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3月24日(火) 旧暦3月1日
神代植物園の雑木林の芽吹き。 この緑が眼にここちよい。 なかにはこんな怪物みたいな木もある。 ここんとこ、むかし買いそろえてろくに観ていなかったオペラのDVDを見つづけている。 買ったときは、ちょっと観て、ふーんって思ってそのまま放置してしまったが、目下テレビ番組も観たいものもなく、報道番組も疲れるので、「トゥーランドゥット」を見始めたのを皮切りに、見つづけている。昨日は「ドン・ジョバンニ」を見終えた。さしづめオペラ入門である。「フィガロの結婚」はむかしから好きで、CDでもよく聴いていたが、やはり舞台で観るのは面白い。 片山由美子さんに、「オペラ観て癒やされてます」ってメールの追伸に書いたところ、 「いいですね! オペラは心を癒します。 それが、ミラノのスカラ座もニューヨークのMETも公演中止どころか、団員の一時解雇という大変な状況に!6月に来日予定のシチリアのマッシモ劇場オペラの「ノルマ」を買ってありますが多分無理かと…。9月のスカラ座さえ危ない! 何より、7月のヴィットリオ・グリゴーロ様が来てくれなかったら悲劇!!マントヴァ公爵のために生れてきたような男です! ドミンゴもコロナ陽性とか。大変なことになりましたね。」 とのメールをいただいた。 そうか、、、そんな状況にさらされているのだ、いまオペラの世界も。 いやはやなんともである。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 172頁 二句組 著者の眞矢ひろみ(まや・ひろみ)さんは、1956年札幌生まれ、愛媛県東温市在住、「男性」と略歴に明記されているところをみると、その名前から女性に間違えられることが多いからか。。「1990年代に草創期のネットを通じて英語HAIKUに取組み、その後俳句実作を始める。地元・松山の句会や連句の会、結社等に参加するも、性怠惰にして奇を好むことから、場をネット中心に移し現在に至る。」と略歴にもある。「俳句スクエア」同人、「豈」同人 ネットサイト「俳句新空間」「俳句飄遊」などに参加されている。本句集は第1句集である。俳句を始めてから30年余の作品が収録されている。帯は、フェリス大学の元教授で俳人のディヴィット バーレイ(David Burleigh)氏が寄せている。英語と日本語が記されているが、ここは日本語のみを紹介したい。 「箱庭の夜」は読者をある私的な王国に誘います。作者ー眞矢ひろみーの世界は影と記憶で形作られ、想像力で高められ虹によって輝いています。各々の俳句には訝しげで少々取り憑かれたような趣もありますが、人生を送る上での実体験や高野山からドナウ川まで及ぶ具体的な地理環境に裏打ちされたものです。伝統的な暗示の手法や現代の口語訳を用いながら、思索と思いがけない遊びの世界を繰り広げ、読者をたのしませてくれます。 あぢさゐの毬のへこみといふ余白 帯の裏には、著者の眞矢ひろみさんが句集『箱庭の夜』に寄せる思いが、記されている。それもまた紹介したい。 箱庭の有りよう 句集のタイトルとした〈箱庭〉は 言葉 イメージ 音などの素材を配して 景や文脈などを構成 造形する場であり 極私的なものです 場とは申しても 江戸後期に流行し夏の季語でもある〈箱庭〉のような仮想空間の類ではなく むしろ 現代 ユング派の心理療法に使われる〈箱庭〉の機能そのものに近いかもしれません。 勤め人として仕事を終えて帰宅し 遅い夕食をとり 家族も寝静まる夜更け過ぎ 箱庭に様々な素材が群がります 例えば 通勤の車窓から観たビル屋上のラジオ体操 コンビニのレジ前に佇む父の霊 愛国を語るJKたちの笑い声 得意先のネクタイを登る斑猫 子供のころ見た粉末ジュースを溶かす渦 など 日常の中でふと気付いたり 思い出す 些事ですがかけがえのないものです つまりはここに記されたものが、俳句という小さな詩となって収録されているのである。 本句集の担当は文己さん。 菜の花や汽笛は遠くぼうと鳴る 秋空へつづく白線引きにけり冬麗や草の名ひとつ覚えけり 磐座に載せるものなき涼しさよ 逝く人を帯ゆく紙魚と送りけり 大いなる余白を晒す無月なり 金星にふれて末枯はじまりぬ 夜神楽の星の生まるる気配かな 秋空へつづく白線引きにけり 白線は校庭に引かれた白線か。この句の上手さは、「秋空へつづく」である。ただ白線を引いたというのではなく、「秋空へつづく」で一挙に広さをつかみとった。澄んだ青い空がみえ、真っ白な汚れていない白線がまるで空へと上っていくようだ。一句を読み終えたわたしたちの脳裏には、空へとづつく白線の残像がのこる。白線は引き終わることなく永遠に空へとつづく。実はこの句、引いた白線が空へとつづくのではなく、秋空へとつづく白線なのである。あらかじめ白線は秋空を予定されている、そのことがこの句を広やかなものだけにとどめず、時間的な奥行きを見せるものとしている。その行為をしている人間も空に関わることを承知しているかのようだ。 冬麗や草の名ひとつ覚えけり この一句を読んでわたしは、桂信子の「冬麗や草に一本づつの影」をすぐに思った。「冬麗」とちいさな草はよく似合うのか。「冬青草」という季語がある。冬の寒さのなかで見る草は、春草ののびやかさ、夏草の荒々しいまでの元気さとは違って、ふっと心をひきつけるものがある。まさに詩心を呼ぶのだ。そんななかで小さな草の名前をひとつ覚えたのである。それは「些事ですがかけがえのない」と帯にしるしてあるように、作者にとってそのような一句なのだ。 虚子の忌や百鬼夜行の美しきこと この一句は面白い。虚子の忌日を思うということは、虚子を思うことであり、その俳句を思うことであるとおもう。「百鬼夜行」とはいろいろな妖怪や化け物が、夜中に歩き回ることをいうが、その様を作者は美しいと賛美しているのだ。そのようなおどろおどろしいしかしうっとりとしてしまうような魔の世界、そんな世界に拮抗できる俳人といえば怪物・虚子をおいてほかにいないだろう。俗にも貴にも、醜にも美にも、善にも悪にも、虚に実にも通じていた高浜虚子の作品世界、これは虚子への作者の心からの賛である。 薄化粧の兄引きこもる修司の忌 この句も好みの一句である。「虚子の忌や」のとなりにおかれている一句だ。兄が薄化粧をしているということでゾクッとしてしまう。しかも引きこもるというところが兄の屈託と精神の複雑さがみえて面白いではないか。そして「修司の忌」である。ちょっとできすぎの感があるが、隠微な甘美さがあり、据えた匂いがしてきそうで嫌いじゃない。 ふり返れば、インターネット草創期一九九〇年代前半に、ネットを通じて英語HAIKUを知り、初めて短詩型の創作を始めた。その後、ネットを通じて海外のHAIKU愛好家から日本語俳句に関わる問い合わせ等もあり、日本の短詩型の歴史を調べるようになった。恥ずかしながら、当時は「俳諧の連歌」という言葉さえも知らなかったのである。その過程で摂津幸彦の句を知り、一気に実作へと進むこととなった。以来三十年近くにわたり、多種多様なテーマ、文体、場、志向(アングル)を試しつつ俳句そして短詩型全般に向き合うことになった。令和元年の節目に取りまとめた当句集は、平成における私的記録そのものであり、私にとって備忘録とも言えるものである。 この句集を「箱庭の夜」と名付けた。様々なもの、思い、言葉を紡ぐ俳句創作の場を〈極私的〉な箱庭に擬し、三百の句を自選して四章に区分した。章立てはジョン・コルトレーンのアルバム「至上の愛(A LoveSupreme)」を参考にした。ある手法等を認め、試行を決め、追求し、終わりに人知を超えたものに感謝、賛美する。ジャンルを問わず、あらゆる作家にとって普遍の過程、道筋ではないかと思う。しかし一方、句の章分け自体は私的な経験や判断に依ること大きく、読者にとってはおよそ不明であることをご容赦いただきたい。また、句集編纂においては、記憶の保存を第一義とし、作成時の文体を尊重して口語文語・かな遣いを句によって使い分けたままとした。 「あとがき」の一部を紹介した。 「あとがき」に記されている目次である。 第一章 Recognition 認知 第二章 Resolution 決意 第三章 Pursuance 追求 第四章 Psalm 賛美 「章立てはジョン・コルトレーンのアルバム「至上の愛(A LoveSupreme)」を参考にした。」とあるように、眞矢ひろみさんなりの創意がある。 ブックデザインは和兎さん。 こういう装画はまさに和兎さん好みだが、「ブリューゲル風のデッサンで大変気に入りました」と眞矢さん。 タイトルは黒メタル箔。 表紙は紙クロス。 銀で装画と文字を印刷。 見返し 扉は、表紙とおなじ用紙に同じく銀で印刷。 白の花布に白の栞紐 これだとわかりにくいのだが、俳句の位置を低めにレイアウト。 謹呈用紙には、著者の落款をおした。 スタイリッシュな一冊となった。 世界は影と記憶で形作られ 想像力で高められ虹によって輝く 帯の背に記された言葉である。 はくれんの碧空ずらす力かな これも面白い一句。はくれんの花をみていると土の栄養分を吸い上げてその花弁の先にまで充実した力をみなぎらせていると思うことがある。力を凝縮させつつ花びらの先から天に向かってエネルギーを放出しているとも。この一句、風ではくれんがその塊ごと少し動いたのだろう。それを白連は動かずおのれの念力によって空をずらせた(このずらせたっていうのがまた、よほどの力であるが)っていうのが面白い、そし驚く。しかし、納得する。はくれんだったら、さもありなんと。
by fragie777
| 2020-03-24 20:49
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