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1月24日(金) 初天神 旧暦12月30日
寒牡丹。 今日は支払日。 わたしは郵便局から銀行へと忙しく歩いていた。 最近商店街の一角に気になるところがある。 携帯ショップが撤退して、新しい店ができるらしいのだけど、それがいったい何の店になるのか皆目見当がつかない。 窓を板張りしてしまい、焦げ茶色の木の引き戸がつけられた。 中はきっと真っ暗になってしまう。 「何ができるのかしらねえ?」と友人知人と噂をしていた。 すると昨日あたりから、茶色の板壁に絵や字が描かれだした。 こんな感じ。 よく見ると働いている人はみな若い女性である。 描かれているものも、なんだか面白い。 わたしは俄然楽しみになってきた。 兎が描かれている扉をあけると、いったい中に何が待っているか。。 ちょっとワクワクである。 いつかご報告しますね。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯有り 172頁 二句組 著者の笠原みわ子(かさはら・みわこ)さんは、1962年生まれ、東京板橋区にお住まいである。2009年にNHK俳句講座で俳句を学びはじめ、西村和子さん指導の「パラソル句会」を経て、2011年「知音」(西村和子・行方克巳代表)に入会、2015年「知音」同人、2017年「群青」(櫂未知子・佐藤郁良代表)同人、俳人協会会員、本句集はこれまでの作品を収録した第1句集である。序句、帯文を「知音」の西村和子代表が、栞を「群青」の櫂未知子代表が寄せている。 十年という時の流れは 少年が青年になる歳月 二人の息子の成長の証(あかし)が 句集のそこここに 輝いている。 母親の顔の向こうに 俳句という 自己表現を得た 作者の貌も見えてくる。 子育てを終えた時 母親は人生の 新たな地平を歩み出す。 その出発と標(しるべ)となる 第一句集 ――西村和子 本句集『給湯室』の作品世界を端的言い得た帯文である。 母の顔から新しい表現者の顔となりつつある作者への祝福に満ちた言葉である。 また、栞を寄せられた櫂未知子さんは、作品に丁寧に向き合う。タイトルは「鏡中の華」 抜粋して紹介したい。 バレンタインデー鏡の中の別の顔 もう何も映さぬ雛の鏡かな 花衣つねの鏡を驚かす 二月十四日の「鏡の中」に見出した、自身の二面性。そして、雛道具の「鏡」はものを映すことをやめたという。これはなかなか怖い作品だ。また、「花衣」の句は、馴染みの「鏡」が美しい衣装を着た著者を華そのものとしているような明るさがあり、とても好きな作品である。(略) 『給湯室』は地に足を着けて生きている女性の句集である。誰かに依存せず、しかし、肩肘は張らず。職業を持つ人として妻として母として、そしてあくまで一個人として出された女性の句集は案外少ない。稀なる、この第一句集の刊行を、心から祝いたい。 「栞」の一文を紹介したが、ここで「鏡」について触れている。「『給湯室』には「鏡」を用いた作品が思いのほか多い。これは著者がナルシストだからではなく、自らの思いを投影する最も身近なものとして、鏡が選ばれたのではないだろうか」と櫂さんは書かれている。ほかにも、 ボーナスや鏡何度も見る日なり という句があって、わたしはこの句ちょっと不思議に思った。ボーナスと鏡、一見なんの関係もないように思えたが、「弾む心を抑えつつ幾たびも見る」と櫂未知子さんが鑑賞しており、そういうことか、と。わたしは支給する側なので、弾む心とはならず、しかし少ないながら支給できることは嬉しいが。余計なことながら。 さて、本句集の担当はPさん。 本題に入る扇子の手の止まり 口笛を吹く子となりて夏の果 ゆつくり巻く別れを惜しむストールは 白魚の水切つてなほ水の色 夕立や町は淡水魚の匂ひ 秋澄めり指しなやかに米をとぐ 頬摺りをしたきセーターならば買ふ 冬の水動かぬままに浮かぶもの 夕立や町は淡水魚の匂ひ 夕立あとの町の匂いを「淡水魚の匂ひ」と捉えたところが秀逸だと思う。秀逸なんてえらそうな言葉ね。しかし「淡水魚」の匂いって、いったいどんな匂いなんだろう。海の匂いほど濃くはなくてもうすこしさらりとした生臭さか。確かに夕立あとの町は水が匂う、町が洗われた匂いである。そうか、「淡水魚の匂ひ」なのか、これは、、ってこの句に出会ってしまったので、夕立後の町の匂いをきっとわたしはそう思うことになるだろう。夕暮れの町は雨に洗われて鈍い光を放っている。その光もまた淡水に棲む魚たちの光を呼び起こす。 頬摺りをしたきセーターならば買ふ 異議なし、である。Pさんもそうなんだ。セーターってあったかくなくっちゃ、まあ、売り場では手でさわってその感触を確かめることはできるけど、手の感触だけではいま一つである。だから、頬摺りをしてセーターをごしごしと顔に押し当ててその匂いなども嗅いでみたいところだけど、それは出来ない。ツンとすまして売り場に置かれたセーターには何の魅力もないけれど、思わず手にとって、店員さんがいなかったら頬摺りをしてみたくなる、そんなセータ―ならわたしも絶対買うわ。 ころんだ手はたき踊の輪に入る これはきっと盆踊りだろうって思った。盆踊りは老いも若きも誰もが参加できる。小さな子どもでもOKである。この句の「ころんだ」人物はきっと幼子であろう。ころんで手をついたその手をはたいて何事もなかったように再び踊り出した様子を簡潔に一句に言い止めた。季語「踊」で小さな子を詠んだ句はあまりない。「踊」はこんな風に幼子にも開かれているものなのだ、ということを改めて思わせる一句である。 スイートピー給湯室は好きな場所 句集名となった一句である。「季語が抜群に明るい」と櫂未知子さんは栞に書かれている。だから、「ここは一瞬だけ個人に戻れる場所、逃避ではなく仕事にめりはりを付けてくれる場所」とも。確かに。。略歴に著者は「社会福祉士」と書かれている。かなりハードな仕事なのだと思う。給湯室って思うにそんな広いところではない、横になって体を休めるなんてことはまず無理だ。しかし、あたたかなお湯がでていっぱいのお茶を飲むことが許される。おしゃべりもしたりして。そこに誰かがもってきたのかスイートピーが飾ってあったりしたら最高に嬉しい。「給湯室」というささやかな場所を大切に思う作者の心がステキだ。 学齢期の息子二人を育て、福祉の相談業務に従事するめまぐるしい日々の中、長男の先輩の高校生達の若々しい俳句に出会った。二年後、NHKの通信講座で句を作り始めた。二〇〇九年、長男が中学三年生、次男が小学四年生の時だった。(略) 俳句に出会って十年という年月が流れた。 俳句を始めて窓の外の風景がそれまでとは違った顔を見せるようになった。今の私にとって、俳句はいつもそっと寄り添い、時に励まし、力づけてくれるかけがえのないものになっている。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 次男さんも、俳句をつくられている。 本句集の装幀は和兎さん。 ペーパーバックスタイルであるが、著者の笠原みわ子さんのご希望によって、見返しをおつけした。 あまり派手にならないように、シックにというのがご本人のご希望。 タイトルは金箔押し。 用紙は光沢のあるもの、しかしあくまで上品に。 扉。 鏡には映らぬものも秋気澄む 和子 西村和子代表の本句集に寄せた序句である。 このたび、拙い私の句を読んでみたいと言って下さる仕事の繫がりの皆様にお届けできるよう、句集の上梓に思い至った。(「あとがき」より) お嬢さんと呼ばれし頃のレースかな 季語は「レース」。夏の季語である。レースの衣服やカーテン、テーブルクロスなどと、歳時記にあるが、この句ではきっと衣服のことだろう。レースをたっぷりつかったブラウスとかワンピースとか、それこそカジュアルな装いとはちがうオシャレな「余所行き」(いまでもこんないい方するかしら)の服である。こういう洋服を着たら、「お嬢さん」って呼ばれなくてはね。「ねえちゃん」なんて決して呼ぶことを許さない装いである。レースをふんだんに使った服は、実用的ではないから結婚して子育てをしなら職場で奮闘するお母さんには不要なもの、いつの間にか忘れられてしまった。あるときそのレースの服をたまたま見付けて、かつての栄光(?)の娘時代を思い出し懐かしんでいるのだ。わたしはレースが似合う女子ではなかったのでレースの服は持っていなかったが、この著者のお気持ちはようく分かるつもり。ふうっとため息をついたのも見逃さないわよ。 週末は寒くなるって聞いている。 雪は降るのかしら。。。
by fragie777
| 2020-01-24 21:21
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