カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
2月17日(月) 旧暦1月24日
谷保天神の白梅。 この日は曇り空だった。 新聞の記事を紹介したい。 昨日の朝日新聞の「風信」に、山本みち子さんの句集『涙壺』が紹介されている。 80歳の著者の第1句集。 初蝶とわたしエリアをひよいと出る 少年の耳のピクピク春立つ日 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は『原田喬全句集』より。 流氷やわが音楽はその中より 原田喬 早春、オホーツク海を埋める流氷。真っ白な氷原にしか見えないが、耳を澄ませば沈黙の彼方からさまざまな音が聞こえる。寒流の音、氷と氷がぶつかり触れ合う音、生き物たちのささやき。大自然の奏でる春の音楽。『原田喬全句集』から。 今日の毎日新聞の「新刊紹介」には、伊藤敬子著『鈴木花蓑の百句』が紹介されている。 鑑賞書。〈大いなる春日の翼たれてあり〉などで知られる鈴木花蓑の主要な作品を挙げ、的確な解説・鑑賞を記した一書。「写生の鬼」といわれた花蓑の全容を精選された句から知ることができる。 おなじく今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、くにしちあき句集『国境の村』より。 茹でやうか煮やうか焼こか春キャベツ くにしちあき 句集「国境の村」(ふらんす堂)から。「焼こうか」とすると、前の二つの動作と同じ言い方になるが、「焼こか」とつづめた言い方をしてリズムを引き締めた。その引き締めた気配が、季語「春キャベツ」をごく自然に呼び出した感じ。句の前半はゆるやかに、後半はきりっと言葉が響いており、一句が「言葉の楽器」になっている。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯なし 138頁 本詩集は、リトアニアの女性詩人サロメーヤ・ネリス(Salomėja Nėris)(1904~1954)の処女作『あさはやくに(„Anksti rytą“)』を木村文(きむら・あや)さんが日本ではじめて邦訳したものである。サロメーヤ・ネリスは20世紀前半のリトアニアを代表する詩人である。リトアニア大学(現ヴィタウタス・マグヌス大学)在学中の1927年の23歳の時に出版したものが本詩集である。1938年『ニガヨモギで花咲く(„Diemedžiu žydėsiu“)』で国家文学賞を受賞。1945年、モスクワで病気により死去。50歳で亡くなっている。 訳者の木村文(きむら・あや)さんは、1993年東京生まれ、2016年お茶の水女子大学生活科学部卒業。2017年度リトアニア政府奨学生としてリトアニア国立教育大学に留学。2018年よりお茶の水大学生活工学共同専攻後期博士課程に在籍。リトアニア語翻訳者であり、博物館研究者である。 木村文さんのリトアニアへの情熱は半端なものじゃない。 今回の訳詩集『あさはやくに』も若い情熱をささげ、精魂をこめたものである。 サロメーヤ・ネリスの20代の詩の作品を、おなじく20代の木村文さんが訳する、この詩集はそうやって生まれたものである。 ゆえに詩集は一環して清新の気がみなぎっている。 それでは、詩集のタイトルとなった「あさはやくに」を紹介したい。まず、リトアニア語で、そして邦訳。 ANKSTI RYTĄ Anksti rytą parašyta Daug naujų skambių vardų. Versiu knygą neskaitytą Nuo rytų lig vakarų. Anksti rytą baltos laumės Laimę lėmė man jaunai; Ir išbūrė ir nulėmė Būti jauna amžinai. Saulė žeria anksti rytą Daug auksinių valandų. Rytą auksu parašytą Mano vardą ten randu. * Žemė kryžkeliais žegnojas. Tiems visiems, kur be sparnų, Pavergė dulkėtas kojas. Aš su saule ateinu. Šiltas vakaras dainuoja: Rytoj pievos sužydės, Rytoj bus gražu, kaip rojuj, Dainų dainos suaidės, Nubarstysiu anksti rytą Pilką kelią gėlėmis. Laimę kryžkeliuos skaitytą Palydėsiu dainomis. あさはやくに あさはやくに書かれた たくさんの新しいひびきの名前。 読まれていない本をめくろう 東から西まで。 あさはやくに白い魔女たちが わかいわたしの幸せを決めた; そして予言し運命づけた 永遠にわかくいることを。 黄金の時間をあさはやくに 太陽がたくさん注いだ。 あさに金いろで書かれた わたしの名前をそこで見つける。 * 大地が十字路をわたる。 つばさがない、そのすべてに、 すすけた脚をささげる。 わたしは太陽とやってくる。 あたたかなよるが歌う: 明日は平原が花さくぞ、 明日は美しくなるぞ、楽園みたいさ、 歌という歌が鳴りひびくのさ、 花々をあさはやくに 灰いろの道に広げよう。 十字路で読まれた幸せに 歌と一緒についていこう。 本詩集の担当は文己さん。文己さんは訳者の木村文さんと同じ歳。文己さんが好きだという詩を紹介したい。 「LAUKIAMAJAI 待合室に」と「PAVASARĮ 春に」が好きということだが、ここでは「待合室に」を。 LAUKIAMAJAI Pilka žemė, pilki dangūs, Kaukia vėjai alkani. Tu viena, kaip saulių bangos. Šviesius burtus dalini. Tegu vėjai mane kelia Lig padangių debesų. Tegramzdina į bedugnę — Man jau nieko nebaisu. Ilgesiu virpės krūtinė, Juodos sutemos nukris — Tu ineisi paskutinė, Paskutinė pro duris. Grakščios palmės, baltos gėlės Žydės, vys ir vėl žydės. Šviesios akys žibuoklėlės, Kaip ugnis tolios žvaigždės. Ges žvaigždutės, merksis akys, Nenuskintos gėlės vys. — Ges dienų pavasarinių Paskutinis spindulys. * Tiek šviesos, tiek gėlių — Aš apsvaigus tyliu. Tos taurės kupina krūtinė. O, kad ji būtų paskutinė! Ateik, ateik, tavęs aš laukiu — Dabar visi veidai be kaukių. Ateik, ateik — aš taip bijau, Juk aukuras užges tuojau. 待合室に 灰いろの大地、灰いろの空、 うなる空腹の風たち。 きみはひとり、太陽の波のようだ。 明るい魔術をきみは分かつ。 風にわたしを持ち上げさせなさい 天空の雲々まで。 落ちなさい谷底まで─ わたしにはもう何も怖くない。 恋しさで胸がふるえるだろう、 黒いたそがれが落ちるだろう─ きみはさいごに入りゆく、 さいごはドアごしに。 優雅なやしの木々、白い花々は さくだろう、散ってまたさくだろう。 ミスミソウのお花の明るい両目は、 まるで遠くの星々の火だ。 悪くなりゆく星々、閉じゆく両目、 つまれていない花々が散っていく。─ 悪くなりゆく春の日々 さいごのひざし。 * 光と花々と、そのどちらも─ わたしは酔ってしずかになる。 そのさかずきを胸があふれさせる。 ああ、あれがさいごだったのに! 来るのだ、来るのだ、きみをわたしは待つ─ 今みなのかおに仮面はなし。 来るのだ、来るのだ─わたしはとてもおそれている、 ほらすぐに聖餐台は消えゆく。 この詩集を編んだサロメーヤ・ネリスは、リトアニアの詩人です。ネリスが生まれたころ、現在リトアニアとよばれている土地の大半がロシア帝国の領土で、他の一部は東プロイセン領であり、「リトアニア」という国名は地図上にはありませんでした。ネリスが生まれたキルシャイ村は、ロシア帝国領側にありました。 当時、ロシア帝政の領土であった場所では、19世紀後半からネリスが生まれた1904年まで、ラテンアルファベット表記の(この本の表記のような)リトアニア語の出版物は厳しく禁止されていました。そのため、リトアニア語の本は東プロイセンで印刷され、国境をひっそりと越えて密輸され、農民達のネットワークにより命がけで流通されていたと言われています。 リトアニアは1918年2月16日に独立宣言をしました。しかしその独立は、1940年にソ連に侵攻されたことでいったん終止符を打つことになります。ネリスの作品のほとんどは、この短い期間に発表されています。本作は、1927年にネリスが大学在学中に発表した処女詩集です。 リトアニアのたどった歴史と同様に、ネリスその人についての評価も一筋縄ではいきません。サロメーヤ・ネリスは、その名前を冠した道や高校があり、学校の教科書にもその作品が載っているように、国を代表する詩人としての地位を確立しています。しかし、その文学的な才能が時間を超えて多くの読者を魅了する一方で、ネリスの政治的な立ち位置(晩年はソ連政府に協力する立場を取っていた)は、ソ連からの独立後のリトアニアを生きる人々に対して、ある種の複雑な感情を引き起こしていることもあるようです。 読者の皆さんにお願いがあります。ここまで、サロメーヤ・ネリスの生きた時代の背景を説明しましたが、一度忘れてください。まずは、1篇1篇の詩の中に、リトアニア語の息づかいやそのうつくしさを見つけてください。 「あとがきに代えて」を紹介した。 サロメーヤ・ネリスの生きた複雑な政治的、歴史的背景が語られている。リトアニア語がたどった苦難の道は、わたしたち日本人にはおよそ考えられないものだ。自身の言語表現が禁じられるということ、それが意味するもの。翻訳者の木村文さんは、そういう歴史的政治的背景は心からはらって、言葉のもつ音や息づかいや気配などを味わって欲しいという。 本誌集の装幀は君嶋真理子さん。 何案かのうちこの案をまっさきに気に入ってくださった。 装画は金泊押し。 シンプルであるが、金箔の美しさをリトアニアの人達にも知って欲しいとおもった。 扉。 本文。 この対訳詩集が生きたリトアニア語にふれあうきっかけとなり、いつか読者の方がリトアニアを訪れることを願うばかりです。(「あとがきに代えて」より) 木村文さんは、今日リトアニアに向けて出発した。「博物館の研究」が専らであるが、詩集も持ってリトアニアの人たちに読んでもらうということだ。ブックフェアにも出品する。 発つまえに、この本の宣伝のためのポストカードをふらんす堂におくってくれた。 詩の一節と訳が記されている。 ひとつだけ紹介したい。 O tu, gododams saulės godelę, Eisi pajūrin gintarų rinkti. Eisi vakarių svajų svajoti, Ilgesio dainą jūrai dainuoti. そしてきみは、太陽の夢を夢みながら、 海辺にこはくを集めに行くのさ。 西の夢を見に行って、 なつかしの歌を海に歌うのさ。 わたしが好きだった詩篇は「MIŠKU 森によって「IŠVAKARĖS 宵」。 本詩集について、リトアニア語と日本語での朗読を聞く機会があれば、と願っている。
by fragie777
| 2020-02-17 19:11
|
Comments(2)
![]()
お久しぶりです、月子です、ふらんす堂のみなさま、お元気ですか? あてもなくネットを散策していたら、ん?ってところに、ふらんす堂さんの本を見つけたので、嬉しくなってコメントしました。
https://lifte.jp/20201228-2/ 素敵な装幀ですね。ふらんす堂にいたころ、出版されたどの本に対してもそうだったのですが、この本も一目惚れしました。紹介されているサイトが、そのサイト名の通り「北欧の暮らし」を扱っているところだったので、見つけたときの感動とは別に、あれれ?みたいな感覚にもとらわれて、頭の中がふわふわしてます笑 (う〜んう〜んう〜ん、エストニアは言葉も歴史的背景もものすごくフィンランドに似てるんだけど、リトアニアはちょっと違うような......) でも、そういうことじゃないんだって思ってくれた人のおかげで出会うことができた本なので読んでみようと思います。サイトの担当者様に感謝! みなさまはこの年末年始、何を読みますか?
0
月子さん
お久しぶりです。 コメントをありがとうございます。 嬉しいですね。 思いもかけないところでふらんす堂の本に出合ってくれて。。 いろんなところに出没するふらんす堂の本でありたいですね。 サイトを教えてくださってありがとう。 明日ブログで紹介します。 (yamaoka)
|
ファン申請 |
||