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3月13日(金) 奈良春日祭 旧暦2月19日
日向水木。 可愛らしい花だ。 雨上がりに、灯るように咲いていた。 わたしの家にもあるが、まだこれからである。 朝めざめると何も世界は変わっていない。。。 いつもの朝だ。 と思う。 しかし、やがて、 ああ、 そうか、 わたしたちはコロナウィルスに脅かされているのか、、、 と思い、 わたしは冷たい床にゆっくりと足を下ろすのだ。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 256頁 俳人・松内佳子(まつうち・よしこ)のおよそ20年間にわたって書きためたものを一冊にした評論集である。おもに、松内佳子さんが所属する俳誌「百鳥」(大串章主宰)に書いたものを収録したもの、掲載のかたちはいろいろとあり、長い評論もあれば短いもの、書評のかたちをとっているもの、面白いのは了解を得た書簡もある。全体を3部にわけ、1部は、長めの評論、2部は、俳誌「百鳥」の俳人を中心とした評論や一句鑑賞、3部は書簡のかたちをとった書評、そして3篇のエッセイと自句自解からなる。松内佳子さんは、1937年大阪生まれ、東京・東村山市在住、1982年「俳句評論」入会、1986年「畦」入会、1996年第1句集『日の柱』上梓、1998年、「百鳥」入会、2005年第11回鳳声賞受賞、2019年「創刊25周年記念コンクール俳句の部」優秀賞受賞、2020年毎日俳句大賞「暮らしの俳句」大賞受賞、俳人協会会員である。 第1部の「飯田龍太論」は二篇収録されており、「清々しい決断─飯田龍太句集『百戸の谿』私感」と「気品と潔さ─飯田龍太全集第五巻鑑賞Ⅰ」がある。飯田龍太という俳人は、松内佳子にとって大きな意味を持った俳人であったようだ。 冒頭におかれた評論「清々しい決断─飯田龍太句集『百戸の谿』私感」をすこし紹介したい。飯田龍太の句集『百戸の谿』は昭和29年に初版本が刊行された。この初版本について、著者は言及する。 初版本『百戸の谿』をはじめて目にしたのは、俳句文学館の図書閲覧室であった。その時の不思議な感動は、いまも強烈な印象として残っている。 半世紀まえの時代の息吹を、まざまざと感じさせてくれたのは、まっ先に目に飛び込んできた若き日の龍太氏の近影である。白雲と山脈を背景にした凜々しく客気あふれる面差には、青年らしい一途さと清潔感が漲り、句集発刊当時の氏の意気込みが、直に伝わってくるようであった。 「兎に角、自然に魅惑されるということは怖しいことだ」という、著者のことばが扉に掲載され、いよいよ初版本の際立った特徴である逆年順配列による作品がはじまる。 昭和二十一年から二十八年までの作品、二百五十六句をもって一巻としているが、巻頭を飾るのは、二十八年の作品である。 松内佳子さんは、この逆編年体で編集されたことにこだわる。 (略) しかし、龍太氏は、なぜ敢えて逆年順という特異な作品配列を選択したのであろうか。 まず考えられる理由のひとつは、独自色をより鮮明に打ち出すために、ということであろう。 昭和二十九年前後の俳壇は、社会性俳句全盛期である。前年の二月に刊行された中村草田男の句集『銀河依然』の跋文に、「思想性」「社会性」という言葉が使われ、それが契機となって、戦後の新進俳人の間で顕在化しつつあった俳句の社会性論議に火がつき、やがて、金子兜太氏や山本健吉を論客の中心にした、一大社会性俳句論争が巻き起るのである。 そんな中で、龍太氏は「古きものへの決別」という一文に次のように書いている。 正直に白状すると、私は、自分自身の内部に宿るこころの古さに、自分ながら呆れかへつてゐる。その古くさいものが、的確にとらへることさへ出来ないで、何の新しさだらう……と考へてゐる。それどころか、その古さをつかまへること自体に、文学の新しさを宿す可能性を信じてゐる。 このように公言して憚らない龍太氏が、第一句集発刊に際して、自らの旗幟を鮮明にするため、逆年順配列を選んだのではなかろうか。人事句の多い初期の作品に比べ、後年ほど龍太俳句の真髄ともいうべき、抒情性豊かな自然詠が多い。句集の印象を左右する巻頭部分に、社会性俳句とは対照的な自然諷詠を並べることによって、龍太色を強く印象付けたかったのであろう。 更にもうひとつ、逆年順を選んだ理由として、「昭和俳句叢書」全十巻の錚々たる顔ぶれがあるかもしれない。高野素十、石田波郷、星野立子、大野林火、野見山朱鳥、橋本多佳子、波多野爽波、中村草田男、山口誓子、そして龍太氏。新進気鋭の氏が、これらの先達と太刀打ちするためには、持ち前の清新な感性と瑞々しい抒情の最新作でこそ、と考えたのではなかろうか。 この逆編年体は、龍太の社会性俳句とは一線を画する立ち位置をあきらかにせんとする意志、また、優れた先達と作品をもって競わんとする若々しい自負、それらを意識の底にすえての「逆編年体」であったのだろうか。 松内さんの指摘は大変面白い。 松内さんはさらにこう結論づける。 ともあれ、逆年順という思い切った方法で、胸中のおもいを一気に解決しようとした若さには、清々しいものを覚える。初版本『百戸の谿』をはじめて繙いたときの、あの不思議な感動は、この一巻から発散される一途さと潔さ故のものだったのだろう。 昭和五十一年、老境にさしかかった氏は、処女期の作品を加筆すると共に、順年に編み直して『定本 百戸の谿』を世に出した。 このたび、二冊を読み比べてみて、句集はやはり、その時代の空気をたっぷり吸い込んだ、初版本でこそ味わうべきだとのおもいを強くした。 このように本評論集は、硬質な文体をもって、著者の情熱をほとばしらせながら読み手をその論に巻き込んでいくような勢いがある。 本章において、飯田龍太という俳人について次のように言及している。この箇所もなかなか引きつけられてしまうところである。 亡きものはなし冬の星鎖(さ)をなせど 掲句と同じ二十八年作に「草露や戦禍のいかりさへいまは」がある。戦後八年、月日の流れは知らず識らずのうちに、戦争の傷あとを癒してゆくようだ。しかし、冴えざえと煌めく冬の星座を目にすると、亡き兄たちのことが怒濤のごとく蘇ってくる。 関西の旅の帰途、身延線に乗り換えると日が暮れた。深夜の坂道を家路につく。晴れた夜空だ。(中略)何座か知らぬが、こうした風景を見ると、矢張りまた亡くなった肉親を、わけても三人の兄達のことを想い出す。目尻を拭った。 戦争の悲愁は、沈潜しても決して忘れ去ることはできないということを、改めて思い知らされる。 しかし、そんな体験をもつ龍太氏の作品に、戦争への義憤や、反戦を言挙げしたものは見当らない。亡き兄たちを追懐するのにも、憤りではなく、悲しみを詠っている。耐えがたい悲痛に、ただじっと耐えようとする自身の姿を詠っている。その寡黙で静謐な作品は、寡黙で静謐ゆえに、読む者に自ずから深く考えさせるようだ。 戦争という苛酷な時代に青春を送らざるを得なかった龍太氏は、その悲しみを転機に、改めて郷土の山河を見つめ直し、自然と気息を合わせて生きる決意をした。『百戸の谿』は、そのひたむきな姿勢が生んだ一集といえるのではなかろうか。 すぐれた『百戸の谿』論ではないだろうか 本著を拝読して思ったことは、20年の長きに亘って俳誌「百鳥」に書き記してきたことを収録した一冊であるということ。そういうことからも、俳誌という場は、一人の俳人の批評の目育てるところでもあるということだ。 大串章主宰からは、本評論集を手に取られて、「多くの百鳥の仲間たちが松内さんの言葉にどんなに励まされたことかと感慨深く読みました」という言葉をいただいたと松内さんから教えていただいた。師のあたたかな言葉である。 本書の担当は、文己さん。以下は文己さんの感想である。 「書評、一句評いずれも的確で、読んでいて非常に勉強になりました。 去年の夏頃からじっくり編集していたので思い入れがあります。 刊行直前に毎日俳句大賞の受賞が決まり、駆け込みで略歴に追加しました。 偶然3月がお誕生日とのこと、素敵なプレゼントになったとおっしゃっていただきました。奥付刊行日もお誕生日(だったと思います) 内容の充実した、読み応えのある1冊なので、皆さんからの反響が楽しみです。 」 「百鳥」入会(平成十年)以降、二十年余の間に「百鳥」誌に掲載された拙文を纏めてみました。浅学菲才をさらけ出すようで恥じ入るばかりですが、長年俳句に関わってきた証として上梓できたことはこの上ない喜びです。 大串先生をはじめ「百鳥」の皆様、また身近で支えてくださった〈むさし句会〉のお仲間に心より感謝申し上げます。 なお収録に当っては一部表現を修正しました。 「あとがき」の言葉である。 装幀は君嶋真理子さん。 松内佳子さんはとても気に入ってくださった。 この青は、もう少しシックな青の色も用意したのだが、松内さんは鮮やかな方を選ばれた。 扉。 鷹の目の視野も死角も青の中 (「俳句評論」昭和五十八年秋季号所収) 昭和五十八年作。〈身を反らす虹の/絶巓/処刑台〉を初期の代表句とする先師高柳重信先生は、既成の俳句とは全く異なった手法で、俳句を新しく作り変えようとされていた。初学の私達にも、写実を中心とした伝統的俳句手法では、類想類句の範疇を抜け出せないとして、非日常超現実の作品世界を詠うよう指導されていた。新しい俳句の生まれる可能性をシュールな詩法に賭けられたようであった。 上掲句は、そんな教えに何とか近づこうとして作った句である。お陰で、重信先生選に入り、「俳句評論」秋季号に掲載されたのだが、同誌発刊を待たず、先生はこの世を旅立たれてしまった。 享年六十歳であった。 (「自句のほとりーー自句自解)より 余談ながら、松内佳子さんは、1996年にふらんす堂より句集『日の柱』を上梓されている。 一頁一句組のものだ。 わたしはこの句集をよく覚えている。 なぜかというと、川崎展宏氏が絶賛されていたからだ。 てのひらをまぶしく秋を病みゐたり (句集『日の柱』より) なんと24年ぶりに刊行のご縁をいただいたことになる。 それも感慨深い。
by fragie777
| 2020-03-13 19:28
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