8月18日(金)
しかし、暑い。昨日、今日あたりが今年いちばんの暑さじゃないかしら。そう思いながらも今日は自転車で出社。日焼け止めクリームを顔にぬりたくり、黒い長袖の綿シャツを着て、帽子をかぶる。「ああ、もう少し帽子の似合う顔だったら‥」って帽子をかぶるときにいつも思う。帽子は大好き、でも中高年のおばさんが帽子をかぶるのって結構むずかしい。しかも女は中高年になるとなぜか帽子にあこがれる。わたしなど、デパートに行くと必ずっていうほど、帽子売り場にいきあっちこっちにある帽子をかたっぱしからかぶってみるのだ。しかし、しかしである。似合うと思いその気にさせれて衝動買いをした帽子が似合ったためしがない。家の片隅でほこりをかぶって役にもたたないインテリアになっている。
なにゆえ中高年の女性にとって帽子がむずかしいかというと、これはあくまで私のこだわりなのであるが、中高年にロマンを与えるようなおしゃれな帽子は、どうしてもあらたまった感じになってしまうのだ。つまり上品すぎてつまらない。帽子って人間の身体のてっぺんにのせるものだから、ある意味すべてを支配してしまう。だからあまりにも形がきまったものだと、ほつれというかアンバランス感が欠落して型どおりのものになってしまう。手袋してハイヒールでもはかないとカッコがつかないような‥。もう少し動きのあるもが欲しい。そうかといってカジュアルな気楽なものを求めるとこれまた、日焼け帽子をかぶったハイキングおばさんか、あるいは集金おばさんになってしまう。カッコよく帽子をかぶるって結構むずかしい。若い女の子たちはそのへんが上手いなあって新宿あたり歩いていてつくづくと思う。適当なワイルドさがありながら帽子だけが浮いていず、身体の一部のようにバランスよくかぶりこなしている。
わたしの理想は紳士用ハットをすこし女性風にアレンジして目深にかぶり、しかも女ッぷりよく颯爽と歩くことである。(ここで私の実態を知っているそこのあなた、プッと笑わないように!)知人に帽子のデザイナーの(帽子業界では多分草分け的存在であると思う)方がいるので一度あこがれのそれをおどろくべく格安で特注して作ってもらったことがある。出来上がってきたものは巻かれているリボンも渋く、ずばらしく輕い材質を用いて申し分のないものであった。‥‥‥うーむ、だが、顔がついていかなかった。ざ、残念である。そんなわけで帽子への恨みはつきないのだ。美人でないことは我慢するが、せめて帽子の似合う顔に生まれたかったなあ。
帽子が素晴らしいといえば、あのフィルムノワール時代の映画『俺たちに明日はない』で、ベレー帽をエレガントにかぶったフェイ・ダナ・ウエイ。あのイカシタ帽子姿はわたしにとってのひとつの理想である。
写真は帽子とは全然関係ない秩父の宿からみえる風景。