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3月17日(火) 彼岸入り 旧暦2月23日
わが家にも日向水木が咲いた。 小さな木。ひと足でまたげてしまいそうなくらい。 それでもぽっと足元があかるくなる。 今日は彼岸の入りである。 毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規 の句が、今日は実感をともなってわかる。 今年はあたたかな日がつづいたので、彼岸の入りもあたたかいのではとふんでいたが、 今日は寒い一日となった。 子規の句におおいに頷いてしまった。 今日の毎日新聞の「新刊紹介」に、能城檀句集『カフェにて』がとりあげられている。 第1句集。一見かろやかに思える作風に、来し方の苦さがかすかに滲む一冊。 清明やざわつく立飲み珈琲店 子に遺すものは風のみ鳥雲に 切干や東京もまた故郷なる 新刊紹介をしたい。 A5判変形薄表紙カバー装 110頁 利岡正人(としおか・まさと)さんの、第1詩集『危うい夢』(2016年刊)につぐ第2詩集となる。利岡正人さんは、1976年高知県生まれ。本詩集には、30篇の詩が収録されている。前詩集のタイトルが「危うい夢」、今回が「開かれた眠り」とあるようにどうやらこの詩人が収斂していくところは「眠り」であるようだ。しかし安らかな眠りには決してたどりつけないのだ。 「眠らせないもの」 それは何なのだろうか。。。 今夜もうまく眠れそうにない 落ち着いて床につけたかと思えばいつもこう からだの至る所がやたら疼き始め 次第に じっとしていられない猛烈なかゆみが襲って来る この責め苦は毎晩のことなのだ 爪を立て掻き毟った皮膚は赤剥け 傷ついては 瘡蓋になるのを繰り返す 充分に痛みを感じながらも まだ掻き足りない 乾燥の酷い炎症部は 異物の刺激を受け まるで世界に向け そこだけ晒されているかのように疼く 私のからだの何を担ってくれているのだろう 今夜もうまく眠れそうにない それはたった一撫でで もろくも崩れ去りそうだが (「灰燼」より) 詩人の小笠原鳥類さんが、この詩集についてメールをくださった。 利岡正人さんの新詩集『開かれた眠り』。送ってくださってありがとうございました。本の最初から最後まで静かな重低音の怒りが一貫していて、やや長い一行一行の連続が、暗い太い言葉になっていました。「土砂降りの雨に打たれながら本を読むこと」「びっしょり濡れながらも読書に浸りきる」色彩の少ない悪夢を、ただ夢見ているだけではなくて、悪いものに負けない力も漲っているのかもしれませんでした。 土砂降りの雨に打たれながら本を読むこと 雨粒が叩きつけてくるだけでなく 時には突風が駆け抜け その都度 逆巻く勢いの横殴りのしぶきを 本にうずめている顔にも浴びせ掛けられる嵐の中 びっしょり濡れながらも読書に浸りきる 開いた本と それを読み耽る顔との間にも雨が降っている 水浸しのふやけた紙は今にも文字ごと溶け出しそう それでもおまえは うつむき加減を直そうともせず 読むことそれ自体が剥落してしまった 体から滴らせながら 辺り一面 ぬかるみが広がるのを感じている (「閉ざされた時の中で」より) この詩集を担当したPさんは、詩集『開かれた眠り』を好きな詩集として評価している。 この詩集に収録されている作品がすべて「眠りへの準備運動」のようにして読んだというのである。 そういう読み方もあるのかと。 そして「眠りの重要性よりも眠れないことの辛さを知っている感じが面白かったと。」 Pさんが好きな詩は、「事実」「雨乞い」 ここでは「雨乞い」を紹介したい。この詩はわたしも好きな詩である。 雨乞い さあ 雨乞いの準備を始めようか 曇天を作り出そう ここ最近ずっと日照り続きだった 四畳半の片隅で虫けらのように ひっそり干乾びてしまう前に 外出の予定はなくとも 風呂に入って身を清め いかにも効果のありそうな語句を連ねて詠む 火をくべる代わりの煙草も お供え用のアルコールも 何一つ手もとに用意せず 目の前は荒れ野が広がっている 無精な私にも何か実行可能なものがあるはずだ 空模様の移り変わりを じっと待つだけなら幾らでも待てる まるで草葉の陰の近くに置かれた石地蔵のように 横暴な太陽に照らされ続け ハエがまわりを飛び交い そこらじゅうに雑草が生い茂っても そのまま放って置ける そうかと言って 水がなければいつかは絶えるのだから いつまでも待っていられない 上昇気流さえ発生すれば 四方から流れて来た塵が空の高い所で集まり やがて雲となって 恵みの雨を降らせるのだと思っていたが パソコンで調べてみると 雲の形成には水蒸気が必要みたいだ 頭を空っぽに念仏を唱え 呼び寄せるのでも 目を逸らしていれば いつの間にか現れるものでもあるまい ましてや偶然に期待しても無駄なことだ わずかな空気の流れを何とか頭上に感じ取ろうとする 私はあいも変わらず神頼みの野に晒され 意識が混濁してきて すでに眠りたくなっている やけになって仰向けに寝転び 行き詰まったこの身を覆ってくれる 草花をせめて枯らさぬよう 直接 無慈悲な空に向かって懇願するが うんともすんとも言わない たとえ 運良く風が出て 雲が発達する 一連の流れを目撃できたとしても 記憶の層が抜き取られたかのごとく 私の真上だけ ぽっかり穴が開いている 「私はあいも変わらず神頼みの野に晒され/意識が混濁してきて すでに眠りたくなっている」雨乞いの途中でもすでに身体は眠りを希求しているのである。 本詩集の装丁は、和兎さん。 グレーを基調としたシックで瀟洒な一冊となった。 小笠原鳥類さんが、装丁についても触れてくださった。 淡い灰色の紙に、平行する直線がやや多い装丁が、静かな雨の日のノートでした(ふらんす堂の詩集はノートのような本が多いと思いました。大切なことが丁寧に書かれた白い紙です)。 罫線は、スミと銀箔。 しばし、文字が罫線に消されている。 差し色にみどりがひそんでいる。 カバーをとった表紙は、ややあたたかなオフホワイトの用紙にスミで印刷。 ここにも罫線が効果的に引かれている。 見返しは、カバーの用紙とおなじもの。 扉は表紙とおなじオフホワイトのもの。 差し色の緑が印象づけられる。 花切れは緑。 和兎さん曰く、「コンクリート感をだしたかった。眠りとは落ちるものだから、罫線を使って、眠りへ落ちていく……」 私の存在する殺風景な河原に 風が吹いた 実際はそれだけのこと そうであっても 空気の流れをつくり出し 水面に波紋を描き 対岸をざわつかせた その事実は 未消化の石と違って 何処にも匿いようがない (「事実」より) これは余談であるが、実はわたしは昨夜、金縛りに遭った。 それも、二度である。 怖かった。。。 目が覚めた、というか金縛りだったと気づいたときのあたりのうす暗い闇の手ざわりがいつもと違う。 それもなんともいやである。 眠れるかしらって思いながら、しかし、しっかりと眠った。 これはもう、ヘンっておもわれるかもしれないけれど、 言葉には力があるってわたしは聖書を通して学んでいるので、身近なところに聖書を置いておく。 また、金縛りにあうと、「ジーザースクライスト!」って叫ぶことにしている。 笑っちゃうでしょ。 ![]()
by fragie777
| 2020-03-17 19:50
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