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3月25日(水) 桜始開(さくらはじめてひらく) 旧暦3月2日
神代植物園の木瓜の花。 新型コロナウイルスの攻撃はおさまることがない。 昨晩、NHKスペシャル「パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~」の再放送を録画して見始めたのだが、いやはや危機意識はますばかりで、こわくなった。 本当にヤバイ状況下におかれているのだ、わたしたちは。 イタリアの状況は人ごとではないと思う。 心して過ごしたいとおもう。 しかし、けっこう暢気なんだよなあ、 まわりを見渡すと。。。。 24日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、『鈴木花蓑の百句』より。 翅立てて鴎ののりし春の波 鈴木花蓑 波にのったカモメがまるで彫刻みたい。「翅立てて」という具体的な表現が見事だ。この句、伊藤敬子著「鈴木花蓑の百句」(ふらんす堂)から引いた。花蓑は1881年に愛知県半田市に生まれ、大正時代の「ホトトギス」で活躍した。晩年は同県碧南市に移り、1942年に他界した。「猫柳光るは月の移ればぞ」も花蓑の早春の句。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 200頁 二句組 著者の関根誠子(せきね・せいこ)さんは、1947年群馬県大泉町生まれ、現在は東京・渋谷区在住。音楽大学を卒業されてより1985年「寒雷」入会、1985年「炎環」入会、のち同人。2018年「寒雷」終刊。現在は「炎環」「や」「つうの会」「俳句新空間」所属。現代俳句協会会員。本句集は、句集『霍乱』『浮力』に次ぐ第3句集となる。 コートに首埋め瑞瑞しきは季語 本句集のタイトルとなった一句である。 「瑞瑞しきは季語」が意表をつく。「コートに首埋め」から飛躍がすごい。「瑞瑞しきは季語」が勢いをつけて飛び出してきたかのよう。作者の関根誠子さんの、季語への畏敬であり、それはまた俳句という詩型へのオマージュである。「季語」という言葉がこんなふうに俳句のなかにおかれた一句はこれまでみたことがないかも。「季語」でびっくりしてしまう。が、爽やかな一句だ。 本句集の担当は、文己さん。 三つ数へて何も起らぬ春の暮 春きざす湯に咲くやうに足の指春風や笑はぬ猫を股ばさみ 見せかけのポケットふたつ冬立てり 手袋を連れに持たせて探しもの 落葉してこの樹は桂なりたき樹 梅雨晴間わわつと干され女もの ニャアと来てにやあと返して暖かし 「ユーモラスでのびのびとした句集で、 ドラクエの呪文など?調べることもたくさんあり楽しかったです。」と文己さん。 春きざす湯に咲くやうに足の指 この一句、身体がのびやかになってくる。お風呂に入って、湯船のなかで足の指をひろげているのだ。ふだん足の指に注意をとめることもないけれど、ゆったりとしたバスタブに身体を横たえると自然と足の指先までが視界にはいってくる。おっ、足の指、なんて眺めて思いっきり開いてみる。「湯に咲くやうに」が素晴らしい比喩である。濡れた瑞瑞しい足の指。自分の足ながら愛おしいではないか、「春きざす」季節であるから、足の指も咲いてしまうのだ。余談であるが、わたしも最近この「足の指」を思いっきり開くことを一日一回はしている。先日、友人に会ったときに「お風呂でね、足の指をこうやって開くといいのよ」なんて偉そうに教えたりした。気持ちもいいし、いつも硬い靴のなかで縮こまっている足の指だからこそ、開いてあげないとね。はじめはいじけていた足の指も最近は伸びやかになってきた感じ。 手袋を連れに持たせて探しもの この「連れ」って誰だ? 男性か、なんて思ってしまう。「ねえ、ちょっと持っててくださらない」なんて言える関係の間柄である。これはもう好き勝手に想像してしまうのだけれど、女友達だとそこはシビアである。だって手袋なんて小さなもの、人にわざわざ持たせないでポケットに押し込むとかバッグにしまって探すことはできるでしょう。女友達の目はそんな風に語る。男性ならそれもやや作者に好意をもっている男性なら喜んで持つだろうし、この「連れ」という言い方にやや精神的に優位にたっている心がチラッとみえません。こんなふうな一句つくってみたいなあ、カッコいいじゃない。「連れ」なんていう言葉。 日本に「正面」のあり鏡餅 面白い一句である。なんの正統的な根拠があるわけではないし、いったいどこが「正面」なんて言ったらすこしも正確なことはいえないが、でもあるのよ、わが国ニッポンは。なんでわかるって、それは「鏡餅」があるからよ。もうこれは感覚の一句であるが、いや「鏡餅」の威力の一句だ。鏡餅をそこに据えることによって見事に正面ができあがり、その正面の背後には日本が控えているのだ。「鏡餅、万歳!」とでもいいたくなる一句。好きな句だ。 ほかに 雛納め海を経由の風が吹き 人間に見上げる空があり緑雨 遠き花近き花見て舌の根憂し うつつ世へ流れ着きたる朝寝かな ゆく春の音なき聴力検査室 二〇一一年に第二句集『浮力』を上梓してから、早くも十年が経とうとしている。二〇一一年三月の東日本大震災はまだ記憶に生々しいが、その悲しみも癒えないうちに、日本中のあちこちが大きな震災や風水害に相次いで見舞われ、日本全体が災害列島の様相となってしまった。 そういう状況の中で俳句を詠みつづけて行くことはどんな意味があるのかと自問しながらこの十年があった様な気がする。 それでも句を詠む日々は続き、「言霊」の恩寵とでも言うのだろうか、五七五という俳句の不思議なリズムに包まれ、励まされ、生かされている自分がいる事にいつしか気づかされていった。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 10年間の作品を収録した第3句集である。 ブックデザインは、君嶋真理子さん。 著者の関根誠子さんのご希望は、「澄んだ空気を感じさせるもの」ということだった。 君嶋さんはそのご希望を、優美さをそえて実現した。 カバーをはずすと薄紫の布表紙があらわれる。 見返しは綺羅がはいっているもの。 扉がおもしろい。 実はこの扉の三つの絵文字のようなものは、関根誠子さんをふくめた三姉妹のシンボルマークで、姉妹が生まれたときにお祖父さまが彫られた判子(はんこ)なのである。左下のものが長女の誠子さん、右上のものが次女の方、真ん中が三女の方、ということ。この判子をどうしてもどこかに配したいというご希望があって、君嶋さんが扉にこのようにデザインしたのである。 装丁を邪魔せず、かえって全体の仕上がりに温かみを与えている。 花布は、金。栞紐は、白。 モダンにして動きのあるしかも優雅な一冊となった。 八十八夜臍を大事に眠りけり 「八十八夜」は春の季語。立春から数えて八十八日目にあたる。「このころに霜が降りたり、強風が吹くことがあり、農業や漁業にとって注意すべき時期である。」とあり、うかうかとしてはいられない時期だ。人間の身体はどこも大切である。五臓六腑もそれはもう。しかし、人間の身体の中心にあってすべてを司るのが臍。この臍を思い、大事していることが大切だ。この句「眠りけり」がいい。とても健やかな眠りであることがわかる。とくに八十八夜は、臍の力がものを言う。 このブログを書き始めるとき、いまの状況をヤバイと書いたが、書き終えようとしている今、東京都に外出自粛要請が出された。 数日前から、ふらんす堂スタッフの間では話されていたことである。 スタッフたちは今回のコロナ状況にたいして、かなり深刻に受け止めていた。 句会中止はかなりはやく判断し、 目下、お客さまの来訪はひかえていただいてきた。 先週の土日に大勢の人が花見などで出たことも嘆いていた。 ほんとうにどうなっていくのか、 日本。 臍に力をいれて頑張ろう。。
by fragie777
| 2020-03-25 20:08
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