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3月2日(月) 旧暦2月8日
神代植物園の紅梅。 梅の季節もそろそろ終わりである。 今日はマスクを替えるのは面倒くさいので、わんちゃんマスクをして仙川商店街に用を足しにでかけた。 いまはいろんなマスクがあるから、犬に変身したって気づかない人が多いだろう。 何か言われたら「ワン!!」って吠えてやるわ。 郵便局をはじめとして4件の店をまわったのだが、その途中でわたしは犬のマスクをしていることを忘れた。 ちらっと見ていく人もいたようだったが、こちらが忘れていたので平気。 パン屋のアンデルセンで昼用のパンを買った。 「わあ、可愛いですね!」と言われて、気づいた。 その若い女性の売り子さんは、すごく羨ましそうだった。彼女は白いマスクをしていた。 「これってね、洗えるのよ」ってちょっと自慢そうに言うと、 「すごく、可愛い」てニコニコして言う。 可愛いなんて言葉、わたしの人生において聞くことは極めて少ない。 これもわんちゃんマスクのおかげ、ちょっと幸せなyamaokaであった。 今日の毎日新聞の新刊紹介に、笠原みわ子句集『給湯室』が紹介された。 花衣つねの鏡を驚かす スイートピー給湯室は好きな場所 方舟(はこぶね)となるや夜のビニールハウス 第1句集。職場と家庭を大切にする中から生まれた、詩心がきらりと光る一冊。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 216頁 2句組 著者の津久井たかを(つくい・たかお)さんは今年88歳となられる。その米寿を記念して上梓された句集である。昭和7年(1932)東京生まれ、現在は埼玉県所沢市にお住まいである。平成5年(1993)「雨上句会」および「椿句会」に入会し古川沛雨亭に師事、平成8年(1996)板橋区役所職員俳句部(木綿の会)入会、平成9年(1997)「雨上句会」同人、平成15年(2003)城北句会入会、都築智子に師事、平成17年(2005)都交友会(OB会)俳句部入会。本句集は、第1句集『風紋』(平成24年刊)に次ぐ第2句集であり、序句は都交友会俳句部の赤羽暁羽氏が、跋文は木綿の会の鈴木直允氏が寄せている。 米寿の宴林檎の赤のピラミッド 赤羽暁羽 跋文を寄せられた鈴木直允さんは、俳誌「春燈」の同人であり、著者の津久井たかをさんとは職場をともにしたご縁より、この句集の跋文のみならず選句、編集をお願いし著者とわたしたちの間に入って細やかにお世話をいただいたのであった。 跋文は、収録された作品をさまざまな角度から詳細多義にわたって鑑賞し、たいへん意を尽くしたものである。 句集名は「座右」。辞書でひけば「そば、かたわら」。作者がかたわらにあって大切にしているもの、ということだろうか。 跋文を紹介したい。 家族は文学の永遠のテーマの一つであり、百の家族があれば百の物語があります。作者の家族詠は、『座右』の主調をなすもので、家族をまるごと愛する俳句であり、また哀切きわまる俳句でもあります。 と鈴木氏が書かれているように、本句集には家族の風景がある。 さまざまな家族の顔が登場し、家族の句に鈴木氏は丁寧に触れておられる。 抜粋して紹介したい。 藪入りや父若き日の古写真 母逝きてうみほほづきの音遠し 紅梅の散り早世の姉偲ぶ 旅終へて涼しかりけり家と妻 本社への帰任の長子燗熱し 青麦や子育ての娘は母の顔 孫ひとり命光れり花御堂 このように家族の肖像がいろいろと登場するのだが、わたしはこの句集なかでの大きな存在は母と妻のふたりの女性であると思った。母は句集の前半でたくさん登場しそして半ばで亡くなる。一貫して夫によりそう妻は、やがて病を得、その死をもって句集はクライマックスへと近づく。著者津久井たかをさんを支えた二人の女性である。とくに妻の存在は大きかった。著者への心のうねりがこちらに伝わってきて心を衝く。 職退いて妻を見直す春の午後 きぬかつぎ質屋通ひの母でありし 母逝きてうみほほづきの音遠し 春風や母です妻です女です (愚妻のたまふ) 稲妻や医師はさらりと癌告知 癌よ消ゆべし風吹きわたる芒原 おれが先あなたが後と木の葉髪 妻入院一人の吾に鳴る風鈴 胸を衝く妻の病変木の葉揺れ 妻逝けり独り色無き風の中 鈴木直允さんが跋文で書かれているように本句集の作品は多彩である、しかし、妻を思う句が本句集を貫いているのだと思う。 日向ぼこ一人暮しを忘じけり 「日向ぼこ」をしていると「一人で暮らしているのを忘れて、今でも妻と一緒にいるような気がする」という意でしょう。「日向ぼこ」のぬくみが即ち「妻の温もり」なのです。 と鈴木氏は書いておられる。 本句集の担当は文己さん。 あぢさゐや内気な人の独り言 千年の目覚め涼しき土偶かな回転ドアーくるりと秋を通しけり 席譲る声をたまはり冬うらら 妻の座は常の日だまり毛糸編む あぢさゐや内気な人の独り言 文己さんの好きな句であり、わたしも心が留まった句である。「あぢさゐ」と内気ってなぜか合うんじゃないかしら。この一句、あじさいの毬に向かってぼそぼそと呟いている人間がみえてくる。そのよく聞き取れないようなつぶやきをあじさいの毬はやんわりと受け止めすべて吸収していってくれるような気がしてくる。あの柔らかなカーブ、優しい色合い、ウエット感も人の心を受け入れるのに充分である。花の咲く高さも人間の心臓部にちかく、近づけばあじさいそのものが触れてくる。触れられてもいやじゃない花の一群である。こんどそっとあじさいに近づいてその毬に顔を埋めてみようかな、ひょっとしたさっきまでいた内気な人のつぶやきが聞こえてくるかもしれない。 柚子風呂に生き過ぎし身とおもひけり この一句、ハッとしてしまった。そして少し悲しくなった。いい香りのする柚子風呂にゆったりと身をしずめていて、ああ、幸せだなあーなんて思わずに、生き過ぎてしまったと思ったというのである。切ないではないですか。そんな風に思わないでください。だって柚子風呂でしょう。いや、柚子風呂だからなのか、柚子風呂につかっているひとときの幸せ、若い人間は柚子風呂などたいていは感激しやしない。ざっと入ってざっと出て、柚子風呂かだなって思うくらい。年を重ねて柚子風呂の有り難さなどがわかってくるとその柚子風呂に浸っている時間が大切で命が愛おしくなる。ああ、もうこんなに歳をとったのか、なんていう感慨とともに。柚子風呂だからこそ、なのだ。 職辞してたまの背広の薄暑かな 著者の津久井たかをさんは、東京都の職員でおられた方だ。背広勤めが長かったことだろう。この句「薄暑」がすごくいい。背広きて仕事をしてきた人がもう仕事を辞めてあまり背広をきることもなくなった。ラフな恰好で一日を過ごしている。そんな時背広を着る必要があって洋服ダンスの奥からひっぱりだして袖を通した。仕事で働いていたときは暑くてもさほど気にならなかったのが、たまの背広はやはりすこしばかり暑いのだ。「薄暑」であるところに、津久井たかをさんの仕事人であったささやかな気概をわたしは感じる。 ほかにも面白い句がたくさんあった。 いくつか紹介したい。 まじまじと出目金人の世を覗く 箱眼鏡川の素顔を覗きけり 雛納め了へありふれた家となり 春雨や銀座の用は伊東屋へ 来年二月、私も八十八歳となります。 思えば平成五年に雨上句会(故古川沛雨亭主宰)に入会し、俳句を趣味としてから今年で私の句歴も二十六年になります。 この間平成二十四年には、私たち夫婦の傘寿と金婚を記念し、第一句集『風紋』を上梓いたしました。そして今回、米寿を記念して、第二句集『座右』を上梓することになりました。句歴を重ねても所詮浅学菲才でお恥ずかしい作品ばかりですが、ご高覧いただければ幸甚の至りでございます。 今回の句集は、前回に比べ、日常生活に根差した身の回りのことを詠んだものが多く、句集名を『座右』としました。近年、妻が他界し、暮らしの一切合切を自らするようになり、家常に一層目を向けるようになった所以かと存じます。 令和元年十月とある「あとがき」である。抜粋して紹介した。 「座右」の命名の由来が書かれているが、しかし、「座右」にはいつも奥さまがおられたのである。 わたしは、この句集はいまは亡き奥さまへのオマージュでもあると思った次第である。 装幀は君嶋真理子さん。 最初は津久井たかをさん、グラデーションをつかったものをというご希望だった。 君嶋さんがつくったいろいろなラフをご覧になられて、最初のご希望はかなり異なるものとなったのであるが、とても気に入ってくださったのだった。 タイトルは金箔押し。 落ち着いた色合いである。 表紙のクロスも渋い。 ややグレーがかってしまったがもう少し緑色がつよい。 日本の伝統色の色である。 花布は、緑と白のツートン。 栞紐は、チャコールグレー。 この丸背の美しさを見ていただきたい。 このカーブのなだらかさ。 職人さんの腕がいいのだ。 ほれぼれする。 回転ドアーくるりと秋を通しけり 自分をじっと見つめてありのままの自己を詠む作品は、読む者を深い愉悦の世界に招じ入れてくれます。知性と放下の精神がともなわなければ駄句に陥ってしまうのですが、作者はきわめて上質の諧謔精神と表現力をお持ちなのです。(跋より・鈴木直允) 流れ星のこす言葉のなかりけり 悲しい一句である。句集の終わりの方におかれている。奥さまを失った作者の茫然自失となった悲しみだけが支配しているそんな心の状態がみえてくる。句集の文脈で読むと、読者にドラマチックに迫ってくる一句だ。願いもなにもないのだろうか。読む側も言葉につまる。。。 冬の街亡き妻とよく似たる人 たかを
by fragie777
| 2020-03-02 20:01
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