七五歳 わが母はアメリカ人の孫を待ち畑の隅に苺を育つ 妹についての短歌もいろいろあるが、そのなかの一首。 この犬はいつも笑つてると我が言へば妹答ふそういうつくりなの 石川さんが育ったおおらかな家庭環境が見えてくる。楽しそうだ。 本歌集の担当は文己さん。文己さんの好きな短歌を紹介したい。 わが宿の椿の花の揺りてをり春の嵐の一日にして 門に出てしらたまのきみ待ちをれば風の吹くなる秋の夕暮 夏さればわが犬の毛の抜け落ちて庭のあちこち日に毛の光る 手のひらに水をしむすび少年が猫に水やる夏の泉に 「手のひらに」の一首はわたしも好きな短歌である。絵になる一首だ。背景が「泉」ということで一挙に涼しさが立ち上がった。この歌集の項目に「犬派それとも猫派」という項が3回でてくるのだが、それらの短歌ものどかな笑いに満ちているものが多い。この短歌では、「犬」ではなく「猫」であることによって、一首に透明感のようなものが加わったと思うのだが、どうだろう。もうすこしオーバーに言えば神秘性も。どちらかというと「猫派」のゆえの肩入れか。 当のご本人は、どっち派なんだろうとおもって読んでいくと、 本当は猫も犬も人間の子供も嫌いうるさいので なんてすました顔が登場するところが、本歌集が虚々実々にして面白いところである。かなりのフィクションをまじえた歌集だ。 気が付けばもう五一歳になっていた。 ようやく歌集『ため息』が完成した。 本集をごく短く解題してみれば、恋愛においてはため息をつく場面があるでしょうし、自然を美しいと感じため息をつく時もあるでしょう。そんなところである。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「ため息」と命名した所以である。 ブックデザインは、和兎さん。 装画は、前歌集とおなじく石川清文さんのご友人で画家の町静さん。 装画のタイトルは「雨上がり」 ここに登場する男性は石川清文さんで、犬は石川さんの飼い犬かな、なんて思わせるような絵である。 表紙は、鮮やかな山吹色。 犬をここにも登場させた。 見返しは帯と同じ用紙。 扉。 花布としおり紐は、見返しの青に響き合わせた。 歌集『ため息』は、明るいようで不穏なようで、のどかなようで危機的でもあり、リアルなのか夢想なのか、図太いのか繊細なのか、読後感は不思議なさびしさが残る、そんな歌集である。 この歌集のおわりにおかれた二首は、「日常」という項の ぬばたまの夢にうなされ二時に起く小便をして布団に入はひる 向精神薬を服薬すれば眠くなり目を覚ますのに濃いコーヒーを飲む お大事にしてくださいませ。と申し上げたい。 わが居間のこたつの上にみかんあり沢山あれば沢山食べる すきな短歌である。「果実の歌」という項の一首。 蜜柑であるからこそのそれがゆるされる果実である。わたしたちの心がこたつの上の蜜柑にむかっていく。なつかしい記憶のなかの風景のように。みかんは山盛りにされてわたしたちが手ののばすことを待っている。「みかん」とかな書きにされていることも嬉しい。みかんは石川清文さんという存在をそのまま受け入れてくれているのだ。
by fragie777
| 2020-03-30 20:20
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Comments(2)
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