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3月16日(月) 社日 旧暦2月22日
いただいたお花。 ふらんす堂は春満載である。 冊子「第10回田中裕明賞」の電子書籍が配信となった。 こちらは、紙の本に、「記念吟行会」「お礼の会」が加えられている。 「お礼の会」には、これまでの選考委員の方々の感想など、また、11回からお願いしている選考委員の方々の田中裕明賞への思いなどが語られており、また吟行会、お礼の会に参加してくだった応募者の方々などの感想も収録されていて読み応えがある。 わたしはさっき一気に読んでしまった。 欲しい方は、こちらからアクセスできます。 14日づけの毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、「ふらんす堂通信164」の池田澄子さんの作品より。 早春と言うたび唇がとがる 池田澄子 この句、「ふらんす堂通信」163号から。ソウと発音すると口が開く。でも、シュンで閉じてしまい、「唇がとがる」。ソウシュンという語はいかにも早春だな。と作者はとがる唇をおもしろがっているらしい。澄子さんには「馬鹿馬鹿と言うと口あき春の空気」もある。バカといえば口が開き、バカを反復すると春の空気が口に満ちる。 「ふらんす堂通信」の「競詠7句」の池田澄子さんの句を取り上げておられる。わたしもこの句を読んだとき、「面白い一句ですね」と池田さんに申し上げたことを思い出した。「ふらんす堂通信」からというのが嬉しい。というのは、この企画、「競詠」とあるように、後藤比奈夫、深見けん二、池田澄子、各氏による競詠であり、読んで字のごとく、競っていただいている。お互いに「お題」を出してその縛りでつくっていただく。後藤比奈夫氏は、いつも作りにくい「お題」をたぶんわざと出される。そしてにんまりされている。池田澄子氏は、季語でない言葉を出す、ゆえに後藤比奈夫氏は、「つくりにくいなあ」とも。深見けん二氏は、いつも真っ先にお題を決め、この競詠をとても大事にしておられる。それぞれ三人が互いを見合って、一歩もひけをとらない状態である。 しかし、残念なことに後藤比奈夫氏がすこし前に体調をくずされご入院された。いまは回復されたのであるが、すこしこの「競詠をお休みしたい」というお申し出があった。「どなたか代わりに」とも。ということですでに「164号」にお題をいただいているのだが、急遽、もう一人お願いをすることになった。お願いをしたのは、若い俳人の方である。一年間(4回)に亘って競っていただく。そしてまた次の若い俳人にバトンタッチをして貰う予定。今回のお題は比奈夫氏の「お題」をそのまま生かしてつくってもらう。その俳人の方には快諾をいただき、すでにご依頼済みである。 どなたかはナイショ。 「ふらんす堂通信164号」を楽しみにしていただきたい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバークーターバイディン装帯有り 386頁 詩人・小笠原眞さんの詩人論である。前著『詩人のポケット ちょっと私的な詩人論』(2014年刊)に次ぐものである。とりあげた詩人は、11人、中島悦子/会田綱雄/粕谷栄市/小山正孝/小柳玲子/寺山修司/暮尾淳/諏訪優/金井雄二/八木幹夫/鈴木志郎康。 前の著書でとりあげておられた詩人の井川博年さんが、帯文を寄せている。 紹介したい。 この青森に住むお医者さんは、自宅の3000冊の本の山から、鉱山技師が未知の鉱物を掘り出すように、大好きな詩人を探し出す名人である。素敵な詩を見付けた時の先生の眼は、まるで初めてフンコロガシを見た、ファーブル少年のように輝いている!その発見の喜びを、皆んなに知ってもらおうと、先生は、昼は耳や鼻が悪い人を診て、夜は耳も鼻も効く未来の読者のために、セッセと筆を走らすーー。 前の「詩人のポケット」から6年。この続編から何が飛び出すか? それは開けてのお楽しみです。 この帯文に言い尽くされているように、本著は「詩の発見の喜び」に満ちている。だから読者にも著者の喜びが伝わってきて、読者も詩って素敵だなって思ってしまうのだ。そういう一冊である。前著『詩人のポケット』は朝日新聞の書評欄「著者に会いたい」のコーナーで紹介された。(ふらんす堂の本としてははじめて!)それはやはり純粋なる小笠原眞さんの詩を愛する心がまっすぐに担当編集者に届いたからだとわたしは思っている。本著を通してまだ読んだことのない詩人の作品や詩集をわたしも読んでみたい、と思った。そういう一冊である。情熱的に書かれた詩の鑑賞や批評が、読者をダイレクトにその作品や詩人へと導いていく、取り上げられた詩人は、幸せである。本著にはふらんす堂とご縁のある詩人、八木幹夫さんや金井雄二さんが取り上げられている。お二人の詩集は担当してもちろん読んでいたが、本著によって、さらにさらに深くお二人の世界に導かれた。素晴らしい詩人なんだ、と更に思わされたのだ。 本文を紹介したい。 一人の詩人について、最初の詩集から最後の詩集まで、あるいは最近の詩集まで懇切に書かれているので、全部を紹介することはできない、ホンの一部となってしまうが、お許しいただきたい。 ではわたしも存知上げている金井雄二さんの詩について。この詩人論、それぞれの詩人につけられたタイトルが端的にその詩人論になっている。 たとえば金井さんの場合、「金井雄二の詩の原石は平凡なる日常の中に在る」と。 ヒバリとニワトリが鳴くまで (前略) 13 どんなに忍耐強く、 小さく、黙って、 人は生きてきたことだろう。 となりのおじさんは こどもと二人ぐらしで、 勤めが終ると こどものために市場で 魚や大根を買って帰る。 道で出会うと 大根を振りながら笑う。 ぼくが詩を書くのは まさしく、 そのことが詩であるからであって、 詩が芸術であるからではない。 14 きのう、 さわやかな目覚めに わが家に朝陽がさしているのを見た。 それから、 かみさんが野菜を切る音を聞いた。 ぼくはささいなことが好きだ。 くらしの中で 詩が静かに不意打ちのように やってくるというのは ほんとうだ。 (後略)。 どうであろうか、この詩こそ金井詩の哲学を端的に詩でもって表現しているのではなかろうか。そしてこの詩を読むと金井が如何に菅原の詩に心酔し、菅原の詩を吸収し、師と仰いだかも納得してもらえるのではなかろうか。 金井雄二の詩は、そのほとんどが平易な言葉で書かれている。そして親しみやすく温かみのある詩が多い。一言で言ってしまえば感動の詩であり、癒しの詩といってもよいのだが、その根底には人間に対する深い思いやりがあって、詩を読むことによって生きる喜びのようなものをじんわりと感受させてくれるのである。 金井詩は平易でさらっと書かれたような詩が多いので、あっという間にこれらの詩集が出来上がったのかと思えば、さにあらず。「独合点」百二十四号の「『朝起きてぼくは』発行に寄せて」を読むと、いかにこの詩集が時間をかけて丁寧に作り上げられたのかがよく分かる。書き溜めた百二十篇あまりの詩から、詩集のバランスを考慮して四十一篇を慎重にセレクトし、改稿と推敲に約半年も費やしたのである。しかもメタファーを可能な限り封じ込めるという実験まで挑戦している訳であるから、外見からは想像もできない気遣いと葛藤があったことが窺われる。 詩も芸術の一分野である以上、前衛的探究ももちろん大事なことは自明の理である。しかし金井の主張するように、「メタファーこそが、現在の詩の混乱を倍増させてきたとも言えるのではないだろうか」という懸念も尤もなことであり、詩の難解性の一因を担っているのも事実なのである。 現代詩の伝家の宝刀であるメタファーを封印して詩を書くという行為は、喩えて言うならばマタギが猟銃を持たず、ましてや熊槍や山刃をも持たずして素手で熊と対峙するようなものである。現代においては、ある意味恐ろしく危険な行為であるとも言えるのだ。現代詩がどんどん難解になってゆく昨今、金井氏のような才能がきちんと評価されることは実に健全なことである。そして多くの読者が、金井詩を通して些細な日常の素晴らしさを実感できれば、それはそれで本当に幸福な人生に立ち会うことができるのではないだろうか。 小笠原眞さんも詩人である。この詩人論をかく小笠原さんにとって、それぞれの詩人の方法と意識は、小笠原さん自身の詩の方法と意識とはげしく拮抗するはずだ。語り口は優しいがその根底には、自身が詩をどう書いていくか、という抜き差しならぬ思いがあることが本著から伝わってくる。この金井雄二さんのあとは詩人の八木幹夫さん。八木さんは、詩集『野菜畑のソクラテス』で現代詩花椿賞、芸術選奨文部大臣賞をダブル受賞された。わたしもこの詩集は大好きな詩集である。その八木幹夫さんのタイトルは「愛情と尊敬の念 それが詩人八木幹夫だ」。このブログでも紹介したいのだが、それは本著を読んでもらうとして、もう一人「悪魔祓いの詩人粕谷栄市の願い」と題された詩人・粕谷栄市のところを紹介したい。わたしはとても興味深く読んだ。 さて、どんな詩人においても第一詩集は特別な意味合いを持つが、特に粕谷氏の『世界の構造』(昭和四十六年)は、戦後詩史におけるモニュメンタルな作品であるばかりではなく、いかに多くの詩人たちに影響を与え、散文詩の隆盛にどれほど多くの貢献をもたらし、今なお多くの文学者に示唆を与え続けているのか、計り知れないものがある。この詩集は昭和三十三年からの十一年間に書かれた三十篇とその後二年間のブランクの後一気に書き上げた十篇からなっている。石原吉郎に詩集を出すよう強く勧められ、当初は結婚十年目の記念として妻千晶に贈るために編まれた極めて個人的な詩集だったのである。そしてこの詩集は詩学社から刊行されたのだが、函装上製本で表紙絵にはアルカイックな懐中時計のようなシェーマが描かれている。依頼した当の本人も吃驚するほど豪華な詩集となってしまったのだ。「散漫なおぼえ書き」という文章の中で「私は、自分の作品を、公にするという意味を、自覚していなかったのかも知れない。詩集は、私の考えていたものより、立派なかたちとなって、私は、辟易した。その上、それは高見順賞を受賞することになって、私は、驚愕した。/私は高見賞の存在さえ知らなかった。私は、思潮社にいって、前年の受賞者の三木卓氏と、吉増剛造氏の詩集を手にして来た。そして、再び驚愕した。」とその当時の狼狽ぶりを素直に回顧している。東京から電車で一時間ほどの小さな町で、詩を語る人間がたった三人だけだったという極めて孤立した世界から一気に詩の表舞台に躍り出たのである。それはあたかも初めて碧空を仰ぎ見た時の土竜の気分だったのではなかろうか。 それではまず、あっけらかんとした明るさが漂う、狂気の祝祭を描いた「射撃祭」という詩を紹介してみよう。 射撃祭 三月の明るい朝、私たちの町の射撃祭は行なわれる。 町はずれの眩しい湖水のほとりに、町の銃を扱える、全 ての人が集るのだ。 にぎやかな点呼が終わると、遠い木箱の上の囚人を狙 って、私たちは、一人づつ、射撃を行なう。銃弾が当た ると、それは、まるで、鳥みたいに、とびあがるのだ。 勿論、代りはあるから、心配は要らない。立てなくなれ ば、それは、すぐ、湖に捨てるのだ。 囚人たちは、みんな、おとなしく、標的になる。中に は、おかしな恰好で、逃げようとする奴もいる。かえっ て、面白いものになるのだ。晴着のまま、水に入って、 私たちは軽快な一齊射撃を行なう。美しい飛沫で、小さ な醜いものを、吹きとばすのだ。 銃声のたびに、旗が振られ、喝采と青空と、目がさめ るように、楽しい一日だ。花のような天幕に、笑顔ばか りが、往来する。 勿論、囚人の数には、限りがあるから、やがて、標的 は、犬や青い木の人形になる。それでも、熱心に、射撃 は続けられる。女や子どもたちも、一度は、銃を構えて 見るのだ。 ただ、その頃になると、近くの森では、白い布が展げ られ、食事をはじめる人たちもいる。合唱や踊りの輪も できる。 白いパンと薬莢、清潔な私たちの春は、この射撃祭か ら、始まるのだ。 暦でしか、私たちの町を知らぬ人は、この町を、湖水 のあるだけの刑務所のような町だと、思っている。どの 家にも、血の独房があるのは本当だが、貧しくても、射 撃祭に来ない人など、一人もいない。 石原吉郎はこの詩集の「虚構のリアリティ」という跋文の中で、彼の作品につよくひかれるのは、虚構のみがもつ、このリアリティの切実さの故であるとし、その切実さは、恐怖のようなものさえともなっていると、分析している。粕谷の詩の世界は写真の陰画のように現実の裏返しともいえる悪意に満ち満ちている。現実の美しすぎるベールを丁寧に剥ぎ取ってゆき、人間の深層心理の未知の世界に誘ってくれる。そしてそこに救いを求めているような気がするのである。(略) ほかにも紹介したい詩人ばかりであるが、興味を持った方は、本著を読んでいただきたいと思う。本著は詩の世界への恰好の入門書である。 小笠原眞さんは、その鑑賞と解説によって、未知なる詩人への扉をあけ、さらに知っていたと思っていた詩人をもっともっと深く知らしめてくれる、まさに発見の書である。それもワクワクしながら発見するのだ。わたしは本著を編集制作をしながら、ああ、この詩人についてもっと知りたいって何度か思った。そういう一冊である。 これまで詩が好きで読んだり書いたりしてきたが、ぼくの詩人論はこの楽しさを他の人と共有できたらもっと楽しいだろうなという思いから書き始めたように思う。そういう訳で本書は基本的にはぼくの好きな詩人ばかりを採り上げることになってしまった。だからじっくりと時間をかけて楽しみながら書き進めることができたと思うし、欲を言えば詩を読むことの喜びがそのまま読者に伝わってくれれば本望なのである。 「あとがき」の言葉である。 本著のブックデザインは君嶋真理子さん。 小笠原さんは、本著をふくむ二冊の著書と、5冊の詩集をふらんす堂より上梓されているが、すべて君嶋真理子さんである。 前著『詩人のポケット ちょっと私的な詩人論』によく響き合った今回の本である。 前回もシルクハットの男性が登場している。今回はアップで。 この軽妙な感じは、小笠原さんの作品世界とよく合っている。 カバーをとったところ。 見返しの青。 青が差し色である。 大冊であるので、開きやすいようにクーターバインディング製本とした。 本著の最後に登場する詩人は「鈴木志郎康」。 この詩人については、小笠原眞さんは、かなりの紙数を費やしている。 タイトルは「鈴木志郎康は人間存在の不可思議を身体詩を介して具現したのだ」。 いきなり私事で恐縮するが、ぼくが二十一歳で突然詩を書き始めた頃、鈴木志郎康と言えば、あのプアプア詩でH氏賞を受賞し十年が経過していた時期で、若かったぼくも多大な影響を受けた前衛詩の巨星と言ってよい存在であった。身体詩であるプアプア詩は正に明治の新体詩に匹敵する事件であったと言っても過言ではない。 前半にこのように書く、鈴木志郎康という詩人について、 最近ぼくは、私性の文学こそ時代の風雪にも荒波にも耐え、最後まで生き残ってゆくのではないかとそう思えるようになってきた。「極私的」という言葉は志郎康氏が生み出した造語でもある。氏は徹底的に私に固執して詩を書き続けてきたといってよい。だからこそ鈴木志郎康の身体に拘り続けた極私詩は、これからも逞しくこの変わりゆく現世を生き抜いて行く文学となると、ぼくは確信しているのだ。 とこう結んでいる。 いろいろな詩人をとりあげながら、小笠原眞さんは、詩(文学)の未来をつねに考えているのだ。
by fragie777
| 2020-03-16 18:56
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