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2月13日(木) 旧暦1月20日
国立・城山公園の椿。 朝起きるとひどい寝癖だった。 しようがないからムースをべったりつけて上から押さえ込んだ。 どうにか髪は大人しくしている。 出社前にちかくの動物病院へ愛猫ヤマト(♀)の薬を貰いにいかなくてはいけない。 甲状腺機能亢進症という病名で投薬をつづけているのである。 お薬を貰って代金を払おうとしたところ、お財布がない。 「あとでいいですよ」って親切な先生はおっしゃるが、申し訳ない。 乗ってきた車の中かと見にいくが見あたらない。 家にもどって中に入る前に車をもう一度点検したところお財布があった。 明日代金をとどけようかどうしようか一瞬迷ったが、いやいや明日は予定がいろいろとある。 ということで、薬代を払ってから出社したのだった。 朝の騒動で、仕事場に来て鏡をみると、 まあ、 寝癖がしっかり戻ってしまっているではないか。 こんな感じに。 おにぎりを買いに行って 信号待ちをしていたとき、思わず撮ってしまった。 どうやったらこんな寝癖がつくのかって、、 わたしにも、よう分からん。 新刊、藤田直子著『鍵和田秞子の百句』(かぎわだゆうこのひゃっく) を紹介したい。 ![]() 鍵和田秞子についてはなかなかまとまった形で全体像を見るという本はこれまでにはないのでそういう意味では、ハンディでありながら一人の作家の全体像にせまることのできる一冊となったのではないかと思う。いまふらんす堂では、「鍵和田秞子俳句集成」を編集中でもあるので、その前段階でのテクストとしても良いものだと思う。著者の藤田直子さんは、師・鍵和田秞子の作品の魅力を余すことなく、その鑑賞をとおして語ってみせる。師の作品に魅了された弟子ではなくては書けない鑑賞の一冊だと思う。 いくつか紹介したい。 アネモネや神々の世もなまぐさし 『未来図』昭和50年 「神々の世」とは神話の世界である。『古事記』にしてもギリシア神話にしても、その魅力は神々たちの、人間臭いほどに生々しい逸話である。 ギリシア神話の中に、冥府の女王ペルセポネと、美と愛の女神アプロディテの両方が愛して取り合った美少年アドニスがいた。彼が狩で死んだとき、流れた血から咲いたのがアネモネだった。濃い色のアネモネは愛情が溢れて縺れ合う神話を象徴するのにふさわしい花である。 大らかな神話に親しみを感じて、「なまぐさし」と断定したところが独特で、そこが魅力。秞子の大らかな人柄から生まれた句である。 父恋ひの色の噴き出すかきつばた 『浮標』 昭和56年 平仮名書きの「かきつばた」は『伊勢物語』で昔男が詠んだ〈からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ〉を連想させる。この年の春、父を亡くした秞子は「かきつばたの蕾の先に僅かに花の色が出始めているのを見て、押さえていた父恋の情が噴き出しそうだった」と言う。 また、〈花栗の香やあそびせし父のこと〉について、「母はピューリタンで、父は逆の性格だったと思う。専門に研究していたのも江戸期の浮世草子などで、浮世絵にも詳しかった」と書いている。父の中に昔男のロマンを見ていたのではないだろうか。 くれなゐといふ重さあり寒椿 『胡蝶』 平成13年 椿は春の季語だが、冬の間に咲く早咲きの椿を冬椿、寒椿と呼んでいる。また、同じ頃に咲くツバキ科ツバキ属の一種で、山茶花に似る品種群を総称して寒椿と呼ぶので厳密には紛らわしい。 だがこの句の寒椿は秞子の家の庭の木で、「濃い紅色に咲き、たくさんの花をつける」と自解しているから、それで充分であろう。紅色は華やかで主張する色だが、この年、秞子はその色が重く感じられたという。六十九歳になる年。紅からイメージしたものは血か、情熱か、女性という性か。対になりそうな句〈白といふ激しき色を花菖蒲〉は四年後の作。 巻末の解説をすこし紹介したい。 草田男の〈空は太初の青さ妻より林檎受く〉も〈種蒔ける者の足あと洽しや〉も戦後間もない時の作である。廃墟の中で生きる力を見出す草田男の詩精神に秞子は惹かれた。秞子もこの世の無常を思い知ったからこそ、この世の美しさを詠い上げたいという欲求に駈られたのである。 「萬綠」では草田男が写生を提唱していたので秞子は努めて吟行に行った。 草田男から学んだものは多いが、季語を象徴的に生かすこともその一つだった。そして季語を象徴的に働かせる句も写生句と同様に、先ずは心を無にして対象に対峙し、己の胸底から湧き上がるものを摑んでこそ成るものだと知った。 訃報がひとつ。 俳人の倉橋羊村氏が、2月11日に脳梗塞のため亡くなられた。 ご冥福をお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2020-02-13 19:27
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